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おかぽん先生青春記

 これまで数回にわたり、米国留学から帰り、いくつかの機関で研究を進めながら、いろいろと恋に落ちてきた話を懲りもせず続けてきた。もちろんこの間も研究を続けてきたわけだが、そのあたりの事情はほとんど省いている。青春の重要な要素に恋愛があるのは確実だが、同時に勉学も重要な要素だ。しばらく、留学後の研究について語ろうと思う。
 メリーランド大学で、様々な鳥類の聴覚について計測する技術を開発し、それを使って基礎的な聴覚心理実験をこれでもかというほど行った。どのくらいの高さの音が、どのくらいの圧力で聞こえるのか、ノイズの中で音を聞き分ける能力はどうか、2つの音を区別するにはどのくらいの時間差が必要か、かすかな音が聞こえるのにどのくらいの時間が必要か等々。また、その発展として、鳥自身のさえずり(歌)や地鳴き(1音節の状況依存型の音声)は、鳥にとってどのように聞こえているのかを、2つの音が同じかどうかを手がかりに計測していた。
 日本に戻ってからは、そうした基礎的な研究に加えて、聴覚と発声の関連を研究したかった。さらに、小鳥が家族を作るとき、お互いの音声がどのように脳に刻まれるのかも知りたかった。これらの課題を、メリーランド大学で主に使っていたキンカチョウという鳥を使って研究してゆこうと思った。
 ところが、小鳥屋さんでキンカチョウを買い、鳴き声を調べてみると、どうもおかしい。米国のキンカチョウの声と違う。キンカチョウの地鳴きの1つ、隔離声(鳥が仲間とはぐれてしまった際に出す、お互いを呼び合う声)は、オスとメスに明瞭な性差があった。米国のキンカチョウでは、オスは「くきゃー」と鳴き、メスは「みゃー」と鳴いた。ところが、日本で購入したキンカチョウの声は、メスは「みゃー」だがオスは必ずしも「くきゃー」ではない。オスの地鳴きは、「くきゃー」と鳴く個体、「きゃー」と鳴く個体、「きゃくー」と鳴く個体と、実にさまざまだった。
 このことから、キンカチョウのメスの隔離声は生得的(生まれつきだいたい決まっている)だが、オスの隔離声には学習の要素が入っているのではないかと予想できた。オスの隔離声のプログラムには(1)メスより高く鳴け、(2)「く」と聞こえる要素を可能であればどこかにつけろ、という2つの指令があると考えられる。このような仮説ができたところで、オーストラリア原産のキンカチョウの鳴き声を調べてみた。驚いたことに、元祖のオスはどれも「きゃくー」と鳴く。メスはいつものように「みゃー」と鳴く。
 困ってしまって本郷にあるとあるペット屋さんに聞いた。キンカチョウはどうやって育てているのでしょうかと。ペット屋さんは、ブリーダーの方を紹介してくれた。ブリーダーの方によると、日本のキンカチョウはほとんどが「仮親系」であり、「自育系」はまずいないとのことだった。仮親系とは、キンカチョウの卵を近縁種であるジュウシマツに孵化させて育てさせたものだ。飼育下のキンカチョウはあまり子育て上手ではない。ジュウシマツはその点、たいへんに子育て上手だ。大きさが同じくらいなら、どんな鳥の雛でも孵化させて育ててしまう。そこで日本のキンカチョウはほとんどが仮親系なのだ。つまり、キンカチョウのオスは本来の隔離声を聞かないで育っているのである。これに対して、自育系とは、キンカチョウがちゃんと自分の卵を孵化させ育てたものである。これはしかし、歩留まりが悪いため、あまり実践されていなかった。
 キンカチョウのオスは、隔離声を学ぶ必要があるのだが、仮親のジュウシマツに育てられてしまうと、その機会を失う。これでも前述のプログラムの2つの指令((1)メスより高く鳴け、(2)「く」と聞こえる要素をどこかにつけろ)は、学ぶ機会がなくても作動する。その結果として、仮親に育てられたオスのキンカチョウは、「くきゃー」、「きゃー」、「きゃくー」のいずれかの鳴き方をするのであろう。米国のキンカチョウはキンカチョウに育てられている。しかし家禽化の過程で、どのような事情か「くきゃー」が定着し、元祖オーストラリアの「きゃくー」とは逆になったのだろう。
 以上の結果を論文にまとめたは良いが、要するに日本には「ちゃんとした」声で鳴くキンカチョウはおらず、日本のキンカチョウを研究しても欧米の研究結果と比較することが難しいのだ。これはそれ自体難しい問題だ。はて。そこで思い出したのが、舟崎克彦氏の『雨の動物園』であった。舟崎氏は、小学生の頃、キンカチョウとジュウシマツを飼っていた。俺と違って、小学生のころからキンカチョウはジュウシマツに孵化させるのだということを知っていたのだ。それならば、と舟崎氏は考えた。ジュウシマツとキンカチョウの雑種が作れるのではないか。そのアイデアに舟崎氏は挑戦した。詳しくは『雨の動物園』を読んでくれ。この話以外にも動物飼育にまつわるいろいろな話が載っている。
 キンカチョウは使えない。じゃどうしようか。キンカチョウの仮親にジュウシマツを使うというのなら、むしろジュウシマツを対象にしてやろうじゃないか。俺は単純にもそう考え、キンカチョウ研究はほどほどにして、主力をジュウシマツに移すことにしたのだ。以上の研究は、俺が米国から帰国後、1年半だけ世話になった上智大学の研究室での研究成果である。次回は、上智大学ではじまったジュウシマツ研究がどのように発展していったのかを語ろうと思う。あれから30年。俺はまだジュウシマツ研究を続けているのだ。なぜこんなに長い付き合いになったのか。それはもちろん、ジュウシマツが他の鳥にはない特徴をもっていたからなのだ。研究の流れは、俺のデビュー作『小鳥の歌からヒトの言葉へ』(岩波書店、2003)およびその本の改訂新版『さえずり言語起源論』(岩波書店、2010)にまとめてあるが、ここではそれらの研究の裏話を中心に語っていこうと思う。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

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金寿煥

著者プロフィール

岡ノ谷一夫

帝京大学先端総合研究機構教授。1959年生まれ。東京大学大学院教授を経て、2022年より現職。著書に『「つながり」の進化生物学』『さえずり言語起源論』などがある。

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