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分け入っても分け入っても日本語

 「ムショに入る」「ムショ暮らし」「ムショ帰り」などと使う「ムショ」。一般に、「刑務所」の略だと考えている人が多いはずです。
 意味は「刑務所」でいいのですが、語源については、国語辞典の見解は分かれています。「刑務所」の略だという説と、そうでないという説とです。
『広辞苑』第6版、『大辞林』第3版、『岩波国語辞典』第7版新版、『明鏡国語辞典』第2版などは、当然のごとく「刑務所」の略としています。多数派といえるでしょう。
 一方、『新明解国語辞典』では、第6版で「むしょ」の項目を立てて以来、別の語源説を示しています。それによると、〔虫寄場(ムシヨセバ)〘=監獄〙の略で、「刑務所」の略とするのは俗解〕というのです。
「虫寄せ場」なんて、聞いたことがない。一方、「刑務所」の略という説明は、無理なく頭に入ります。こういう場合、「虫寄せ場」はこじつけではないかと、まずは疑ってみるのが考え方の順序です。
「ムショ」が「刑務所」の略だとすると、厳密には「刑務所」の上略(上側を略す)ということになります。単語を上略してできた隠語としては、「サツ(警察)」「ダチ(友だち)」「ナシ(話)」「ヤク(麻薬)」など、いろいろあります。「ムショ」もそのひとつだと考えることに、べつに無理は感じられません。
 一方、「虫寄せ場」を「ムショ」とする略し方は特殊です。どうせ略すなら、「ムシ」の2文字だけでもよさそうなのに、わざわざ次の「ヨ」をくっつけ、しかも拗音(ようおん)化させて「ショ」にしています。ありえないとまでは言わないにしても、類例が見つけにくい。これが、この説の弱点です。
 ところが、ここに重要な事実があります。『日本国語大辞典』(日国)第2版の説明を引用します。
〈むしょ【虫・六四】〔略〕(「むしよせば(虫寄場)」の略「むしよ」の変化した語)〔略〕「刑務所」の略と解されることもあるが、「監獄」を「刑務所」と改称したのは大正一一年(一九二二)で、この語はそれ以前から使われていた〉
 刑務所のなかった時代に「ムショ」があったとすると、時代考証的に、「刑務所」の上略という説はあっさり否定されます。
 もしかして、1922年以前に、非公式にでも「刑務所」が使われた例はなかったのでしょうか。調べてみましたが、私の見たかぎりでは、やはりなさそうです。結局、「刑務所」の上略、という説には退場してもらうしかありません。
 では、「虫寄せ場」が語源なのかというと、これも「待った」と言わざるをえません。「虫寄せ場」説は、明治時代の『隠語輯覧(しゅうらん)』を始め、いくつかの隠語辞典に出てきます。でも、先に述べたとおり、「ムシ」だけでよさそうなところに「ヨ」をくっつけて、しかも拗音化させる、という不自然さが解決されません。
 そもそも「虫寄せ場」とは何でしょうか。「ムシ」も「ヨセバ」も「監獄・刑務所」のことです。「襟カラー」「一番ベスト」のような重言の一種です。
『隠語輯覧』は、「ムシ」について「監獄」の意味とした上で、由来について〈獄内囚人ニ供給スル麦飯ハ平常米麦四分六分ノ割合ナリト云ヒ来レル意味ニ用ユ〉と説明しています。「麦飯:米飯=6:4」だから「ムシ」だと言うのです。
 そうすると、「ムシ」は明治時代以降のことばのようですが、いやいや、実はもっと前から使われています。『日国』の「(むし)」の項目には、7番目の意味にこうあります。
(ろう)。牢屋。牢が虫籠(むしかご)のようであるところからいうか〉
 例文として、江戸時代の浄瑠璃「夏祭(なつまつり)浪花(なにわ)(かがみ)」(1745年)を挙げています。この作品の中で、主人公の団七を、しゅうとの義平次がなじる場面があります。
〈〔お前は〕乳守(ちもり)の町で喧嘩(けんか)仕出(しいだ)し、和泉(いづみ)(むし)へかまつて〉(『浄瑠璃名作集 中巻』)
 確かに「牢」を「ムシ」と言っています。「かまって」は「行って」の意味です。
『日国』では、「牢」の意味の「ムシ」の例は、この1745年のものが最古です。一方、「ムショ」および「虫寄せ場」の例は、1915年の『隠語輯覧』に出てくるのが最古です。このことから、「虫寄せ場」よりもずっと早くに、「牢」を表す「ムシ」が成立していて、浄瑠璃に出てくるほど定着していたと考えられます。
 とすると、「ムショ」は、江戸時代以来の「ムシ」の変異形と考えたほうが、話が簡単です。「虫寄せ場」→「ムシヨ」→「ムショ」という変化よりも、長く使われてきた「ムシ」が「ムショ」と変化するほうが自然です。
「シ→ショ」の変化としては、「茂る」から「しょげる」(楽しみ騒ぐ)、「臈次(らっし)」(順序・秩序)から「らっしょ」ができた例などがあります。「ちっと」から「ちょっと」ができた例も参考になるでしょう。
 では、「ムシ」そのものの語源は何かというと、よく分かりません。『日国』の言うように、牢屋が虫かごのようだったからかもしれないし、違うかもしれません。戦後の隠語辞典では〈旧刑訴〔=刑事訴訟法〕下に行われた検束の蒸し返しより出た語〉として、「蒸し返し」を語源としていますが、時代が合わないので、違うでしょう。
 明治時代以降の文献には、「ムシ」「ムショ」の両方が現れますが、現在では「ムシ」は廃れ、「ムショ」だけが残りました。その理由として、「ムショ」が「刑務所」の上略と意識されたことが大きかったと考えられます。だとすれば、今日の「ムショ」と「刑務所」とは、やはり浅からぬ因縁があると言ってもいいでしょう。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

飯間浩明
飯間浩明

国語辞典編纂者。1967(昭和42)年、香川県生れ。早稲田大学第一文学部卒。同大学院博士課程単位取得。『三省堂国語辞典』編集委員。新聞・雑誌・書籍・インターネット・街の中など、あらゆる所から現代語の用例を採集する日々を送る。著書に『辞書を編む』『辞書に載る言葉はどこから探してくるのか? ワードハンティングの現場から』『不採用語辞典』『辞書編纂者の、日本語を使いこなす技術』『三省堂国語辞典のひみつ―辞書を編む現場から―』など。

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