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随筆 小林秀雄

 前回、「直観」について考えたが、その糸を、もっと先まで伸ばしてみようと思う。「直観」は「直感」と書かれることもあり、またそこに近い意味合で「直覚」「直知」と言われることもある、これらはどう違うのかと、時折り訊かれることがある。
 辞書で「直観」を引いてみると、たとえば『広辞苑』は、これが哲学用語であることを示したうえで、「一般に、判断・推理などの思惟的作用の結果ではなく、精神が対象を直接に知的に把握する作用」と言い、『大辞林』は、「直感」との違いにも言及し、「『直感』は感覚的に物事を瞬時にとらえることであるが、『直観』は推論を用いず直接に対象をとらえ、瞬時にその全体や本質をとらえる哲学用語として用いる」と言っている。いずれにしても「直観」は、元はといえば哲学用語であるらしい。
 だが、私たちは、日常会話で「直観」をよく口にする。私たちの使う「直観」に哲学は割りこんでこないし、そういう「直観」で十分まにあっている、というより、哲学用語だなどとは思いもせずに、「直観」という言葉を生き生きと使っている。それでいいのである。小林秀雄先生は、言葉というものは辞書に書かれている意味に留まっているものではない、その言葉が使われる時と場合によって、そのつど微妙な意味合が加わり、その時その場かぎりの語意が生まれる、この、その時その場かぎりの語意こそが誰にとっても真に大事な語意であると随所で言っている。
 だから先生は、「直観」という言葉についても、ベルグソンとの関連で一言二言、言及してはいるが、意味内容を説明したりはしていない。が、先生の文章の口ぶりから、確実に言えることはある。先生は、「直感」という言い方はほとんどしないが、「直観」「直覚」「直知」とはよく言う。なかでも「直観」がずばぬけて多いが、それらの「直」は、「閃く」ということだ。「閃く」とは、いきなり何かが飛んでくるということだ。先生は、そのいきなり飛んでくるものを、信じて受取れと言うのである。受取るより先に証拠だの分析だのにかまけていては、せっかく飛んできたものを取り逃がすではないかと言うのである。

 前回、『本居宣長』の刊行に合せて『新潮』に掲載された小林先生と江藤淳さんの対談を紹介し、先生が「本居宣長」を書くに要した十一年半という時間は、本居宣長という人に対する自分の直観を確かめていた時間だったと答えた先生の発言を引いた。
 ―碁、将棋で、初めに「手」が見える、勘で、これだなと直ぐ思う、後は、それを確かめるために読む、読むのに時間がかかる、私もそういうことをやっていたのだ、ひらめきを確かめるのに苦労した、そこに長くかかったことの大半の原因がある。
 この連載の第十五回と第十六回で、先生の「考える」と「身交う」について書いたが、いまあらためて江藤さんとの対談を読み合せてみれば、先生の「考える」「身交う」は、囲碁や将棋の世界で言う「読む」とも近い言葉だったのである。
 そういう先生であったから、まずもって日頃から直観力の鍛錬を怠らなかった。といって、何か特別なトレーニングをしていたというわけではない。ひとことでいえば、この小文で見てもらった「身交う」ということを、何事につけても心がけていたということだ。第十六回の「身交う、とは…」で、新潮文庫の『学生との対話』から引いたが、
 ―「子を見ること親に如(し)かず」というだろう。親は子どもと長いあいだ親身につきあっているから、子どもについていちばんよく知っているのです。母親は、子どもをチラッと見たら、何を考えているかわかるのです。そういう直観は、交わりからきている、交わりが人間の直観力を養うのです。
 交わりが直観力を養う…。碁や将棋の棋士たちの対局は、親身というならこれ以上の親身はないほど親身な交わりである。したがって彼らの直観力は、対局によって培われるのだろう。棋士たちは、一局一局、一手一手、「身交う」のである。身交う相手はむろん目の前の盤面だが、それはそのまま対局相手という人間でもあるだろう。その何百回、何千回にも及ぶ「身交う」の経験が、自分の手番となったとき一瞬にしてこれだと閃く直観を生むのだろう。その直観の手をしっかり腹に収めて、ほんとうにこれでよいかと「読む」のだろう。

 では、さて、その「読む」だが、私たちがふだん口にしている「読む」は、本を読む、新聞を読むといった、「文字を読む」がなんといっても多い。が、ときに「先を読む」「腹を読む」「顔色を読む」などとも言う。これらの「読む」は、眼前には見えていない事柄を、想像力で察知する意である。碁や将棋の棋士が「手を読む」というのは、この「読む」であり、小林先生が「本居宣長」を書くに際して言った「読む」も、想像力で、想像力だけで、最初の閃きに確信を得ようとする行為である。それは先生が、早くから自分自身に課した批評を書くということの要諦であった。
 昭和十四年(一九三九)四月、三十七歳の春、『文藝春秋』に書いた「読書について」(新潮社刊「小林秀雄全作品」第11集所収)で言っている。
 ―書物が書物には見えず、それを書いた人間に見えて来るのには、相当な時間と努力とを必要とする。人間から出て来て文章となったものを、再び元の人間に返す事、読書の技術というものも、其処以外にはない。もともと出て来る時に、明らかな筋道を踏んで来たわけではないのだから、元に返す正確な方法があるわけはない。
 この、「人間から出て来て文章となったものを、再び元の人間に返す事、読書の技術というものも、其処以外にはない」は、一九世紀フランスの批評家、サント・ブーヴの教えである。小林先生は、日本における近代批評の創始者と言われているが、世界規模での創始者はサント・ブーヴである、先生は、サント・ブーヴを追ったのである。サント・ブーヴが興した「近代批評」の「近代」とは、人間を一人ひとり、個人単位で見つめるということであった。その具体的な批評活動が、「人間から出て来て文章となったものを、再び元の人間に返す事」であった。サント・ブーヴは、夥しい書物とその著者に対してこの肉薄を繰り返した。そのサント・ブーヴが言っている、と言って、先生は引く。
 ―人間をよく理解する方法は、たった一つしかない。それは、彼等を急いで判断せず、彼等の傍で暮し、彼等が自ら思う処を言うに任せ、日に日に延びて行くに任せ、遂に僕等の裡(うち)に、彼等が自画像を描き出すまで待つ事だ。故人になった著者でも同様だ。読め、ゆっくりと読め、成り行きに任せ給え。遂に彼等は、彼等自身の言葉で、彼等自身の姿を、はっきり描き出すに至るだろう。
  「僕等の裡に、彼等が自画像を描き出す」とは、最初は難しいと思った文章も、ゆっくり時間をかけて読んでいると、どこにもそうとは書かれていないのに、「そうか、この人がこんなに苦労して言いたかったことは、こういうことだったのだな」とか、「この人は、ここが一生気になっていたのだな」とかという思いが胸中にわいてきて、それが次第に「この人をこの人たらしめている所以はこれだ」という確信に育つ、それを言っているのだろう。そこでの私たちは、誰の手も借りていない、何らの証拠集めも理由づけもしていない、にもかかわらず、相手がわかったと思える…。これもまた、「閃き」であろう、読むことによってゆるやかに訪れる「閃き」である。「読む」と「閃く」とは、常に相連れだっているのである。サント・ブーヴはそこを言ったのである。

 こうして辿ってくると、「読む」とはやはり、時間をかけて身交う、考えるということなのである。「読書について」で、小林先生はこうも言っている。
 ―読書の技術が高級になるにつれて、書物は、読者を、そういうはっきり眼の覚めた世界に連れて行く。逆にいい書物は、いつもそういう技術を、読者に眼覚めさせるもので、読者は、途中で度々立ち止り、自分がぼんやりしていないかどうか確めねばならぬ。人々は、読書の楽しみとは、そんな堅苦しいものかと訝るかも知れない。だが、その種の書物だけを、人間の智慧は、古典として保存したのはどういうわけか。はっきりと眼覚めて物事を考えるのが、人間の最上の娯楽だからである。
 先日、将棋界で驚異の二十九連勝を達成した藤井聡太四段の最大の強みは、終盤での読みだという。そしてその読みの鋭さは、藤井四段が詰将棋が大好きだということからきていると新聞で読んだ。そのとき、思い出したことがある。
 昭和・平成の強豪として知られ、平成五年には名人にもなった米長邦雄さんから聞いたのだが、棋士が一人前と認められるのは四段からで、三段までは修業時代である、この修業時代に、米長さんは六百十一手の詰将棋を読まされたという。プロの勝負は一局高々二百手程度です、六百十一手などという局面は出てきません、しかし、これを読みます、何時間でも何日でもかけて読みます、強くなるためには読む必要があります…。
 六百十一手は極端としても、プロの「読む」とは、それほどのものなのだろう。私がこの話を聞いたのは、小林先生が亡くなった年の秋だったが、先生が江藤淳さんに語った「本居宣長を読む」の「読む」は、木村義雄八段の「読む」に勝るとも劣らぬ「読む」だったにちがいない。藤井四段に拍手を送りながら、私はそのことも思った。

(第二十回 了)

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

池田雅延

いけだ・まさのぶ 1946年(昭和21)生れ。70年新潮社に入社。71年、小林秀雄氏の書籍編集係となり、83年の氏の死去までその謦咳に接する。77年「本居宣長」を、2001年からは「小林秀雄全集」「小林秀雄全作品」を編集・刊行した。

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