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村井さんちの生活

2017年1月19日 村井さんちの生活

君がいなくなってからのこと

著者: 村井理子

 正月は雪も降らず、暖かかった。まるで春のような日差しで、勘違いした動物が冬眠から覚めそうなほどだった。私は例年通り、特別に何をするでもなく、この時のためにと購入しておいたマンガを読みふけり、シリーズものの海外ドラマを鑑賞してのんびりと過ごした。年末に買いだめした食材を淡々と調理し、食べ、外出もせず、ずっと家に籠もりきり。インドア派の私は楽しかったけれど、男子チームまで家の中でじっとしている姿は、なにか違和感があった。あなたたちはなぜ家にいるのだ? 今まで、気づけばどこかに出かけていて、なかなか戻らず、私を心配させていたというのに。

 朝から晩まで家族四人全員がずっと家にいて、ほとんど何もせず、あっという間に日々は過ぎ、子供の冬休みは終わりを迎えてしまった。夫の冬期休暇も終わり、再び京都への通勤生活が始まった。私には、翻訳する日々が戻って来た。皆が健康で、それぞれがいつもの生活にきちんと戻ることができている。それはいいことなのだけれど、なんだろう、この居心地の悪さは…。

 正直、私達の生活ってこんな感じだったっけ? と、疑問に思う機会が増えた。以前は行方をくらますことが多かった夫はめっきり外出しなくなり、湖へ行くことも、山に行くこともなくなった。ここ数ヶ月は、バイクの修理ばかりをしている。そんな生活だから体重が増えたようで、随分と貫禄が増した。息子たちは今まで通り元気だけれど、冬休みは早起きすることができず、いつまでも布団のなかでぐずぐずとしていた。早寝早起きが彼らの得意技だったというのに、まるでティーンエイジャーのように寝続け、一旦起きても何もせず、結局布団に戻ってタブレットと睨めっこをしていた。随分顔が丸くなったように見える。そして怖ろしいことに、私も太ったような気がする…。

 原因はわかっている。犬がいなくなったからだ。去年死んでしまった老犬は、死を迎える一週間前まできちんと散歩に行くほど、歩くことが好きな犬だった。それに付き合い、私達は役割を分担して、犬が毎日外に出て、山を眺め、新鮮な空気を吸うことができるように努めていた。犬の進む方向にひたすらついていくという斬新な散歩スタイルを長年貫いた夫は、以前であれば週末の数時間(それもかなりの時間)を犬との散歩に費やしていたというのに、今となってはその時間はゼロだ。私達全員が、犬を歩かせるという役割を失い、外に出ることさえしなくなった。なんのことはない、散歩させてもらっていたのは、人間だったというわけだ。

 まるで共通の言語を失ってしまったかのようだ。実際、数年前に自分で建てた小屋でバイクを修理し続ける夫との会話は明らかに減った。それはそれで気楽だけれど、本当にいいのだろうかと、ふと、老後の二人での暮らしが心配になる。子供に「エクスカリバーとビクトリーヴァルキリーだったらどっちが強いと思う?」と聞かれても、何のお話ですかという言葉しか出てこない。意味がわからないからGoogleで調べたけれど、それでも意味がわからない。以前であれば、山のこと、湖のこと、動物のことなど、子供との間で共通の話題はいくらでもあったはずなのに、老犬がいなくなってしまったあの日から、何かが少しずつ変わり、繋がりを失ってしまったかのように思える。家族全員で愛情を注ぐ対象がいなくなったことで、家族の中の何かが消えて無くなってしまったのではないかと、ふと心配になる。大げさだろうか。

 どれだけ寒くても、どれだけ雨が降っていても、散歩に行きたがる犬との生活は、楽なことばかりではなかった。行動も制限されるし、旅行だってままならない。買い物に出ても、留守番させている犬が気になって、数時間で戻るような生活に慣れてしまい、今もその習慣から完全に抜け出すことはできないでいる。今なら泊まりの旅行だって、気ままにドライブに出ることだってできる。それなのに、なぜ私達は家から出なくなってしまったのだろう。

 意を決して、もう一度犬を飼ったらどうかと夫に提案してみた。夫は、我々の生活にそんな余裕はないし、死んだ老犬の存在があまりにも大きく、積極的には考えられないと言った。確かに、老犬の治療費は高額だったし、ペットを飼うにはお金がかかる。それも、結構な額だ。余裕があるかと聞かれれば、正直、あまりないのが実情だ。それに、あの老犬が生きた証は、今もそこかしこに残っている。まだ家のどこかで寝そべっているのではと思う時もある。それでも、私はもう一度犬を飼いたいと思った。健康的な生活を取り戻すためなんて理由じゃない。犬のいない生活は楽しくないからだ。犬という生き物を、心から愛しているからだ。

 私が、もう一度犬を飼おうと思うと伝えると、息子たちはぱっと表情を明るくした。散歩に行くこと、常にきれいな水を用意すること、ちゃんと食べさせてあげること、やることは沢山あるけど、あなたたちも助けてくれる? と聞くと、俺たちはもう10歳や、まかしとき! と、興奮して答えた。
 この日から、私は犬を探し始めた。

続く

 

 

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 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥


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