いつか見上げた春

 

 2年ほど前のこと。仕事でお世話になっている方についての誤情報が、ネットで出回ってしまったことがあった。その人の顔と名前が晒された上、一時期凄まじい勢いでそれが拡散されてしまった。訂正記事を出してもその広がりは思わしくなく、彼は自分の家族にも危害が及ぶのではと追い詰められていた。
 性被害を必死に訴えた友人が、連日複数の匿名アカウントからネット上で酷い言葉を投げつけられたこともある。
 ネットでの情報発信は難しい。悪意を持った投げかけが瞬く間に広がることもあれば、助けを求める人にとっては数少ない声を出せる場となることもある。ネットそのものは手段のひとつに過ぎないかもしれないが、今を生きる私たちにとってその影響力は無視できるものではない。そうである以上、問われているのはそれを目にする私たちの姿勢なのだろう。不確定な情報を感情のままに拡散させてしまうことは、助けを求めた側が誹謗中傷される危険性もあれば、故意に悪意ある誤情報を流した人に加担する可能性もある。
 事実関係を丁寧に確認しながら、決して単なる両論併記ではなく、両者の証言をしっかりと照らし合わせて問題点をあぶり出していくこと。それが報道の役割や、伝え手としての責任ではないかと思ってきた。
 そして、情報の受け手の一人としても常に考えたい。これは本当に事実であるのか、もし事実だとしても、今の時点で拡散することが適切なのか、と。SNS上では「いいね!」や「リツイート」のボタンを前に、「押すのか、押さないのか」と、すぐに自分の立ち位置を求められているような感覚に陥りがちだ。今私たちに求められているのはむしろ、わからないことをすぐに判断せず、立ち止まって考えてみる勇気なのではないだろうか。

 

のんびりいこうよ、と春の猫