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2024年10月7日 小林秀雄賞

第二十三回小林秀雄賞

受賞のことばと選評

池谷裕二『夢を叶えるために脳はある 「私という現象」、高校生と脳を語り尽くす』

著者:

受賞者の池谷裕二氏

受賞作品

夢を叶えるために脳はある 「私という現象」、高校生と脳を語り尽くす』(2024年3月 講談社)

受賞のことば

小説を書きたしと思えども、あまりに難し―。せめては科学的エビデンスに基づいた「物語」を、と着地しました。脳研究や心理学が牽引する認知的アントロポセンにあって、自己の表象が相転移する浮遊感。「(わたくし)という現象」を求めて脳に汗かく徒労感。そんなヒトの魅力を味わいながら筆を進めました。宮沢賢治の『春と修羅』から100年という節目に、このような栄誉に与ったことに運命の導きを感じています。

(受賞者プロフィール)
池谷裕二(いけがや・ゆうじ)
1970年、静岡県藤枝市生まれ。薬学博士。現在、東京大学薬学部教授。脳研究者。著書に『進化しすぎた脳』、『単純な脳、複雑な「私」』(ともに朝日出版社/講談社ブルーバックス)、『記憶力を強くする』(講談社ブルーバックス)、『脳には妙なクセがある』(扶桑社新書/新潮文庫)、『パパは脳研究者』(クレヨンハウス/扶桑社新書)など。 

選評

日々に変容する世界の映し絵

片山杜秀

 著者がおのれの知見をあくまで書き言葉で綴る。それが名著。人間の脳が近代に陥った穴だ。プラトンを読め。対話体ではないか。聖書や『論語』や多くの仏典も見聞を記しているだけで、極端に言えば著者は記録係にすぎぬ。著者なんて所詮は大したものでない。個々の命なんて夢か現かをたゆたっているうちに消えてなくなるだけ。それなのに近代の人間中心主義は脳を神と祭り上げた。夢野久作の『ドグラ・マグラ』が描いた通り。過信しておかしくなった。そうしたら人工知能が人間だけに出来たつもりのことをたくさんやりおおせてくれる段階へ。人間は慌てふためく。人間中心主義は人間滅亡論に逆転する。本書はそんな人間を穴から救い上げる良書だ。日進月歩の脳の研究を混沌とした圧倒的分量の対話体で綴ってみせる。明日には改まるかもしれない知識をとくとくとして一人語りしてどうなる? 徹底的に開かれた文章でなければ! 対話体が生きる。あっちに行きこっちに行き。本自体のかたちが日々に変容する世界の映し絵。脳の本、かくあるべし。さて、本書の説くその脳とは、やはり一種の機械だ。刹那刹那に電気現象を生む装置だ。宮澤賢治の詩みたい。でもその電気現象も無限の可能性に満ちているわけではない。人間知は普遍知に非ず。神にも非ず。脳が分かれば分かるほど人間は相対化されてゆく。視覚や聴覚や触覚や記憶にどうしようもなく制約されるのが人間。その証拠に、脳をモデルとする人工知能は容易に超人間化する。たとえば本書のあげる囲碁の例。人間が自分で発明しておきながら囲碁の盤面は人間には広すぎる。人間流の空間把握でしか機能しない脳では勝利の方程式をついに解き明かせない。ところが、人間の脳を模倣したはずの人工知能は、人間の脳に付いて回る身体的制約に束縛されぬ面があるので、先へと突破できる。囲碁で人間より強くなる。だったら人工知能が神になり代わり、人間は退場してゆくほかないのか。本書はそんなペシミズムとは無縁だ。人間は制約されていてこそ人間。その制約ゆえの不自由な部分を人工知能等で補完し、進化させれば、まだまだ先がある。バナールの名著『宇宙・肉体・悪魔』を思い出す。生物としての進化の限界を補うのが科学だ。脳の限界を赤裸々にしてゆくことで、何を補うべきかが明らかにされ、その補いが可能になるだろう未来が、対話体ならではの取っ散らかり方で語り抜かれる。しかもその未来の可能性は日々に更新されている。本書もたちまち古くなるだろう。そこがまたいい。小林秀雄も最後は本居宣長と対話するほかなかった。人間なんて個体ではたかがしれている。その認識を深める果てにしか、希望はない。われわれの神経細胞は今この瞬間も発火している。生きるために。人間を見かぎることのみが人間の可能性を開く。永遠の未完成の愉悦。それが人間だ。

科学と文学、科学と哲学

國分功一郎

 最新の脳研究の成果を紹介した本書について、著者の池谷氏は、この本は「文学でさえありうる」だろうと述べている。その点について私は判断できない。だが少なくとも私は、本書が一つの哲学に到達しているとは断言したい。
 哲学は長い間、自然言語と深い関係にあった。それは哲学の可能性でもあったし、哲学の限界でもあった。本書が脳研究、そして機械学習(しばしば人工知能とも呼ばれる)を通じて示すのは、自然言語に頼っていた時とは比べものにならないほどに解像度の高い知識で人間の経験に迫る可能性である。私は本書を読み進める中で、「人間の経験の可能性の条件」を問うたカントの批判哲学が、この高解像度の知識によってリニューアルされる可能性について考えていた。
 脳研究や機械学習研究の紹介には、しばしば、「人間のこれこれの経験は何々に過ぎない」という言い回しが読まれる。たとえば「人間はアルゴリズムの集合に過ぎない」云々。なぜだろうか。そのように言うと安心するのだろう。安心したいということは、「もっと研究してもっと人間のことを知りたい」とは思っていないということだ。そのような態度の研究や著作に、私は全く興味を引かれない。本書にはそのような言い回しは一切読まれない。池谷氏がもっと研究してもっと人間のことを知りたいと思っているからだ。
 その心意気と最新の科学的成果についての知識は、驚くほど息の長い推論によって一つのストーリーへとまとめ上げられている。特に、講義一日目の後半部で、記憶、時間、夢を扱った箇所は圧巻であり、哲学は経験概念の再考を迫られたとすら言える。この箇所を読んで、「そんなことは分かっている」とか「以前から知られていたことだ」などと述べる者たちには、このような本を読むことも書くこともできまい。厖大な量の科学的なデータや仮説を眼前に見据えて思考し続け、一つのストーリーを作り出す池谷氏の文学的あるいは哲学的な才があればこそ、人の心を打つ推論と言葉が現れたのだ。
 一つ問いとして残るのは、本書は講義形式でなければ書かれ得なかったのかどうかである。本書の内容をいわゆる批評文の形式に書き換えることもできたかもしれない。しかし、池谷氏はその形式を拒否した。それは既存の批評文のあり方に対する問いかけでもある。
 科学と文学と哲学の関係を問い直す本書は、間違いなく、小林秀雄賞を受賞するに値する仕事である。

読みごたえと「忘却」

関川夏央

 池谷裕二『夢を叶えるために脳はある』は、原稿用紙にしてゆうに千枚を超える。長い、おもしろい、重たい。実際持ち重りで腕がしびれた。読みごたえ十分のうえに、タメになりすぎるほどタメになるから脳も疲れた。
 脳と人工知能についての著者の説明と分析を聞けば、多くの発見と驚きがある。そういうことだったのか、と膝を叩く。
 だが理科的知識とセンスに大いに欠ける読者、たとえば私の場合は、発見と驚きが、必ずしも身にしみない。簡単に忘れてしまい、自己嫌悪に見舞われる。
「しかし」と、著者はこの講義を受けているボランティアの高校生たちにいった。
 〈しかし、忘却は流れる時間のなかで生活するためには、必要な脳のプロセスなんだ。時間を感じるためには、記憶の(もろ)/さが必要だ〉
 〈いや、本当は逆だ。脳の記憶が脆いものだったからこそ、時間の流れが、心のなかで生じたんだ。記憶が褪せなければ、時間なんてものは無意味な概念だ〉
 〈つまり、記憶によってまとめあげたこの世界の眺めが、その後、徐々に褪せていく様子のことを、僕らは「時間の流れ」と呼んでいるにほかならない〉
 これは、脳にとっての時間の意味をしめした言葉であると同時に、普段「時間の流れ」を不必要なまでに感じがちな読者への慰めでもある。
 それにしても、講義に参加した有名高校の生徒たちの優秀さには恐れ入る。私は、ここでも「時間の流れ」の実感と後悔にさいなまれるのである。
 この本は、高校生たちの援軍をあおがず、著者自身の書き言葉だけで進めていったらどうだったか、という見方にも一定の説得力がある。
 しかし、多動的・多弁的な傾向を強く持つ「劇的な精神」である著者にとっては、「観客」というより「共演者群」の高校生たちとつくりだす「演劇的空間」が、どうしても必要だったのだと思う。その結果、著者が「私という現象」を通じて、他者に脳と人工知能について表現・解説したこの本は、長い長いダイヤローグとして成功した。

「状態」としての私たちに向かって

堀江敏幸

 脳がなぜこれほど発達してきたのかを、「私」とはなにか、宇宙とはなにか、時間とはなにかといった大きな主題に、論の柱となる神経のシナプスの形状でつなげていく、いわば内容と形式の一致の貫徹に、迫真の遊び心を見る思いだった。これだけ厚みのある言葉を後戻りなしで読めるのは、他者との対話を求め、反応を期待し、それに励まされてさらに表現を更新するという流れがあるからだろう。一方で、著者には自分ひとりで語り尽くしたいという欲望と、語る行為じたいにひそむ熱い核があり、その熱が高まるにつれて、周囲の声を里程標にすぎなくしてしまう危うさもある。
 しかし、これだけの長尺を支えて崩れないのは、語ろうとしている自分と目的地までの理路を、つねに醒めた眼で見つめているからでもある。熱を帯びた言葉を冷やすのは、「現実」とは「脳がシミュレーションでつくり出した仮想」であって、《「私」とは、存在ではなくて、いってみれば状態》であるという究極の認識である。これは脳とはなにかという議論とはべつに、文理の枠を超えて、創作に携わる者すべてが肝に銘じるべき指針となりうるだろう。語り言葉から起こされ整序されたひとつ位相の異なる書き言葉に、化学変化が生じる。論理が論理を超えて、哲学的な箴言に変容する。私はそこに大きな感銘を受けた。
 本書は完全な劇場型である。読み進めれば時間はいやおうなく流れる。流れる時間のなかで息をつくためには随時「忘却」が必要であり、「時間を感じるためには、記憶の脆さが必要」で、「記憶がなければ時間はない。もし記憶がどんどんと消えてしまうような状態だったら、もはや、時間を認知できない」とまで思念はひろがる。
 語りの冷却にも何段階かの層があり、源にあるのが、「いかなる仮説も、それが「正しい」ことを、積極的には証明できない」という前提である。語っている者も聴いている者も、それぞれの一人称が「シミュレーションされた仮想事象である」ことを自覚できない。証明も否定もできない。
 では、身も蓋もないこの空虚にたどりつくために費やされる言葉が大きな無駄であり、エントロピーの増大と、無自覚な私たちの衰滅のみを意味しているのかといえば、そうではない。本書は言葉による仮想事象の行き着いた袋小路がどれほど豊かなものであるかを、みごとに示しているからだ。読了後も語りの熱は消えず、大部の本が一挙に軽く感じられたのは夢まぼろしではない。私は私という現状のなかで、そのように実感している。

行き届いた現代脳科学の総説

養老孟司

 池谷さんの本は、たいへん目配りの良い、行き届いた現代脳科学の総説だった。高校生を相手にするという面で、配慮が行き届いた良い教科書という感もある。学生の頃に、ある教科書について、教えられたことを思いだした。「この教科書はたいへんよい教科書だが、すべてがわかったような気がしてしまう」。そこが問題だと指摘を受けたのである。著者にも当然よくわからなくて苦しんでいる問題があるはずだが、本書からはそれが見えてこない気がする。私の世代では学問や科学は悪戦苦闘の連続だったように思うが、そういう時代はもはや過ぎ去ったのであろう。若者たちによって明るい学問がどんどん進む時代になったに違いない。慶賀すべきことであろう。

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 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

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