人生いかに生きるべきかをとことん考え、よりよく生きるために、小林秀雄先生が日頃から大事にしていたこととして、「微妙ということ」「原始ということ」に折々ふれてきたが、もうひとつの大事は「直観ということ」であった。
昭和四十年(一九六五)六月、『新潮』で連載が始められた「本居宣長」は、十一年半の月日を閲して五十一年暮に連載を終了、翌五十二年十月、単行本となって世に出た。それに合せて『新潮』は、同年十二月号に小林先生と江藤淳さんとの対談「『本居宣長』をめぐって」を載せた(新潮社刊「小林秀雄全作品」第28集所収)。その対談の皮切りで、江藤さんが執筆にかかった年数を話題にしたのに対して、先生はこう答えた。
――十一年半ですって……。碁、将棋で、初めに「手」が見える、勘で、これだなと直ぐ思う、後は、それを確かめるために読む、読むのに時間がかかる、そういうことなんだそうだね。言わば、私も、そういうことをやっていたのだね。こっちはまるで無学で、相手は大変な博学ですからね、ひらめきを確かめるのに苦労した、というところに長くかかったことの大半の原因がある。……
小林先生が、江藤さんに語った「碁、将棋で、初めに『手』が見える、勘で、これだなと直ぐ思う」については、「本居宣長」を書き始めるより前の昭和三十六年八月、九州・雲仙で行われた全国学生青年合宿教室に招かれて講演し、講演後に、物を考えるときの直観・直覚と分析とについて訊いてきた学生に答えて、こう言っている。新潮文庫に入っている『学生との対話』の八十六頁で読めるが、大意は、
――物を考えるにあたっては、直観、分析、どちらも必要である。だが、手順を誤ってはいけない。最初に直観、続いて分析である。直観から分析への道はある、しかし、分析から直観への道はない。……
次いで、その具体例を将棋で示す。
――将棋だってそうでしょう。プロはパッと直覚するんです。木村義雄八段が書いていたが、プロは二時間も考える、あれは手を考えているのではない。パッと直覚した手が果たして正しいか、そこを分析しているのです。こうして長時間かけて分析し、やはりこれだとなって直覚した手を指すのです。……
この、木村義雄八段の直覚の話は、『新潮』に江藤さんとの対談が載った年の暮、ということは、出たばかりの『本居宣長』が驚異的な売行きを示していた頃だが、先生が行きつけだった鎌倉・小町通りの「なか川」で、先生を囲む数人の忘年会をもった席でも話題にのぼり、先生は、江藤さんとの対談で言われたことをより詳しく私たちに話された。
――将棋は将棋でも、素人の将棋は、自分の指す番となるとうまい手はどこだと盤上を探し回る、しかし、プロの棋士はそうではない、直覚するのだ、自分の手番となるや、盤面をぱっと見ただけで、これだ、この手だと瞬時に閃く、その閃き、直観を、次には分析する。プロは、一時間も二時間もかけて長考するが、あの長考は、あれかこれかといい手を探しているのではない、一目見て閃いた手が、ほんとうにこれでいいかと読んでいるのだ、分析しているのだ、ひょっとするとこれかと思える手がほかにも見えているときはそれも読む、そうして読めるところまで読みきって、やはりこれだと確信できた手、すなわち、直観で閃いた手を指すのだ……。
木村義雄八段は、明治三十八年(一九〇五)の生まれというから、小林先生と同年代である。今日、竜王戦と並んで将棋界最高峰の棋戦とされる名人戦は、昭和十二年、それまでの世襲制・推挙制から実力制になったのだが、木村八段は実力制第一期の名人位を獲得し、通算八期保持した大棋士である。
その木村八段が言った指し手の直観は、今日、私たちも耳にする。かつて名人位ほかの七冠を独占し、現在も三冠を保持している羽生善治さんや、つい先日、前人未到の二十九連勝を達成した藤井聡太四段が現れるまで、棋士のプロ入り最年少記録を六十三年にもわたって持ち続け、最後は史上最年長棋士、史上最年長勝利の記録を打ちたてて引退した加藤一二三さんも同じことを言っている。羽生さんが、直観の正解率は七割だと言っていたのを何かで読んだ記憶もある。
『新潮』連載中に、連載が長年に及んでいるのは、「宣長の像が変ってきているのですか」と私が訊いたとき、「ちがう、そうではない。最初に直観した宣長さんの像はまったく変っていない、変るのではない、精しくなるのだ」と、小林先生は厳しい口調で返されたということをこの小文の第十一回で書いた。おそらく、あのときも、先生の脳裏には木村八段の言葉があっただろう。
小林先生は、将棋は指さなかったが碁は打っていた。碁には文壇でも川端康成、坂口安吾といった兵(つわもの)が何人もいて、先生はそういう猛者とは比ぶべくもなかったらしいが、私が約束した日にお宅へ伺うと、和室で独り碁盤に向かい、石を並べている先生に行きあったことが二、三度ある。五十一歳から始めたゴルフも研究熱心で知られた先生である、プロの棋士が何をどう考えて盤に向かっているかは、それこそ想像力の限りを尽くして思い量っていたであろう。
昭和三十九年八月、「本居宣長」を『新潮』に連載し始めるほぼ一年前、このときは九州・桜島で行われた全国学生青年合宿教室で「常識について」と題して講演し、その講演録を文章にして『展望』に寄せた(同第25集所収)。そこでは、こう言っている。
ベルグソンは、ある講演のなかでデカルトの「方法の話」にふれ(池田注:「方法の話」は小林先生の訳語で、一般には「方法序説」として知られている)、最初に大発見をしておいて、次に、この発見をするにはどうすればよかったかを後から問う天才を私たちは眼(ま)のあたりに見ると言い、こういう精神の進み方は、一見矛盾しているように見えるが、実は一番自然な歩き方だと言う、このベルグソンの意見を、自分は正しいと思う、大発見は適(かな)わぬ私たちの精神にしても、本当に生き生きと働いている時には、こういう道を歩いている、と先生は語って、こう続ける。
――例えば碁打ちの上手が、何時間も、生き生きと考える事が出来るのは、一つあるいは若干の着手を先ず発見しているからだ。発見しているから、これを実地について確かめる読みというものが可能なのだ。人々は普通、これを逆に考え勝ちだ。読みという分析から、着手という発見に到ると考えるが、そんな不自然な心の動き方はありはしない。ありそうな気がするだけです。それが、下手の考え休むに似たり、という言葉の真意である。……
小林先生が、江藤淳さんや学生の質問に将棋を持ち出して答えたのは、単なる例えとしてではなかっただろう。囲碁を嗜んで知ったプロと素人の懸隔に照らして、またそれを、本を読んでものを書くという自分自身のプロとしての経験に照らして、木村八段の話に深くうなずいていたからであろう。
プロの棋士は、自分の手番となったとき、盤面を見た瞬間にこれだとわかる……、まず大事なのは、ここである、勘である。ところが、いつのころからか、勘は悪いものだと思いこんでいる、あるいは決めつけている若者によく出会うようになった。これはどうやら、小学校から中学校、高校へと、先生たちに「勘に頼ってはいけません」と言い続けられてきたせいであるらしい。ここには、それこそとんでもない勘違いがある。先生たちが言ったのは、たぶん、山勘に頼ってはいけませんというのである。予習も復習も試験勉強もせずに答案用紙の解答欄を埋めてはいけません、というのである。その「山勘」に、「直観」は呑み込まれてしまったようなのだ。こうして直観もが悪者扱いされ、何から何まで分析に始り分析に終る、そういう人生しか知らない日本人が圧倒的多数となった。むろん先生たちのなかにも、山勘と直観の区別がついていない人は大勢いたであろう。
直観あるいは直感は、頭だけの問題ではない。直観・直感を俗に第六感と言うが、これは視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚という五感の次にある感覚という意味だろう。その第六感は、五感に比して負けず劣らずどころか、五感と肩を並べる必須の感覚だということは、私たちの経験からも言えると思う。たとえば、雨上がりの道を歩いていて、水たまりに遭う。これを自分の歩幅で跨ぎ越せるか否か、私たちは瞬時に判断して跨ぎ越す、もしくは避けて通る。第六感がはたらいてくれればこそであろう。
そういうわけで、人間の直観力というものは、その場その場で、最善の選択肢はこれだ、最善の進路はここだと、瞬時にランプを点(とも)してくれるものらしいのである。プロの棋士には遠く及ばないとしても、私たち誰もに直観力は備わっている。これほどに幻妙な直観力を授かっていながら、勘に頼ってはいけませんなどという大雑把な教育言語に縛られていたのでは、人間として生まれてきた甲斐がないのである。
(第十九回 了)
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池田雅延
いけだ・まさのぶ 1946年(昭和21)生れ。70年新潮社に入社。71年、小林秀雄氏の書籍編集係となり、83年の氏の死去までその謦咳に接する。77年「本居宣長」を、2001年からは「小林秀雄全集」「小林秀雄全作品」を編集・刊行した。
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
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