どういたしまして
学生たちに聞くと、目上の人から「ありがとう」と言われたとき、どう返せばいいか困るそうです。「どういたしまして」と返すのは抵抗があるらしいのです。「上から目線というイメージがある」ということです。
「どういたしまして」は、きちんとした返事であり、べつに失礼ではありません。ただ、大人っぽくこなれた挨拶であるため、若い人にとって、自分自身が使うのは生意気な感じがするのかもしれません。
彼らには、代わりに「いえいえ、とんでもないです」と言ってもいい、とアドバイスしています。これなら学生でも言えるでしょう。
「ありがとう」に対する返事は、場合に応じて考える必要があります。野口恵子さんによると、客から「ありがとう」と礼を言われた美容師は、同じように「ありがとうございました」と返すそうです。「失礼しました」だと古く感じられ、「いいえ、どういたしまして」もおかしいから、ということです(『バカ丁寧化する日本語』)。
関西の人は、「どういたしまして」に違和感があるかもしれません。これはもともと、関東の言い方です。関西では「何をおっしゃいます」と言います。明治前期の「東京京阪言語違」には、東京では「どういたしまして」、上方では「めっそうな」(=めっそうもない)と言うことが示されています。東西の対立は昔からのようです。
そもそも、「どういたしまして」は、なんでこんな言い方をするのか。それが分からなくて使いにくい、という人もいるでしょう。
『日本国語大辞典』第2版の「どういたしまして」の項目には、明治の例が載っています。それで、「明治時代に入ってから見られることば」と説明する本もあります。でも、この言い方は江戸時代からあります。
たとえば、滑稽本「花暦八笑人」には、主人公の左次郎が、仲間の母親が辞去するのを引き留めようとする、こんな場面があります。
〈左次郎「マアマア、お茶でも入れやせう」母「イヱイヱ、どういたしまして。モウモウおかまひなされますな。是は大きにおやかましう御座りました」〉
ここでは、お茶を勧められたのに対して「どういたしまして」と返事をしています。今なら、「いえ、けっこうです」、若い人なら「大丈夫です」と言うところです。「どういたしまして」は、必ずしも感謝への返事だけに使ったのでないことが分かります。
もちろん、感謝に対する返事の例もあります。人情本「いろは文庫」では、〈イヤモシ久兵衛さん、段々と〔=いろいろ〕お世話にあづかりました〉と浪人が言うのに対し、うどん屋の久兵衛が〈イヱ誠にどういたしまして〉と答えています。
あるいは、人情本「春色江戸紫」では、やはり辞去しようとするおくみという女性と、訪問を受けた智清という女性が、次のような会話をします。
〈おくみ「ハイ初めて参上りまして、難有種々うぞんじます。智「どういたして。折角の御出に何も御愛相もなくって、〔下略〕」〉
この例では「どういたしまして」ではなく「どういたして」になっています。敬意が軽い感じですが、こちらのほうがより古い形だったかもしれません。
ここで紹介した「どういたしまして」「どういたして」は、直訳すれば、「どうして(そんなことがあるでしょうか)」ということです。
お茶を勧める相手に「どういたしまして」と言うのは、「どうして私のためにお茶をいれてくださる必要がございましょう、いえ、ございません」と遠慮する気持ちを伝えています。また、「難有うぞんじます」とお礼を言ってくれた相手に対しては、「どうしてお礼の必要があるでしょうか、何もしていないのに」と謙遜しています。
このように、お礼の必要はありません、と否定する意味が、現在の「どういたしまして」にもそのまま受け継がれています。
「どういたしまして」は、語形についても謎があります。もとからこの形だったのか、それとも、たとえば「どういたしましてそんなことがありましょう」のような、長いフレーズを略したものだったのか。「どういたしまして」と言いさしにしているところを見ると、もともとは長いフレーズだったようにも思われますね。
でも、実際には、そんな長い言い方はしなかったようです。
「どう」という副詞は、江戸時代には、「どうする」「どう思う」のように、ごく普通に使われました。「どうして」も、たとえば歌舞伎の「小袖曽我薊色縫」では、〈どふして思ひ切られませふ〉と使っています。これを丁寧に「どういたしまして思い切られましょう」と長く言うことはありませんでした。
こうした反問の意味の「どうして」が、下に続かずに切れる場合もありました。滑稽本「東海道中膝栗毛」では、まんじゅうを大食いできると言い張る弥次さんに、金比羅参りの男が丁寧な口調でこう言います。
〈どふしてどふして。あなた口ではそふおつしやるが、そのよふにはくへぬものじやて〉
「どうしてどうして」と切れています。この言い方が、やがて、これだけではぞんざいに感じられるようになり、「どういたして」、さらには「どういたしまして」と丁寧に言うようになったものと考えられます。
「どういたしまして」は、長いフレーズの省略ではありません。「どうして○○なことがありましょう」などの後半が省略されて「どうして」だけで使われるようになり、それを丁寧に言うために「どういたしまして」の形が生まれた、ということです。
何もありませんが
山田洋次監督の映画「男はつらいよ」を見ていると、お客を案内するシーンで「何もありませんが」というせりふが何度か出てきます。
〈おいちゃん 〔客の夏子に〕何もありませんけど、奥にちょっと支度してありますんで、どうぞ〉(「続・男はつらいよ」)
〈寅次郎 〔客の駒子と婚約者を案内して〕さあさあ。何もねえけどね、まずこちらへ。さあ兄さんもどうぞ〉(「男はつらいよ・フーテンの寅」)
BS放送でシリーズ全48作を見ながらメモしたところ、少なくとも4回は出てきました。少し前までは日常的に使われたことばです。
お客を迎える家では、もちろん食事は用意してあります。「何もありませんが」というのは、「何もたいしたものはありませんが」の省略形です。
相手に心理的負担をかけまいとすることばだ、と解説されることがあります。それにしては、心から申し訳なさそうに言う人もいます。むしろ、あらかじめ相手の期待値を下げて、自分が楽になろうとする言い方と捉えるほうがいいでしょう。
日本的な言い回しの典型、とも言われます。日本的かどうかは断定できませんが、昔から使われていることは確かです。
では、どのくらい昔からか。先ほどの映画つながりで言えば、黒澤明監督「わが青春に悔なし」(1946年)で、原節子が「なんにもございませんが」と客にほほえんで一礼する場面があります。それより前の映画となると、私には分かりません。
近代の小説には、山ほど例が出てきます。夏目漱石「吾輩は猫である」の中では、先生の奥さんが客の迷亭に〈何もございませんが御茶漬でも〉と言っています。明治まではさかのぼれることが分かりました。
すると、江戸時代にもありそうですが、調査するのはなかなか困難です。私が見つけたのは曲亭馬琴の「近世説美少年録」(19世紀の作品)の例。登場人物の乙芸が、老婆の落葉に対し、〈何はなけれど是なりとも、御口取に〔=何もありませんがお茶請けに〕〉と、葛の粉餅を勧める場面があります。
江戸時代初期(17世紀)の俳諧作法書である「世話尽」には、〈なにも茄子の香の物〉〈何もなしの十八講〉という成句が出てきます。どちらも「何もない」のしゃれで、後者について『日本国語大辞典』第2版は〈何もご馳走がない〉と記しています。
これがお客に対する謙遜の文脈で使われたものとすれば、「何もありませんが」という言い回しは、少なくとも300年以上の歴史があることになります。このまま消滅させてしまうのはもったいない話ではありませんか。
-
飯間浩明
国語辞典編纂者。1967(昭和42)年、香川県生れ。早稲田大学第一文学部卒。同大学院博士課程単位取得。『三省堂国語辞典』編集委員。新聞・雑誌・書籍・インターネット・街の中など、あらゆる所から現代語の用例を採集する日々を送る。著書に『辞書を編む』『辞書に載る言葉はどこから探してくるのか? ワードハンティングの現場から』『不採用語辞典』『辞書編纂者の、日本語を使いこなす技術』『三省堂国語辞典のひみつ―辞書を編む現場から―』など。
この記事をシェアする
「分け入っても分け入っても日本語」の最新記事
ランキング
MAIL MAGAZINE
とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
著者プロフィール
- 飯間浩明
-
国語辞典編纂者。1967(昭和42)年、香川県生れ。早稲田大学第一文学部卒。同大学院博士課程単位取得。『三省堂国語辞典』編集委員。新聞・雑誌・書籍・インターネット・街の中など、あらゆる所から現代語の用例を採集する日々を送る。著書に『辞書を編む』『辞書に載る言葉はどこから探してくるのか? ワードハンティングの現場から』『不採用語辞典』『辞書編纂者の、日本語を使いこなす技術』『三省堂国語辞典のひみつ―辞書を編む現場から―』など。
連載一覧
ランキング
ABJマークは、この電子書店・電子書籍配信サービスが、著作権者からコンテンツ使用許諾を得た正規版配信サービスであることを示す登録商標(登録番号第6091713号)です。ABJマークを掲示しているサービスの一覧はこちら