シンプルな暮らし、自分の頭で考える力。
知の楽しみにあふれたWebマガジン。
 
 

分け入っても分け入っても日本語

 30歳前後を「アラサー」、40歳前後を「アラフォー」という呼び名は、すっかり定着した観があります。年齢をぼんやり指す言い方として重宝されるためでしょう。単なる「30代」「40代」とは違うのです。
 『現代用語の基礎知識』には、2008年版から「アラサー」が、翌2009年版から「アラフォー」が載っています。この本は、書名になっている年の前年の秋に刊行されるので、2007年には「アラサー」が知られていたことになります。
 同書の記述を基にまとめると、「アラサー」は、女性誌『GISELe』が考案してアパレル業界で使っていたのが、ブログなどを通じて一般化したようです。「アラフォー」は2008年のドラマ「Around 40」から広がり、「アラサー」とともに知られるようになったということです。
 私個人も、「アラサー」「アラフォー」に初めて接したのは2008年でした。急にみんなが言いだしたと思ったら、この年の「新語・流行語大賞」で年間大賞に選ばれました。「2008年に広まったことば」と説明していいでしょう。
 『現代用語の基礎知識』では、「アラサー」「アラフォー」について〈女性を意味する〉〈特に女性を指す〉と書いてあります。今では「アラサー男子」とも言い、男女を問わず使われますが、もともと女性を指したということには注意を引かれます。
 というのも、女性の年回りを表すことばは、年齢に関する差別的な見方も絡みながら、昔から変遷を重ねてきたからです。
 江戸時代、そろそろ若いとは言えない年頃の女性を「年増(としま)」と言いました。何歳ぐらいかと思ったら、20歳前後にしてすでに「年増」だったそうです。「中年増(ちゅうどしま)」はおおむね20代。さらに年齢が行くと「大年増」。昔の人は今よりも平均寿命が短く、老化も早かったとは思いますが、今日の感覚からするとあんまりな言い方です。
 明治時代になると、「オールドミス」という言い方が現れ、漢字では「老嬢」と書かれました。結婚しないまま年を重ねた女性全般を指します。林芙美子(ふみこ)の小説「婚期」(1946年)にはこんな記述があります。
〈もう、二十六にもなると、父も母も何も()わなくなり、勝手にしたらいいだろうと云った調子で、中学生まで時々オールドミスと姉をからかったりする時があった〉
 まだ26歳の若さで、弟から「老嬢」と言われるのではやりきれません。現代だったら、言われた人はみな怒るでしょうが、「女性は早く嫁に行くべきだ」という縛りの強かった時代には、こんな言い方がまかり通っていました。
 でも、さすがに「オールド」「老」はひどいだろう、と思う人が増えてきたのでしょう。戦後も1960年代の後半から「ハイミス」ということばが一般化しました。「ハイ」は「高年齢」のことですが、「オールド」よりは婉曲(えんきょく)になったわけです。
 雑誌『言語生活』1969年2月号で、英語学者の()(ぎり)大澄(ひさずみ)はこう記しています。
〈戦前からあった「オールドミス」に代わってハイ・ミスが登場して来た。「オールドミス」より印象がいいらしいが、これは和製〔英語〕で〔下略〕〉
 たしかに、〈印象がいい〉と書いてあります。
 この「ハイミス」を小説の中で多く使った作家のひとりが田辺聖子さんです。田辺さんの作品では、婚期を逃した女性が主人公になることがしばしばありました。
〈ハイ・ミスにとって、「気が若い」なんていうコトバは、侮辱である〉(「朝ごはんぬき?」1976年)
〈ハイ・ミスというのはたいへん、生きにくい〉(「愛してよろしいですか?」1979年)
 主人公たちは、自分自身のことを「ハイミス」と表現します。多少は自嘲の意味もありそうですが、比較的冷静に使えることばだったのでしょう。
 私が現在携わる『三省堂国語辞典』では、「ハイミス」は1974年の第2版から載っています。ことばの説明はこうです。
〈ハイミス オールドミス〉
 たったこれだけ。「オールドミス」を見よ、ということです。両者の間に、大して意味の差はないという判断だったのでしょう。この説明は次の版でも同じでしたが、1992年の第4版では、「オールドミス」が(から)項目になって、「ハイミス」が本項目(説明を書いてあるほう)になりました。ことばの重要度が増したと判断したようです。
〈ハイミス 結婚しないまま年をとった女性。オールドミス〉
 この説明は現在に至るも基本的には同じです。「オールドミス」のほうが古いこと、「ハイミス」はその言い換えであることなどを、もっと説明すべきだと感じます。
 さて、この「ハイミス」も、婉曲ではあるものの、「ハイ=高年齢」という部分に評価の要素が入っています。つまり、相手を「ハイミス」と言うとき、「あなたは高年齢ですね」と言っていることになります。これはやはり失礼です。
 1970~80年代ぐらいまでは普通に使われていた「ハイミス」ですが、次第に抵抗を覚える人が多くなってきます。「老」はもちろんのこと、「高年齢」を表すことばは使いたくない。でも、漠然と年齢を表す言い方はほしい。
 そこに「アラサー」「アラフォー」(さらには「アラフィフ」など)が現れました。これらのことばの中には、「老」「高年齢」などの価値観は含まれていません。年齢差別の感じがない言い方として、今後も愛用されることでしょう。

この記事をシェアする

ランキング

MAIL MAGAZINE

「考える人」から生まれた本

もっとみる

テーマ

  • くらし
  • たべる
  • ことば
  • 自然
  • まなぶ
  • 思い出すこと
  • からだ
  • こころ
  • 世の中のうごき
  •  

考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

飯間浩明
飯間浩明

国語辞典編纂者。1967(昭和42)年、香川県生れ。早稲田大学第一文学部卒。同大学院博士課程単位取得。『三省堂国語辞典』編集委員。新聞・雑誌・書籍・インターネット・街の中など、あらゆる所から現代語の用例を採集する日々を送る。著書に『辞書を編む』『辞書に載る言葉はどこから探してくるのか? ワードハンティングの現場から』『不採用語辞典』『辞書編纂者の、日本語を使いこなす技術』『三省堂国語辞典のひみつ―辞書を編む現場から―』など。

連載一覧


ランキング

イベント

テーマ

  • くらし
  • たべる
  • ことば
  • 自然
  • まなぶ
  • 思い出すこと
  • からだ
  • こころ
  • 世の中のうごき

  • ABJマークは、この電子書店・電子書籍配信サービスが、著作権者からコンテンツ使用許諾を得た正規版配信サービスであることを示す登録商標(登録番号第6091713号)です。ABJマークを掲示しているサービスの一覧はこちら