カンボジアの夕刻、雨上がり。川向うにかかった虹を見ながら。


 大学に入学して間もない時だった。新入生同士が一人一人自己紹介をし、和気あいあいとした空気の中、一人の男の子がふざけ半分にこう言った。「俺、男が好きやからー!」と。本当は彼自身はゲイではないという。ただ“笑い”を誘おうと放った言葉だった。彼の思惑通り、何人かがけらけらと可笑しそうな声をあげ、そしてまた何ごともなかったかのように時が過ぎて行った。
 休憩時間に入ったときだった。ふと窓の外に目をやると、さっきまで輪の中にいた一人の女の子が、車の陰に隠れるようにうずくまっているのが見えた。肩が震えていた。泣いているのだとすぐにわかった。
 彼女は恋愛対象として、女性を好きになる人だった。あの時、男の子の自己紹介を聞いて、「私が人を好きになることは、人から笑われるようなことなんだ」、とその場から消えたいとさえ思ったのだという。
 あの時はまだ、LGBTという言葉を知る人は少なかった。自分の身近にそういった人たちがいることも、何気ない言葉に傷つくことがあることも、知らない人が大半だったと思う。そして私も、その一人だった。
 10年以上の時が経ち、2018年になった。いまだ“生産性”という「ものさし」で人を測り、性的少数者である自分を肯定することを「不幸」と決めつける言葉が、力を持っている。というよりも、そうした言葉を放ってしまう人が権力を有することを、容認される社会がここにある。
 私の友人がLGBTと呼ばれる人々のすべてを代表するわけではない。けれども彼女は、「無知」が差別を呼ぶことを教えてくれた。学び続けなければならない理由はそこにあるはずだ。私も、そして“あの言葉”を放った、杉田議員も。

カンボジアでは至るところに花が咲き誇っている季節。同じように見えて、一つ一つ、形が違うから愛おしい。