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安田菜津紀の写真日記

2018年7月20日 安田菜津紀の写真日記

故郷シリアを、日本から想うとき

著者: 安田菜津紀

リームさんと娘のサービーンちゃん。東京にて。

 昼の日差しの熱気が残る夕暮れ時、いつものようにネオンのきらびやかな光の中を、せわしなく人々が行き交う。そんな東京の喧騒を眺めながら、「日本の人々はいつも忙しそうに見えるわ」と彼女は少しいたずらっぽく微笑んだ。6月末から1週間ほど来日していたリーム・アッバスさん(25)は今、故郷シリアを離れ、隣国イラクに身を寄せている。自らも難民でありながら、JIM-NET(日本イラク医療支援ネットワーク)のスタッフとして、同じようにシリアから逃れてきた人々や、がんと闘う子どもたちの支援に尽力してきた。これまでの経験を日本の人々と分かち合おうと、JIM-NETの招へいを受けて来日していた。

 リームさんはかつて、シリアの首都ダマスカスにある看護学校に通っていた。徐々に熾烈になっていく内戦は、リームさんの生活にも徐々に影を落としていった。やがて情勢の悪化と共に、同級生たちが学校近くで誘拐されたり、殺害されたりということが続くようになった。病院スタッフが避難してしまい、看護師がいなくなってしまった病院で、まだ学生だったリームさんたちが負傷者たちの治療にあたらなくてはならないこともあった。悪夢のような日々をくぐり抜け、何とか隣国イラクへとたどり着いたのが2013年の夏のことだった。

 そんなリームさんの目に、日本はどう映ったのだろうか。滞在中は東京だけではなく、自ら望んで福島も訪れている。2011年3月、東日本大震災発災は、シリアでも緊急ニュースとして大きく報じられていた。家々をなぎ倒していく津波の光景に、ただただ驚くことしかできなかったという。シリアの内戦が始まったのも、同じ2011年3月だった。「故郷を突然追われる苦難は、シリアの状況と重なって見えました」と振り返る。

 今回の訪問では福島を実際に訪れ、復興に向かう人々の力に触れることができたという。その一方で、気がかりだったこともあった。仮設住宅でお年寄りが一人で暮らしていたり、孤独死が深刻な問題になっていたりと、人と繋がれずにいる人々の存在だ。「私たちの言葉に“孤独死”という言葉はないんです」と語るように、シリアでは如何に人々の繋がりが大切で、日常的なものだったかを改めて語る。

 確かに私自身が訪れた内戦前のシリアでも、出会った人々は皆、家族や親せき、友人たちとの繋がりを何よりも宝としていた。リームさん自身も思い出を語りだせば話が尽きない。高校で試験が終わった後、友人たちとはしゃぎながら訪れたアイスクリーム屋さん、深夜に出歩いても安全だった街の様子、そしてスンニ派やシーア派といった宗教の違い、国籍や人種の違いなど、意識することさえなく生活していたこと。

「シリアに行ったことがある人なら知っているはずです。小さな子どもたちがどれほど幸せそうに笑っていたか。今訪れても同じ光景を見ることはもうありません」。シリアは死んでしまった、とリームさんは感情を抑えきれずに、今の変わり果ててしまったシリアの様子を語る。今シリアに戻ったとしても、誰しもが家族や親せき、身近な人を亡くし、もしくは各国にばらばらになって暮らしている。もうかつての日常がそのまま戻ってくることなどありえないのだ。

 ここ数年はシリアのニュースを見ることさえできずにいるという。真偽のはっきりしない情報が飛び交っている上に、テレビをつければ否応なしに誰かが殺害された映像に触れることになる。彼女が抱えてきた悲しみややるせなさを、そんな映像が一気に呼び起こしてしまう。「革命が始まったとき、こんな事態になるとは想像していませんでした。もし過去に戻れるならば、そんな“革命”は選ばなかったでしょう。小さな子どもたちや友人たちが死んでいく、そんな自由は求めていないんです」。

 それでもなぜ、故郷に帰りたいと強く望むのだろうか。リームさんにとって故郷とはどんな存在なのだろうか。7カ月になる娘、サービーンちゃんを見つめながら、はっきりとした口調で彼女はこう教えてくれた。「赤ちゃんが母親から離れたがらないのと同じです。故郷シリアは母、私たちはそこから生まれた赤ん坊。戻りたいと思うのは、自然なことでしょう?」

 今のリームさんにとっての希望は、娘サービーンちゃんの成長だ。「この子が成長していつか結婚しても、私と暮らしてほしい! 私の元を決して離れないで!」とサービーンちゃんに語りかけるリームさんは、またいたずらっぽい笑顔に戻っていた。

 シリアが「戦場」と呼ばれるようになってから、7年以上の月日が経った。大切な人との日常、安心して暮らせる家、それらを7年以上も奪われたままだという状況を想像してほしい。内戦が長引くほどに、世界の関心は遠のいていく。けれども時を経るごとに、問題の根は深くなる。サービーンちゃんをはじめ、次世代を担う子どもたちが、「生まれてきてよかった」と思える故郷を築くために、人々が耳を傾け、力を持ち寄らなければいけないのは、むしろこれからではないだろうか。

サービーンちゃんが産まれる前にエコーで様子を見ていたときの一枚。イラク北部アルビル郊外、ダラシャクラン難民キャンプにて。
君とまた、あの場所へ―シリア難民の明日―

君とまた、あの場所へ―シリア難民の明日―

安田菜津紀

2016/04/22発売

シリアからの残酷な映像ばかりが注目される中、その陰に隠れて見過ごされている難民たちの日常を現地取材。彼らのささやかな声に耳を澄まし、「置き去りにされた悲しみ」に寄り添いながら、その苦悩と希望を撮り、綴って伝える渾身のルポ。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

安田菜津紀

1987年神奈川県生まれ。認定NPO法人Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル/D4P)フォトジャーナリスト。同団体の副代表。16歳のとき、「国境なき子どもたち」友情のレポーターとしてカンボジアで貧困にさらされる子どもたちを取材。現在、東南アジア、中東、アフリカ、日本国内で難民や貧困、災害の取材を進める。東日本大震災以降は陸前高田市を中心に、被災地を記録し続けている。著書に『写真で伝える仕事 -世界の子どもたちと向き合って-』(日本写真企画)、他。上智大学卒。現在、TBSテレビ『サンデーモーニング』にコメンテーターとして出演中。

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