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分け入っても分け入っても日本語

「負けず嫌い」は「負け嫌い」の誤用ではないのか、という質問をよく受けます。たしかに不思議な言い方です。勉強するのが嫌いなことを「勉強嫌い」と言うのと同様、負けるのが嫌いなことは「負け嫌い」と言うほうが理屈に合います。「ず」がつくと「負けないのが嫌い」になってしまうはずです。
 この言い方については、日本語関係の種々の本で解説されています。多くは「不合理な言い方だが、定着したのでやむをえない」と、しぶしぶ許容している感じです。
 ただし、その解説の中には誤った説明も見受けられます。この項目では、「負けず嫌い」の歴史を振り返り、この形の生まれたわけを考えてみることにします。
 そもそも、いつ頃から現れたことばでしょうか。ある研究者の文章に、〈「負けず嫌い」は、江戸時代から例があり、〔夏目〕漱石そうせきなども使っている〉とありました。これは明白な誤りです。漱石の作品には、次のように「負け嫌い」の例はいくつか出てきますが、「負けず嫌い」の例はありません。
〈山嵐もおれに劣らぬ肝癪かんしゃく持ちだから、負けぎらいな大きな声を出す〉(「坊っちゃん」)
 江戸時代の資料にも「負け嫌い」の例が出てきます。一方、「負けず嫌い」の例は、調べた範囲では見つかりません。古い形は「負け嫌い」だったと考えられます。
 「負けず嫌い」が現れたのは明治時代以降です。一種の新語ですね。たとえば、当時の女性向け雑誌には次のように出てきます。
〈負けず嫌いの競争などにて、三十年四十年の大事業を成就し遂げて〔略〕其「神」に徹するに至らんことは難し〉(『女学雑誌』1895年10月号)
 この後、次第に「負け嫌い」よりも「負けず嫌い」の使用例が多くなっていきます。
 「ず」の1音が加わった直接のきっかけは、「食わず嫌い」などの表現と混交したためと考えられます。「負けじ魂」などと混交したという説明もありますが、「負けじ」は語形が違うので、ここでは無視していいでしょう。
 東海地方では「行こう」を「行かず」、「やろう」を「やらず」と言います。ここから、「負けず嫌い」は「負けよう、というのが嫌い」だと説明する人もいます。でも、方言の「ず」(意志を表す)の用法から言うと、不自然な説明です。
 要するに、「負け嫌い」に否定の「ず」が加わったのが「負けず嫌い」です。
日本語では、強調のために否定表現と同じ形をとることがあります。江戸時代には「ない」の意味で「ないもせぬ」(=ありもせぬ)と言うことがありました。「あきれた」の意味で「あきれもしない」とも言いました。
 「負けず嫌い」もまた、「負け嫌い」の気持ちを強調するために、一見不要と思われる否定の「ず」が入ったと考えることができます。
 現代であれば、こうした(一見)理屈に合わない形が広まれば、識者などから「誤用だ」という批判が起こります。そして、いったん誤用認定されてしまうと、マスメディアなどでは禁句になってしまうことが一般的です。
 「負けず嫌い」が広まった当時はどうだったのでしょうか。現代のある研究者の文章にはこうあります。
〈何よりも注目したいのは、『大言海』とか『大日本国語辞典』とかいう、古いところの大型国語辞典が、ともに「まけぎらひ」を立項していて、「まけずぎらひ」については、「まけぎらひ」の誤りとしていることです〉
 当時、主立った辞書が「負けず嫌い」を誤用扱いしていたというのです。でも、それは本当でしょうか。実際の辞書の記述を確かめてみましょう。
 まず、『大日本国語辞典』(1915~19年)。この辞書は「まけぎらひ」「まけずぎらひ」の両方を載せ、後者は〈まけぎらひ(負嫌)に同じ〉と説明しています。前者と同義語だということであり、べつに誤用扱いはしていません。
 『大言海』(32~37年)はどうでしょう。こちらは、「まけぎらひ」は〈まけじだましひ(不負魂)に同じ〉と説明し、また、「まけずぎらひ」は〈性質の、負くることを嫌ふもの〉と説明しています(原文カタカナ)。やはり、「誤用」とは書いていません。
 いったいどこから、「『負けず嫌い』は古い辞書で『誤り』とされている」という話になったのでしょうか。この説には根拠がないと言わざるをえません。
実際の経緯は次のようだったと考えられます。江戸時代から「負け嫌い」が存在したところへ、明治時代に新しく「負けず嫌い」が現れた。そして、この形は、べつに「誤用だ」と声高に糾弾されることもなく(研究対象にはなっています)、人々に「ああ、そうとも言うんだな」という程度に理解されて、広まっていったのです。
 「負けず嫌い」は、明治末期以降、文学作品でも次第に増えてきます。
〈笹村は一度女にもじか言聞いいきかしたが、負けず嫌いのお銀はあまりい返辞をしなかった〉(徳田秋声「かび」11年)
 もし「負けず嫌い」に誤用の印象が強かったのなら、文学作品で広く使われることはありえません。当時の作家は、「負け嫌い」「負けず嫌い」の両方を知っていたはずですが、「負け嫌い」は古く、「負けず嫌い」が当時の日常語と意識されたのでしょう。それで後者を多く使ったのだと考えられます。
 これが当時の感覚でした。実は、ことばについて「正誤」をしきりに問題にするようになったのは、特に戦後になってからのことです。それ以前の人々は、周囲の人が使い、意味も通じることばであれば、自分も使っていました。ことばに関する考え方が、今よりもずっと大らかだったのです。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

飯間浩明
飯間浩明

国語辞典編纂者。1967(昭和42)年、香川県生れ。早稲田大学第一文学部卒。同大学院博士課程単位取得。『三省堂国語辞典』編集委員。新聞・雑誌・書籍・インターネット・街の中など、あらゆる所から現代語の用例を採集する日々を送る。著書に『辞書を編む』『辞書に載る言葉はどこから探してくるのか? ワードハンティングの現場から』『不採用語辞典』『辞書編纂者の、日本語を使いこなす技術』『三省堂国語辞典のひみつ―辞書を編む現場から―』など。

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