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DAY6 ICUから一般病棟へ

 看護師さんたちに両脇を抱えられ、一気にベッドから立ち上がった。管やコードが束になって体からぶら下がっているというのに、予想以上に体は動いた。むしろ、自分でも驚いてしまうほどあっさりと立ち上がり、そしてスムーズに車椅子に座ることができた(立ったところに車椅子が運ばれてきたのだが)。座ると、看護師さんが革製のウェストポーチに入ったペースメーカーを膝の上に置いてくれた。右手で点滴のポールをしっかりと握る。3D病棟の看護師さんが迎えに来てくれ、私は車椅子に乗って一般病棟に戻った。

 手術前に滞在していた個室にはすでに別の患者さんが入っていた。私はこの先しばらく、スタッフステーション真横の個室に滞在することになったようだ。歩いて2秒、走って0.5秒の距離である。「何かあったらすぐにナースコールして下さいね。一緒にがんばりましょう」と、阿部サダヲ似の看護師長がキラキラ輝くような笑顔で言った。

 ベッドの背の部分は、ほぼ垂直に立てられていた。「日中はできるだけ体を起こしておいて下さい。歩いて、たくさん食べて、元気になって!」と、サダヲの笑顔で看護師長は言う。しかし、1ミリだって動けない。

 体が重い。とにかく鉄塊のように重い。痛みは、体に感じる重さを上回る強烈な何かで、かろうじて抑え込まれているのがわかる。酷い虚脱感で呼吸をするのもやっとだ。肺がわずかしか膨らまないから、呼吸が短く、浅い。かすれて声が出ない。

 看護師さんがベッドの上に置いてくれたバッグに手を伸ばし、iPadを取り出すと、Webでも考える人編集室の担当Sさんにメールした。画面に視線を集中させるとめまいがしたが、何度か書き直しつつ、最終的に一行だけ書いた。

 村井理子 is back!!!!!!!!!!

 しばらくすると病室のドアがノックされ、若い男性が入ってきた。「僕のこと、覚えてますか?」と彼は言った。「もちろん覚えてます。リハビリの東さんですよね?」と私は答えた。「覚えていてくれてよかった」と彼は言い、そして、「そろそろ歩きましょうか」と、まるでそれがなんでもないことのように言った。この状態で歩く? ウソでしょ? 

 「大丈夫、歩けます。僕が支えますから」ときっぱりと言い(漢だね)、スチール製の歩行器を私に見せた。東君は慣れた様子で私の血圧や脈拍数を測り、そして簡潔に、しかし有無を言わせぬ迫力で、「それでは行きましょう」と続けた。彼の緊張が少しだけ伝わってきた。

 一歩一歩、確かめるように歩いた。私の左肘に東君が右手を添え、左手は歩行器をがっしりと掴んで支えている。病棟の中央にある回廊に沿って、ぐるりと一周のコースだ。太陽が燦々と降り注ぎ、金色に光って美しかった。窓から下の階に視線を向けると、忙しそうに働く看護師さんの横をゆっくりと歩く患者さんの姿が見える。廊下に面した病室の鏡に一瞬だけ映り込んだ自分の顔がやつれていて驚く。が、顔色自体はそう悪くない。むしろ、血色が戻っている。私の体の中で、何かが大きく変わったようだった。

DAY 6 術後二日目

 夜中、痛みで目が覚めた。しかし具体的にどこが痛いのか見当がつかない。とにかく、辛くて我慢できなかったので、躊躇せずナースコールを押した。背が高く、がっしりとした体格の看護師さんがすぐにやってきてくれた。

 彼はとても丁寧でやさしい人だ。「村井さん、どうしたん?」と静かに聞かれ、(半泣きで)強く痛むのだと訴えた。すると「ちょっと待っててね」と穏やかな口調で看護師さんは言い、足音も立てずに病室を出て、そしてすぐに戻ってきた。

 「痛み止めなんやけど、3種類あります。飲み薬、座薬、それから注射。どれにする?」と、自分の右手の指をゆっくりと折って私に見せながら、丁寧に説明してくれた。

 私は酷く狼狽えた。選択肢が与えられているのか!? まさかこれは究極の選択なのか!? ここであえて座薬を選んだら、この先何かいいことが!? 心のリミッターが完全に外れていた私は好奇心を抑えきれず、「ここであえて座薬を選ぶ人っているんですか?」とかすれる声で質問した。看護師さんは、一瞬面食らったようだったが、「うん、いてはるよ」と普通に答えた。

 結局私はこの時、即効性はあるが若干痛いという筋肉注射をしてもらったのだが、後日、患者が集うデイコーナーにいたおじいさんが、「わし、座薬にしてん」と仲のよい患者に打ち明けているのを聞いた。「自分で入れようと思ったのに、看護師さんに入れられてしもた」と言って、周囲を笑わせていた。

DAY 7 術後三日目

 「しんどそうやなあ」と言いつつ、清掃のおじいさんはせっせと黄色いモップを動かした。「せめて部屋だけはきれいにしてあげたいと思ってね」と言う。ベッド横の洗面台をスポンジでキュッキュッと磨きながら、「今日はお天気がええよ」と、振りかえって私に声をかける。

 何も言葉が出ない。おじいさんは、少し心配そうなそぶりで病室から出て行った。それに対して申し訳ないと思っても、だからといってその気持ちを言葉にする気力さえなかった。

 この日は朝食後に医師団の回診があった。若い男性医師が急いだ様子で病室に来ると、「回診がありますので」と、しばらく病室に留まるように私に言った。大丈夫、私は1ミリも動けない。ほどなくして、バタバタバタ……という足音が聞こえてきた。病室のドアが勢いよく開く。

 先頭を歩いていた執刀医の浅井先生が満面の笑みで明るく歌うように言った。「村井さ~ん、おはようございまーす! 調子はど……あれッ…?」 

 病室に入りきらないほど大勢の医師たちの視線が、一気に私に注がれている。ICUで私の首に刺さっていた管を抜いてくれた若い女性の顔が遠くに見えた。私はといえば、これ以上ないほど元気がなかった。笑顔を取り繕うことさえできない。しかしこれも、医師団のみなさんにとっては想定内のことだったろう。口々に、「うーん」とか、「あらら……」といった心配そうな声を漏らしつつ、全員が、「でも今は仕方がないよね……」という表情だった。そりゃそうだよ、仕方がないよ、大手術だもの。

 浅井先生は私のベッドの横に立つと、しばらく考えて、「抜こう、これ、抜いちゃって大丈夫だ」と、私のお腹から出ている二本の管を指して言った。うん、もう大丈夫だと確認するようにもう一度言い、「これが抜けたら楽になるから。がんばろうね」と私に声をかけると、足早に病室を出て行った。医師団全員が去って数分後、近藤先生がパタパタと病室に戻ってきた。

 「村井さん、それじゃコレ、抜きますね」の、抜きま……のあたりで、二本の管はあっという間に私の体から抜かれた。どれぐらいの長さがあっただろう。数十センチはあったはずだがよくわからない。ズズズ~っと抜かれていく感覚が、随分長かった。ホラー?

 「いたああ!」とかすれた声で叫ぶ私に、近藤先生は、「そうなんっすよ、これがねえ、いっちばん痛いっす、もうこれ以上痛いのはないっすから、ハイ、もうないっす、ハイ!!」と、申し訳なさそうに早口で言っていた。

DAY 8 術後四日目

 「術後三日目を境にぐっと楽になってきますから」と木下先生が言った通り、確かに楽になってきた。特に、管を抜いてもらってから、ウソのように体が軽くなった。異物が体の中に、それも胸元に存在していることで引き起こされる倦怠感は、二度と経験したくない。胸骨の痛みはあるが、管の異物感よりはマシだ。相変わらず喉ばかり渇いて食欲が出ないし、やる気も出ない。術後のむくみも一切引かない。本を読む気力も失せ、ただただ、窓から外を眺めたり、居眠りをして時間を潰した。

 

DAY9 術後五日目

 天気が良い日が続いている。歩けるようになってきた。ベッドから立ち上がってブラインドを上げると、見事な青空が見える。窓を少しだけ開ける。心地よいが、冷たい初春の風が勢いよく入ってきて、病室の温度を一気に下げてしまう。「寒くないですか?」と看護師さんは心配そうだったが、私には、肌寒さよりも新鮮な空気を吸える喜びの方が大きかった。

 体調は上向きだというのに、不安でいっぱいだ。私はここ数ヵ月間、危ない橋を渡り続けていたのではないか。いや、数ヶ月どころではない、数年、下手をすると十年以上、一歩踏み出せば奈落の底に落ちていくような断崖絶壁に立っていたことに気づかず過ごしていたのではないか。私が今まで何気なく進んできた道の下には、暗くてとてつもなく深い谷があったのではないか……。

 もし死んでいたら、子供たちはどうなっていたのだろうと考えずにはいられなかった。それからハードディスクの中身は常に整理しておかなければならない。絶対にだ。

DAY 10 術後六日目

 術後一週間が経過し、明らかに体調は上向きだ。日にち薬とはよく言ったもので、みるみるうちに元気になってくる。気持ちが下降線を辿ると、なぜだか腹が減る。不安に押しつぶされそうになると、それをかき消すかのような空腹が襲ってくる。落ち込むヒマはない、食べるんだ! と、そう体に命じられているかのようだ。内臓が音を立てて動き始める。かっと胸が熱くなる。空腹が満たされると、腹の底から力が湧いてくる。私は確かに生きている。こうして戻ってくることができたのだと、病室で仁王立ちする勢いだ。

DAY 12 術後七日目

 術後一週間が経過したので、今後のリハビリは、リハビリルームで行うと伝えられていた。別棟二階のリハビリルームに出向くと(看護師さんに車椅子で運んでもらったのだが)、デスクに東君が座っているのが見えた。マスクを取った姿をはじめて見たが、まるで時代劇に出てくるお侍さんのようにキリリと端正な顔立ちだった。東君、いいね(ビシッとサムズアップ)!

 心臓リハビリは、リハビリルームを入ってすぐ右手で行われていて、他の患者さんたちはすでに到着していた。80代だろう、とても痩せた男性と一緒に私はバイクを漕いだ。バイクの前に設置されたテレビには、春の選抜高校野球大会が映っていた。

「どこが悪かったんや?」 

「僧帽弁閉鎖不全症、弁膜症です」

「手術は無事に済んだんか?」

「はい、もう一週間経ちました」

「あんた、まだまだこれからや。がんばるんやで」

私はバイクを漕ぎ続けながら、はいと答えた。

(つづく)