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おかぽん先生青春記

 日本で入手できるキンカチョウの鳴き声が、世界標準のキンカチョウとずれていることを発見した俺は、いったんは途方に暮れた。しかし、代理親としてキンカチョウを育てているジュウシマツをじっくり観察していると、むしろジュウシマツのほうが愛らしくなってきた。俺の年代の読者はわかると思うが、ジュウシマツと言えば、適当に鳥かごの中に入れておけば勝手に増えていくような印象がある。昭和30-40年代の小学生は、小鳥入門としてよくジュウシマツを飼っていたものだ。俺はさえずりの発達にも興味があったから、勝手に増えてくれるような鳥のほうが研究はしやすいだろうと、無謀にも考えたのである。
 神経科学の研究では「モデル動物」という考え方がある。神経科学研究の究極の目標はヒトの脳神経系と行動の理解で、そのための「モデル」として動物を使う。何も、マウスのことが知りたくて、マウスを使うのではない。人間の理解に貢献するための実験動物であり、その対象自体を知るのが目的ではないのだ。モデル動物として確立されているのは、線虫、ショウジョウバエ、ゼブラフィッシュ、キンカチョウ、マウス、ラット、マカクザルなどだ。これらの動物について、できるだけ遺伝的多様性を制限して、個体差が少なくなるようにして、できれば神経系の配線がほぼ同じで、刺激に対する応答が均一な動物を使った研究をすることで、結果のばらつきを避け、精密な研究結果を積み重ねて行くのが王道である。
 このような世界的な潮流の中で、俺はひとり、ジュウシマツを対象として鳴き声の研究をしようとしていた。当時、ジュウシマツを対象とした実験的研究はほとんど存在しなかった。俺は気にしなかった。既存の研究の上にもう1つ石を積み上げるより、自分の分野を作りあげるほうが楽しいだろう。それに当時の俺は、一部の女性を除き、人間にはあまり興味がなかったので、人間の理解につながる必要なんてない、その動物を知れればそれで良い、と思っていたのだ。鳥の歌の神経科学については、キンカチョウを対象とした研究が積み重ねられている。そこでジュウシマツの研究を始めることにどのような意義があるか。最低限、キンカチョウで得られた知見が鳥全般に共通しているかどうかについて、データを供給できるだろう。ちょっと志が低いが。
 上智大学生命科学研究所で博士研究員となりジュウシマツの研究を始めた俺に、受け入れ教員となってくれた青木清教授は、大学院生を一人、卒論生を二人つけてくれた。青木先生は基本的には俺たちを放し飼いにしていてくれたが、今考えるとずいぶんご迷惑をかけたのではないかと心配している。青木先生、済みませんでした。こういうことは、自分が研究員を受け入れる立場になってようやくわかってきたのだ。なんと愚かなことか。当時の面々のほとんどが今も研究者として生きているのがせめてもの罪滅ぼしかと思う。
 俺たちの研究は、大学に小鳥飼育室を作ることから始まった。俺たちが使って良いと言われた部屋は、もともと一般には嫌われている昆虫を飼育していた部屋であった。一般には嫌われているが、この昆虫には研究対象として優れた性質がいろいろとある。この昆虫を仕留めようとしたことがある人ならだれでも、この昆虫を潰そうと意志を持った瞬間に逃亡を始めるのに驚いた経験があろう。この昆虫は、人間が意志を持った瞬間に無意識に表れる微小な動きによる空気の流れを検出し、潰されない方向に逃亡する巧妙な仕組みを持っている。その仕組みの研究は奥が深いのだ。
 さて、もともとそういう部屋であったから、その昆虫の残滓が至るところにあったし、その昆虫の子孫もたくさん生息していた。しかし、俺たち生物学者(俺はどちらかというと生物心理学者だが)は、その昆虫にさしたる嫌悪感を持っていたわけではなく、昆虫の一種としてしか認知していなかったから、彼らを駆除し小鳥を飼育できる環境にもっていくのにさしたる苦労もなかった。ほんの一週間ほどで、その昆虫部屋は小鳥部屋へと生まれ変わったのであった。
 まずは雄4羽、雌4羽の8羽のジュウシマツをペット屋さんから買ってきて、適当につがいを作り、ひなを産んでもらうことにした。上智大学の理工学部棟9階にはこのように小鳥部屋が完成したのであった。9階のエレベータを降りると、ジュウシマツのさえずりが聞こえてくる。一緒に研究してくれる学生さんたちもいる。俺はなかなか幸せであった。
 俺は引き続き青木先生にお願いし、ジュウシマツの行動を研究する部屋を確保した。その部屋はエレベータのすぐ隣で、ガコンガコンと音がするのだが、俺はそれでもうれしかった。その部屋は、過去の大学院生や研究者が使用した歴史的な装置が置いてあったが、当時歴史に対する敬意を持っていなかった俺は、学生たちとともに何でもかんでも潰してすててしまった。すっかりきれいになった部屋を青木先生に見せると、「あそこにあった箱は、桑原万寿太郎先生が日本で初めてミツバチの8の字ダンスを観察した箱だよ。あれも捨ててしまったのか」と穏やかながら厳しく叱責された。桑原先生は、日本で動物行動学を創始した先生で、俺はかろうじて名前だけ知っていた。のちに桑原先生の書かれた本を読み、俺がつぶしたあの箱が、この本にあるこの研究を成し遂げた箱だったのだな、と自らの愚かさを恥じ入ったものである。
 このように先生方には時折迷惑をかけながら、俺たちのジュウシマツ組は研究を始動していった。何が見つかるかはわからないが、ジュウシマツにはいろいろな可能性がありそうだった。あれから30年経った今でも、俺はジュウシマツを使った研究をしているのだから、俺の見立ては正しかったのだ。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

岡ノ谷一夫

帝京大学先端総合研究機構教授。1959年生まれ。東京大学大学院教授を経て、2022年より現職。著書に『「つながり」の進化生物学』『さえずり言語起源論』などがある。

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