シンプルな暮らし、自分の頭で考える力。
知の楽しみにあふれたWebマガジン。
 
 

分け入っても分け入っても日本語

 春に花を開く代表的な野草と言えば、タンポポです。花に見えるのは、正確には「頭状花序」と言うのだそうですが、まあ「花」でいいでしょう。「タンポポ」とは変わった響きの名前ですが、室町時代からある純然たる日本語です。
 なぜ「タンポポ」と言うのか。2001年の秋、テレビ番組から解説を依頼されたことがあります。人気絶頂の「モーニング娘。」のメンバーが「タンポポ」というユニットを組んでおり、彼女たちが出演する番組の中で使いたいということでした。
 私は大学院を離れたばかりで、大学の非常勤講師などをして生計を立てていました。VTR出演ということでしたが、もの珍しさもあり、二つ返事でOKしました。
「タンポポ」の語源を調べるなんて、わけはない、と思いました。当時刊行中だった全13巻の『日本国語大辞典』(日国)第2版のうち、第8巻を開いてみると、「タンポポ」の語源説がちゃんと紹介されていました。
鼓草(つづみぐさ)をいうところから、鼓の音を擬した語〔日本語原学=林甕臣(みかおみ)・野草雑記=柳田国男・たべもの語源抄=坂部甲次郎〕〉
 つまり、「タン、ポ、ポ」と鼓を打つ音からなんですね。『日国』には、ほかに2つの説が紹介してありましたが、それらは明らかに取るに足らない説なので、「たんぽぽ=鼓の音」という説に従っていいと判断しました。
 ところが、問題なのは、なぜ「鼓の音」を花の名前につけるのか、ということです。この花は別名「鼓草」と言われることは、先の引用のとおりですが、そもそも、なぜ「鼓草」なのか。『日国』ではそこまでは解説していませんでした。
 手近なところで、『日国』の参考文献にあった柳田国男「野草雑記」を見てみます。
〈タンポポはもと鼓を意味する小児語であった。命名の動機はまさしくあの音の写生にあった。それが第二段に形の鼓と近い草の花に転用せられることになったかと思われる〉
「タンポポ」が、鼓を打つ音から「鼓」の小児語(幼児語)として使われ、それがさらに、形の類似から花の名前に使われるようになったというのです。
 形の類似と言っても…。タンポポの花って、鼓に似ていますかね。
 納得がいかないまま、部屋の書棚にあるいろいろな本を開いてみました。そして、金田一春彦『ことばの歳時記』の「タンポポ」の項で、次の記述を発見しました。
〈実はあの花は、その(つぼみ)の形が鼓に似てみえるところから、「つづみ草」と呼ばれ、その鼓の音を昔の人はタン、ポン、タン、ポンと聞きなしたところから、子どもたちがタンポポと呼んだのが語源である〉
 なるほど、開いた花ならともかく、つぼみならば鼓に似ていないこともありません。鼓という楽器は、横から見るとカタカナの「エ」の形をしています。これに紐を結ぶと「X」のように両端が広がる形に見えます。タンポポの開きかかったつぼみを一方の端に、膨らんだ(がく)(正確には総苞(そうほう))をもう一方の端に見立てると、たしかにタンポポは「X」の形だとも言えます。ちょっと苦しいな、という気はしましたが…。
 VTRの収録の時、私は、見立ての苦しさを解消するため、タンポポのつぼみの絵を、なるべく「X」に見えるように描いて示しました。そして、こう解説しました。
「『タンポポ』は、もともとは子どもの作った名前じゃないかと言われています。方言によっては『鼓草』と言われるんですね。ちょっとこれ…(と絵を指しながら)、鼓の形をした草だと。鼓をたたく音、リズミカルな『タン、ポン、ポン』という、そういう軽やかなイメージ。そういうものからつけたんじゃないかなと」
 今思っても、自信のなさそうな解説でした。放送では、ユニットの「タンポポ」のメンバーたちは面白がってくれた様子でしたが、私は釈然としないものが残りました。
 その後、何年か経ち、私は、たまたま柳田国男の「方言と昔」という文章を読んでいました。すると、驚くべきことが書いてありました。
〈湯を入れて冬の夜手足を温めるものを、東京ではユタンポというが、近江ではヒョウタンがタンポであり、越中では竹の筒がタンポである。たたけばそんな音のする物は、鼓までがタンポポであり、あるいは茎を水に入れて、鼓の形をまねる一種の草までがタンポポである〉
 最後の所に注目してください。〈茎を水に入れて、鼓の形をまねる一種の草〉だから「タンポポ」だということです。どういう意味でしょう?
 インターネットで、タンポポを使った遊びを検索すると、すぐに分かりました。
 タンポポの茎を筒状に切り、両端に細かく切れこみを入れます。それを水に浮かべてしばらく放っておくと、両端が外側に反り返りながら丸まり、カタカナの「エ」のようになるのです。つまり、鼓の形です。
 タンポポが鼓に似ているというのは、つぼみではなく、水の中で変形した茎のことを指していたのですね。
 私は、2006年の春に、自宅で実験して、確かにタンポポの茎が鼓の形になることを確かめました。大いに感心すると同時に、「金田一春彦先生、正確に書いといてくださいよ」と、筋違いな恨み言をつぶやきました。
 これは、まさしく筋違いでした。「タンポポ」の語源になった遊びについては、山口佳紀(よしのり)編『暮らしのことば語源辞典』にも出ています。当時の私は、この語源辞典を持っていたはずですが、どうやら見ていなかったんですね。諸種の資料を比べるという、基礎的な手続きをおろそかにしたための失敗でした。

この記事をシェアする

ランキング

MAIL MAGAZINE

「考える人」から生まれた本

もっとみる

テーマ

  • くらし
  • たべる
  • ことば
  • 自然
  • まなぶ
  • 思い出すこと
  • からだ
  • こころ
  • 世の中のうごき
  •  

考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

飯間浩明
飯間浩明

国語辞典編纂者。1967(昭和42)年、香川県生れ。早稲田大学第一文学部卒。同大学院博士課程単位取得。『三省堂国語辞典』編集委員。新聞・雑誌・書籍・インターネット・街の中など、あらゆる所から現代語の用例を採集する日々を送る。著書に『辞書を編む』『辞書に載る言葉はどこから探してくるのか? ワードハンティングの現場から』『不採用語辞典』『辞書編纂者の、日本語を使いこなす技術』『三省堂国語辞典のひみつ―辞書を編む現場から―』など。

連載一覧


ランキング

イベント

テーマ

  • くらし
  • たべる
  • ことば
  • 自然
  • まなぶ
  • 思い出すこと
  • からだ
  • こころ
  • 世の中のうごき

  • ABJマークは、この電子書店・電子書籍配信サービスが、著作権者からコンテンツ使用許諾を得た正規版配信サービスであることを示す登録商標(登録番号第6091713号)です。ABJマークを掲示しているサービスの一覧はこちら