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おかぽん先生青春記

 2020年7月23日、小西正一先生が亡くなった。87歳であった。たいへん残念である。いくつかの報道によると、特定の病気と言うより、老衰により眠るように穏やかに亡くなったようであり、それだけは良かったと思う。
 小西先生はカリフォルニア工科大学教授で、小鳥のさえずりの「鋳型モデル」を提唱し、その後の小鳥のさえずり研究を方向づけた。これについては後述するが、先生の唯一の日本語の著書として『小鳥はなぜ歌うのか』(岩波新書、1994年)がある。また、ほぼ並行して、フクロウが暗闇で狩りをするための脳神経機構を探り当てた。一人の科学者としてあまりに偉大な功績であり、ノーベル賞候補にも挙げられていたそうだ。科学者となった弟子だけでも40人以上はおり、その孫弟子となると数え切れないくらいだ。
 私は小西先生の直接の学生や研究員ではないが、83年から89年まで米国メリーランド大学で鳥の聴覚の研究をしていたので、その後を含め、何度かお話しさせていただいたことがある。小西先生は、私の青年期のあこがれであり、人生の目標のひとりであった。ゆえにここで小西先生の思い出を語らせていただこう。
 最初にお話ししたのはメリーランド大学在学中の84年だった。ワシントンD.C.で小西先生の講演会があるとのことで、当時の指導教員、ボブ・ドゥーリングと共に聴きに行った。小西先生はフクロウの音源定位の研究についてその始まりから現状までを語られた。
 小西先生がプリンストン大学で教員としてスタートしてまもなく、バードウォッチングが好きであることを講義中に学生に伝えたそうだ。すると、ある学生が裏山で拾ったメンフクロウの雛を持ってきた。鳥が好きなら育ててくれないかという。小西先生はそのフクロウにロジャーと名前をつけ、教員室で飼育し始めた。最初はペットとして。しかし、ちょっとした物音にロジャーが首を向けることに興味を持ち、ロジャーが暗闇の中で音を手がかりにネズミを捕まえることを明らかにした。そこから音源定位の脳機構を探る長い旅が始まり、耳の左右に音が到達する時間差から音の方向を計算する仕組みを明らかにしていった。ロジャーはペットに戻ったが、ある時、卵を産んでいるのを見つけた。ロジャーはメスだったのだ。
 ユーモアを折り込みながら、自分の母語ではない英語で、大発見を語っていく姿に圧倒された。終了後自己紹介をし、自分も鳥の聴覚研究を進めていることを伝えた。すると小西先生は英語で「ぜひ頑張って下さい」と激励してくれた。
 2度目にお会いしたのは、86年、世界最初の神経行動学の国際会議が東京で開かれた際である。このとき私は自分自身の研究を発表する機会があった。修士論文としてまとめたばかりの研究で、雑音の中で鳥がどのくらいの音を聴き取る能力があるかを調べた基礎研究であった。小西先生は、今度は日本語で、しかも関西弁で、「君はなかなか英語がうまいから、アメリカでずっと研究を続けると良いよ」と話してくれた。私も当時、そのつもりであった。
 3度目にお会いしたのは、92年くらいであっただろうか。ここで当青春記とのつながりが出てくる。私がそのころ、上智大学に小鳥部屋を作りジュウシマツのさえずり研究を始めたことはすでに前回、前々回で述べた。小鳥のさえずりは父親から学習される行動であり、その点がヒトの発話と似ている。ジュウシマツなどの小鳥は、生後2ヶ月以内に父親の歌を音として記憶し、生後3-4ヶ月の間に、いろいろな歌い方をためして、それが記憶された父親の歌と十分に似るまで練習を続ける。このとき、自分の歌を耳から聴いて、鋳型と照合してゆくのである。すなわち、聴覚は生後2ヶ月以内に音としての記憶を脳のどこかに作りあげ、また、生後4ヶ月以降は、自分の歌を聴かなくても歌が維持されるわけだ。この記憶のことを小西先生とその師匠、ピーター・マーラー先生は「聴覚鋳型」と呼ぶことにした。鋳型とは、鯛焼きを焼くときの型のようなものである。だから、歌学習とは、聴覚鋳型を作る段階と、聴覚鋳型にもとづいて自分の歌を鍛錬する段階とがある。以上が、歌学習の鋳型モデルである。
 私が上智大学でジュウシマツのさえずり研究をはじめた頃は、まさにこの鋳型とは何かを巡って様々な研究が進められていた。そのための基礎研究として、大人になった鳥では聴覚がなくても歌をうたい続けることができることをジュウシマツで確認しようと、私はまず考えたのであった。当時、日本女子大から時折上智大まで訪問してきていた学生さんが、小西先生の論文をよく研究して、鳥の内耳の聴覚器官(蝸牛)を摘出する方法を身につけていた。私はその方から手術の方法を学び、ジュウシマツの蝸牛を摘出する実験を進めた。
 そして私にとっては驚くべき結果を得た。鋳型モデルによると、成鳥になると自分の歌を聴かなくても歌が維持できることになっており、実際、小西先生も何種類かの小鳥でこれを示していた。ところがジュウシマツでは、蝸牛摘出後すぐに、歌が途中でとまったり、同じところを繰り返したりするようになったのである。私はその結果を上智大学の青木先生に見せ、小西先生からご意見を伺うことになった。何しろ、小西先生の鋳型モデルに反するデータなので、小西先生から直接ご意見を聴くのが一番だ。
 というわけで、私はデータを持って小西先生のいらっしゃるカリフォルニア工科大学を訪ねていった。データと言っても、当時は歌の2秒分ほどを縦軸に音の高さ、横軸に時間をプロットしたグラフ(いわゆる声紋である)で表現するしか方法がなかった。私は蝸牛摘出前の歌と、摘出後の歌が比較できるようにグラフを作って小西先生に見てもらった。小西先生は英語で「これはたいへん面白い現象だ。しかし、歌がどのように変化したのかを何らかの数字で表さなければならない。そうしない限り、僕は信じない」とおっしゃった。
 私はその後、小西先生に信じてもらえるような方法を考え続けた。これを論文として共著者(日本女子大の卒論生で、当時は米国に留学中であった)とまとめたのは97年で、歌の中の音と音との連鎖のようすが、蝸牛摘出前後でどう変わるかを数値化したものであった。これが、ジュウシマツの歌が理論言語学でいう「有限状態文法」で記述できることを示した最初の論文である。有限状態文法とは、記号列が有限の組み合わせで存在しており、それらの間をある規則で移り変わることで、長い記号列が生み出される仕組みである。詳細は、拙著「さえずり言語起源論」をお読みいただきたい。私がその後、研究者としてやってこられたのは、ジュウシマツの歌が有限状態文法(略して歌文法)で記述できることを発見したおかげであり、小西先生の助言の賜である。ジュウシマツの歌を定量的に表すというテーマから、たくさんの研究が派生し、私は今でもそれらを追求しているのである。
 もちろん、私たちの研究が小西先生の「鋳型モデル」を消し去ったわけではない。鋳型の強固さは種によって異なり、成鳥後も常に聴覚を必要とするジュウシマツのような鳥と、成鳥後はあまり聴覚に依存しないキンカチョウのような鳥がいることがわかっただけだ。しかし、鋳型モデルに若干の注釈を加えることができただけで、私は青春の目標に近づくことができたように感じたのであった。
 さて、4度目に小西先生にお会いしたのは、98年、米国サンディエゴで国際神経行動学会が開催された時である。その折にはすでに論文が出ていたので、小西先生と私はリラックスしてお話しすることができた。ハトの求愛のダンスにも文法のような規則があるかを議論しながら、小西先生ご自身がハトの求愛ダンスをまねて踊ってくれたことが記憶に残っている。
 その後、主に国際学会で、世界のいろいろなところで小西先生にお会いした。01年にはドイツのボンで、04年にはデンマークでお会いした。私は94年から大学の教員になっていたので、自分の弟子を連れて小西先生とご一緒の写真を撮らせてもらったことも何度かあった。小西先生の夏の服装は、エンジ色のTシャツに生成色のチノパンであったので、これを私と学生は「小西ルック」と呼んでいた。私の学生のうち一人は、無謀にも「小西ルック」で学会に現れたが、小西先生はそれが自分の服装と瓜二つであったことにお気づきではないようであった。
 最後に小西先生に会ったのも神経行動学の国際学会であった。14年、夏の札幌であった。小西先生はこのときも小西ルックだった。小西先生はその頃には私との個人的な記憶はあまり明瞭ではなかったようだが、研究の話になると俄然興味を持って聴いてくれた。少し寂しかったが、たいへん嬉しかった。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

岡ノ谷一夫

帝京大学先端総合研究機構教授。1959年生まれ。東京大学大学院教授を経て、2022年より現職。著書に『「つながり」の進化生物学』『さえずり言語起源論』などがある。

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