第7回 さようなら、先輩ママ。「良かれと思って」“支配”からの、卒業
著者: 山野井春絵
「LINEが既読スルー」友人からの突然のサインに、「嫌われた? でもなぜ?」と思い悩む。あるいは、仲の良かった友人と「もう会わない」そう決意して、自ら距離を置く――。友人関係をめぐって、そんなほろ苦い経験をしたことはありませんか?
自らも友人との離別に苦しんだ経験のあるライターが、「いつ・どのようにして友達と別れたのか?」その経緯を20~80代の人々にインタビュー。「理由なきフェイドアウト」から「いわくつきの絶交」まで、さまざまなケースを紹介。離別の後悔を晴らすかのごとく、「大人になってからの友情」を見つめ直します。
※本連載は、プライバシー保護の観点から、インタビューに登場した人物の氏名や属性、環境の一部を変更・再構成しています。
地方都市の郊外に暮らす亜季子さん(40)は、夫婦でベーカリーを複数店舗営んでいる。マッシュルームカットがよく似合う、童顔の女性だ。小学生の子どもを2人育てている。ふんわりと優しい笑顔で、ゆっくりと話す、癒し系の女性。誰からも好かれるだろうな、という印象を持った。隣町でギャラリーカフェを経営する房枝さん(52)とは、ひとまわり年の離れたママ友だった。豪快タイプで、面倒見のいい房枝さんのことは、子育ての協力から店舗経営のアドバイスまでさまざまな面で頼りにしていたというが、関係が悪化。「明るくて楽しい房枝さんのことが、大好きでした。でももう、彼女からのアドバイスは必要ありません」。姉のように慕っていた房枝さんはいつから切りたい「悪縁」となったのか。「ママ友」はもっとも脆弱なシスターフッドなのか?
彼女は子育て中のメンターだった
房枝さんとは、上の娘が6ヶ月のころ、彼女が経営するギャラリーカフェに行ったのをきっかけに、仲良くなりました。房枝さんは1歳児を背中におんぶしながら、大学生の女の子たちをアルバイトに使い、チャキチャキとお店を切り盛りしていました。その姿は、とてもかっこよく見えました。
産後は近くにある実家にいりびたっていたこともあり、なかなかママ友ができず、私と娘の2人だけで飲食店に入るのは、その日が初めて。少し緊張しながら、店に入る前から抱っこ紐の中で眠っていた娘を座敷席の座布団にそっと寝かせ、ランチセットを注文しました。ところがいざ食べようとしたそのとき、娘は急に目を覚まして泣き出したのです。仕方なく外へ出ようとすると、房枝さんがさっと娘を抱き上げてくれました。
娘はとても人見知りで、他人に抱かれると泣いてしまったものですが、房枝さんは別でした。自分も子どもを背負っているのに、笑顔で私に、「大丈夫、抱っこしているから、ゆっくり食べて。たまにはいいじゃない?」と言いながら、娘を抱いてずっとスクワットしてくれたので、娘はまた眠ってくれたのです。その姿に、思いがけず私は涙をこぼしてしまいました。
「わかりますよ、子育てって、孤独ですよね。いつでも来てください。ちょっと人と話して、お茶するだけでも気持ちがラクになりますから」
房枝さんは優しい笑顔でそう言ってくれました。私は食べながら泣きました。
話すうちに、同じバンドのファンだということがわかって、意気投合。帰りがけに連絡先を交換し、そこからママ友としての濃密なお付き合いが始まりました。
私の夫は、パン職人です。私も以前同じベーカリーで勤務していて、そこで知り合い、結婚しました。房枝さんと知り合った当時、夫は別のベーカリーで雇われ店長をしていました。「いつか自分たちの店を持ちたい」という夢を抱きながら、懸命に働いていました。
私は房枝さんのギャラリーカフェへ通うようになり、房枝さんがオフの日には、お互いの家を行き来したり、一緒にいろんなところへ出かけたりしました。当時私たち家族は小さな賃貸アパートに住んでいたのですが、お嬢様育ちの房枝さんは広い分譲マンション暮らし。3つ年下のご主人は大手企業にお勤めです。彼も気さくな性格で、夫とも仲良くしてくれたので、私たち家族がよく房枝さんのマンションを訪れて、時にはお泊まり会もしていました。娘は房枝さん夫妻によくなつき、房枝さんの息子さんとも仲良く遊びました。
会員制のリゾートホテルやキャンプなどにも、よく誘ってもらいました。夫は休みが少ないので、たまの参加になりましたが、房枝さんのご主人が運転するアウディの大型SUVに家族で乗せてもらったときなどは、その乗り心地に感動して、「いつか俺もこんな車に乗りたいなあ」と車内を見回していたものです。ドライブ中は「おかあさんといっしょ」の音楽で大人たちがノリノリになって、子どもたちが多少グズっても、全然気になりませんでした。母子4人で「しまじろう」のコンサートへ出かけたのもいい思い出です。子どもを預けて推しバンドのライブにも2人で何度か行きました。あのころは、本当に楽しかったです。
房枝さんは、仕事ができるだけでなく、子育てもこなれていて、余裕をもってやっているように見えました。離乳食のステップアップや、乳離れをさせるこつなど、たくさんのことを教えてもらいました。子どもへの声がけも上手で、なんというか、距離感がうまいのです。「おいおい、お坊ちゃん、今日は食べないのかい?」まるでお笑い芸人のように子どもに話しかける様子は、見ていてもすごく楽しかった。一方、私は初めての子育てで精いっぱいです。娘がご飯を食べなかったり、癇癪を起こしたりすることにいちいち苛立ち、落ち込んでいましたが、房枝さんの口調を真似て娘に接すると、少し楽になる気がしました。あのころ、私にとって、房枝さんはメンターだったと思います。
房枝さんは、近くの保育園に空きが出るとすぐに息子を預けて、バリバリ仕事をするようになりました。ギャラリーでは各地から陶器やガラスの作家を呼んで、個展やパーティーをたびたび企画していました。狭いアパートで子育てだけをしている私からは、とてもキラキラして見え、別の世界の人なのかな……と寂しい思いをしたこともあります。そんな私の気持ちを察してか、房枝さんはよく私を誘ってくれて、ママ向けのイベントを開催するときなど、受付のお手伝いをさせてくれることもありました。そんなときは、「アキちゃんも、どんどんおしゃれしなきゃ」と、ブランド物の洋服やアクセサリーを貸してくれたのです。私は房枝さんのスタイルに憧れていたので、とても嬉しく、それらを身につけることで誇らしい気持ちになったものでした。会えないときもしょっちゅうLINEをくれて、簡単にできる晩ご飯のレシピや、子育てのお役立ち動画を送ってくれたりもしました。
何度かお泊まり会をするうちに、ある夜、房枝さんが過去についての打ち明け話をしてくれました。それはなかなか衝撃的な内容で、正直驚きましたが、「過去を乗り越えて、今の幸せを掴んだ房枝さんは、本当にすごいと思う」と伝えると、房枝さんはわっと泣き出しました。そんな房枝さんの姿に、私ももらい泣きしてしまいました。
「アキちゃん、聞いてくれてありがとう。心が楽になったわ」
涙を拭いながらそう言う房枝さんに、私は、大人になっても心からの友達ってできるものなんだな、と感動しました。
「うちのカフェで、あなたのパンを出してみたら?」
そのころ夫は、勤めているベーカリーで、自分が思うような仕事ができないことに悩んでいました。県内に5店舗ほどあるチェーン店だったので、メニューは本部が決めて、雇われ店長である夫はマニュアル通りのパンに専念しなければなりません。スーパーに入っている店舗だったため、主力はクリームパンやあんぱん、焼きそばパンなどスタンダードなメニューでした。社長が訪れるたび、「こんなパンはどうか」と提案をするのですが、なかなか取り合ってもらえないとぼやいていました。「国産小麦にこだわってシンプルなパンを作りたい」と自宅で天然酵母を育て、休みの日でも生地を作っていましたが、転職する勇気もなく、宙ぶらりんな気持ちをもてあましているようでした。そんな気持ちをふと、飲み会の席で夫が漏らしたとき、房枝さんが言いました。
「じゃあ、うちのカフェで、週に1回、あなたの作りたいパンを出してみたら?」
願ってもない提案だと夫は喜び、すぐに自宅でパンを数種類作ると、房枝さんに持って行きました。房枝さんはそのパンをとても気に入って、さっそくカフェのキッチンで作らせてもらえることになりました。
夫は、翌日が休みの日には、仕事を終えるとすぐに房枝さんのカフェのキッチンへ行き、深夜まで自分のパンを仕込むようになりました。そのうち、睡眠不足が続くことを心配した私は、早朝、両親に娘を預けてカフェへ向かい、夫とバトンタッチをしてパンを焼き上げるようになったのです。並行して私の実家の一部を改装し、菓子製造業の許可申請を出しました。
数ヶ月の間そんな生活を続けているうちに保健所から許可が下り、私と夫は自分たちの小さなアトリエで週に一度のパン作りをはじめました。夫が仕込んだ生地を私が焼きあげ、娘と一緒に、当時乗っていたピンク色のラパン(軽自動車)でカフェに配達しました。房枝さんは「ラパンのパン」と命名して、ポップを作り、レジのそばに棚を置いて、しっかりしたコーナーを作ってくれました。私が配達すると、カフェのお客さんが「ラパンさんがきた」と喜んでくれたものです。やがて、カフェのお客さんだったオーガニックマーケットのオーナーの目に止まり、そこでも扱ってくれることになったのです。夫はますます張り切って、休みを返上し、国産小麦と天然酵母のパンの開発に夢中になりました。
房枝さんのカフェオープンは11時。5キロほど離れた場所にあるオーガニックマーケットのオープンは9時です。そのため、私は先にオーガニックマーケットへパンを納品してから、房枝さんのカフェに向かうというのが、週一のルーティーンになりました。房枝さんのところにパンを置いたら、そのままモーニングコーヒーをいただいて、房枝さんとおしゃべりをする、そんな時間が、私にとっては楽しい息抜きでした。
そんなある日、房枝さんが怪訝な表情で言ったのです。
「アキちゃん、○○さん(オーガニックマーケット)には、うちとはまた別の種類のパンがあるって聞いたんだけど、本当?」
実際に、オーガニックマーケットの顧客からのオーダーがあり、数種類多めに納品をしていました。その通りを話すと、房枝さんは少し厳しい口調でこう言いました。
「それはちょっと、ルール違反じゃないかしら。あまり細かいことはこれまで言ってこなかったけれど、うちを通してやってくれていると思っていたのよね。言うなれば、ラパンのパンって、アキちゃんたちと、うちのカフェとのコラボ商品じゃない? オーガニックマーケットさんもそういう安心感があるから、あなたたちのパンを置くようにしたと思うんだけど。うちを飛ばして、どんどん商売を広げられるのは、ちょっと、どうかと思う」
コラボ商品? 私はその言葉に少し違和感を感じました。自分たちのアトリエで作っているのですから、パンは夫と私のブランドです。しかし、確かにカフェでの販売を提案してくれたのは房枝さんでしたし、カフェのキッチンもお借りしなければ、最初の一歩を踏み出すことはできませんでした。オーガニックマーケットとの関係をつないでくれたのも……、一瞬のうちにそこまで考えて、私は言葉を飲み込み、あわてて房枝さんに謝ったのです。
「ごめんなさい、房枝さんにはものすごくお世話になっているのに、失礼なことをしてしまって。オーガニックマーケットさんとの取引は……」
「いや、やめろなんて、言ってるわけじゃないのよ。ただ、きちんと話してほしかった。うちのカフェでも、何かリクエストをしたら、作ってくれたのかなとか、いろいろ考えてしまって」
「もちろん、房枝さんが食べたいパンを、旦那に作らせる。なんでも言って? 房枝さんには、お礼をしてもしきれないほどなのに、嫌な気持ちにさせてしまって、本当にごめんなさい」
その次の納品日、私は近くの農産物直売所で果物をたくさん買い込み、お詫びにもっていきました。房枝さんの機嫌はそのときにはすっかり直っていて、オーガニックマーケットとの取引はそのまま続けてもよいということになり、ほっとしました。
オーガニックマーケットでは、納品したパンをすべて買い取ってもらっていました。房枝さんのカフェでは、売り上げた分だけの金額をいただいて、売れなかったパンはそのまま房枝さんに差し上げていました。それが少しでもの私たちからの誠意だと思っていたのですが、実際には、どれくらいパンが売れていたのか、よくわかりません。「ごめんね、ほとんど売れなかった」というLINEがきたこともあります。夫は「カフェのお客さんはみんな俺のパンに飽きちゃったのかな」と肩を落としていましたが、オーガニックマーケットでの売り上げはよかったので、毎週腕を振るっていました。
無意識なるママ友マインドコントロール
思い返してみれば、あのころから、少しずつ、関係が変わっていったような気がします。
恒例の2家族での飲み会の席では、毎回房枝さんが私の夫に「ダメだし」をするようになりました。「あのパンは酸っぱすぎる」、「あのパンでは子どもにウケない」、「金額の設定がよくない」、などなど。お酒好きの房枝さんは、酔えば酔うほど饒舌になり、ダメだしモードに入ると、さらにフルスロットルでまくし立てるのです。「良かれと思って言うけどさ」が口癖でした。夫が首を垂れ、反省めいたことを言うと、房枝さんは満足そうでした。そんなとき子どもたちは、隣室で、下戸である房枝さんの旦那さんと仲良く遊んでいます。私も房枝さんを信じていましたから、「そうだよ、ちゃんとマーケティングしないと」なんて、一緒になって夫を追い込んだりしていました。今思えば、夫に申しわけなかった。プライドを踏みにじっていたのではと、反省しています。夫はだんだん房枝さん家族との会合に参加することを避けるようになりました。
今になって当時のことを振り返ると、薄寒い気持ちになることがあります。
九州で、ママ友のマインドコントロールによって母親が子どもを餓死させてしまった事件がありました。はじめは「酷いママ友もいるもんだな」くらいに思っていましたが、ふと、房枝さんと私(と夫)は、少なからずああいう関係性を築いてしまっていたのではないか、と気づいたのです。もちろん房枝さんはそこまで酷い人ではありませんし、何も起こっていませんが、私は、あの事件が他人ごとには思えません。
「もっと勉強するべき」「もっと広い世界を見るべき」。
そんなふうに、彼女はよく「〜べき」という言葉を使っていました。「アキちゃんにはこんな服は似合わない」とか、夫の悪いところをどう直したらいいかというところまで、今思えば、ずいぶん支配的なことを言われていたと思います。「良かれと思って」言っていたのだろうと思いますが……。
娘の幼稚園を通じて、私にもママ友が増え、新たなコミュニティが広がっていきました。下の娘が生まれたころ、夫も市が開催する創業支援のプログラムを受けて、いよいよ独立への道を進みはじめました。思い切ってチェーン店のベーカリーを退職すると、パンとお菓子のネット販売をはじめたのです。ほどなくコロナ禍に入ったのですが、ここで冷凍パンの通販が当たり、夫と私の両親が総出で手伝うほど、忙しくなったのです。背中に次女をおんぶしながら毎日発送作業に取り組みました。
房枝さんのカフェは休業していたので、パンの納品もなくなりました。子どもたちも小学校に進学し、お祝いをしようといいながら、ステイホームで飲み会もできず、交流も自然消滅という感じになっていました。それでもやりとりは続いており、夫の独立を喜んだ房枝さんは、「次は実店舗を」と、おいしいベーカリーやカフェの情報をよく送ってくれました。おしゃれなインテリアにも詳しいので、頼りになります。私もいろいろと相談したくて、「早く会いたいね」とよくメッセージを送り合っていました。
コロナが開けたころ、房枝さんがディズニーランド一泊旅行に誘ってくれました。子どもたちとママだけの、気軽な旅です。翌日は都内でベーカリーめぐりをしました。パンのラインナップや内装、スタッフの配置など、房枝さんからアドバイスを受けながら写真をたくさん撮りました。帰りの新幹線では、買い込んだパンをみんなでたくさん食べました。房枝さんもカフェ営業を再開するとはりきっていました。「アキちゃんもいよいよ、パン屋の女将ね。仕事をするママ同士、これからもよろしく」と乾杯しました。
新装開店ベーカリーの試食会事件
実家のアトリエとは別の場所に店舗を構え、本格的にベーカリー経営をスタートする前に、「パンのラインナップを決めるために本格的な試食会がしたい」と夫が言い出しました。予定しているパンの種類を時間差で用意し、リハーサルのような形で、できるだけ多くの人に無料で食べてもらおうと計画を練りました。
最初の店舗は、長女と次女が通っていた幼稚園のすぐ近くにオープンさせることになったので、試食会は園が子どもたちを少し長く預かってくれる水曜日に設定。房枝さんをはじめ、幼稚園のママ友たちにもLINEを回して誘いました。
ところが房枝さんは、その月の水曜日はどの日も都合が悪いから、日程を変えてくれないか、と言ってきたのです。すでにたくさんのママ友たちから参加の連絡が来ていましたし、そもそもエリア的にターゲットはそこにあったので……ということは言いませんでしたが、日程を変えることは難しい、とだけ伝えると、長いLINEが届いたのです。「私に日程の相談もしてもらえなかったことが残念」とか、「一緒にいろいろ考えてきた仲間だと思っていたのに」とか、「良かれと思って言うけど@@君(夫のことです)のパンにはまだまだ心配がある」とか、そういう調子です。文面から怒りがありありと伝わってきました。もう削除してしまったので、細かいところは忘れてしまいましたが、私はそのLINEを読んで、はじめはずいぶん落ち込みました。しかしだんだん、腹が立ってきたのです。
房枝さんは、私たちのオーナーでもなんでもない。お金を出してくれたこともない。なんならカフェ納品時代にパンは半分タダのような形で渡してきたこともあって、これまでため込んできたモヤモヤが溢れてきます。ぶつけたい気持ちを抑えつつ、私は彼女に、日程は変えられないことを丁寧な文章で伝えました。申し訳ありませんと書きながら、なぜ私は謝っているのだろう、と涙が出てきました。そのころ下の子のイヤイヤが激しくて、私自身イライラしていたというのもあります。房枝さんには、この謝りのLINEは既読スルーされました。毎日返事を待っていましたが、やがて、それならそれでもういいや、と、吹っ切れた気持ちになりました。
試食会はおかげさまで大盛況でした。ベーカリーは内装も最終段階、いよいよオープン直前というころ、房枝さんからまたLINEが届いたのです。私たちの店についてまた何か物申すのかな……と構えながら読むと、それは驚くべき内容でした。房枝さんの過去の秘密を、私が言いふらしたのではと、長文で非難してきたのです。もちろん、私は誰にも話していません。というよりも、そんなこと、すっかり忘れていたのです。なぜそんな言いがかりをつけてくるのか、房枝さんに何があったのかと気にはなりましたが、冷静にやりとりできる気もしません。少し迷いましたが、夫に、房枝さんからのLINEを見せました。
「房枝さんが自分で、酔っ払って誰かに言ったんだろう。あの人、すっかり壊れたおばさんになっちゃったね。取り合わない方がいいと思う」と夫は言いました。
それきり、私は房枝さんのLINEには返事をすることなく、そのうち削除しました。残しておくと、何か嫌なことが起こりそうな気がしたからです。
そのすぐ後に、房枝さんと共通の知人とお茶をしたとき、こんなことを言われました。
「アキちゃんのパン屋さんは、房枝さんプロデュースなんだよね? メニューとか、ほとんど房枝さんのアイデアだって聞いたわよ。房枝さんと共同経営なの?」
もちろん否定しましたが、そんな噂が広まっていることに愕然としました。夫も、「俺たちのアイデアだ!」と憤然としていました。オープンにケチがつけられたようでいても立ってもいられず、私は子どもたちと幼稚園の近くにあった神社に毎日通って「この悪縁を断ち切ってください」と祈りました。
復縁の手紙は逆効果
ベーカリーがオープンして半年ほど経ったころ、突然、房枝さんからとても大きなお花が届きました。そこには、数枚にわたる手紙も添えられていました。その内容は、私たちとの関係を取り戻したいという懇願でした。
自分は更年期かもしれない、少しおかしくなっていた、許してほしい、パン屋さんのオープンには手伝いに行くことを夢見ていた、私にできることはなんでもさせてほしい……などと書き連ねてありました。
でもその手紙は私と夫の心を動かすことはありませんでした。むしろますます頑なに、「関わらないほうがいい」と拒絶の気持ちを強固にしたのです。
なぜ10年近くも仲良くした、一時は姉のように慕い、信奉すらしていた相手に、こんな気持ちになってしまうのか。それはやはり、房枝さんの支配欲に触れてしまったからだと思います。憧れて、好きだったからこそ、房枝さんへの失望感も大きかった。はっきりいって、大嫌いになりました。すっかり「カエル化」した房枝さんに対して、もう憧れの気持ちが戻ることはなかったのです。
おかげさまでベーカリーは順調で、数年で3店舗にまで増やすことができました。私はたまに1号店のレジに立っています。一度だけ、房枝さんの息子さんが自転車でパンを買いに来てくれたことがありました。何も言わずに、ちょっと笑って、会釈してくれましたが、房枝さんにそっくりでした。今でもたまに、2家族で仲良くしていたころの写真がGoogleで上がってくると、ドキッとします。インスタは、お互いにまだ繋がっています。房枝さんはいつも私がアップするストーリーズを一番に見ており、すぐにアイコンが確認できます。
房枝さんのカフェは今も続いているようですが、休みがちだと聞きました。私はなるべくカフェのあるエリアには近づかないように気をつけています。たまにスーパーの駐車場などで房枝さんやご主人を見かけたりすることがありますが、向こうは私たちに気づいていないようです。私たちはもう、ラパンには乗っていないので。
(※本連載は、プライバシー保護の観点から、インタビューに登場した人物の氏名や属性、環境の一部を変更・再構成しています)
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山野井春絵
1973年生まれ、愛知県出身。ライター、インタビュアー。同志社女子大学卒業、金城学院大学大学院修士課程修了。広告代理店、編集プロダクション、広報職を経てフリーに。WEBメディアや雑誌でタレント・文化人から政治家・ビジネスパーソンまで、多数の人物インタビュー記事を執筆。湘南と信州で二拠点生活。ペットはインコと柴犬。(撮影:殿村誠士)
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はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
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