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分け入っても分け入っても日本語

 「恋」と「愛」はどう違うか、という議論によく出合います。両方ともloveと訳して問題ないのに、何となく使い分けているらしいところが関心を呼ぶのでしょう。
 日本テレビ「笑点」の大喜利にも出てきました。「ことばの違いを説明する」というお題で、三遊亭小遊三(こゆうざ)さんが〈「恋」は落ちるもの。「愛」はおぼれるもの〉と答えて座布団をもらっていました(2009年4月26日放送)。
 こんなふうにすぱっと説明できれば気持ちがいいのですが、野暮なことを言えば、恋におぼれることもあります。「恋」「愛」の区別は一筋縄ではいきませんね。
 ここでは、はっきり言える事実に基づいて、2つの語の違いを見ていきます。
 まずは「恋」から考えます。古い時代の「恋」は、今の感覚からは思いがけない意味を持っていました。『広辞苑』第6版から引用します。
〈恋 ①一緒に生活できない人や亡くなった人に強くひかれて、切なく思うこと。また、そのこころ。特に、男女間の思慕の情。恋慕。恋愛〔下略〕〉
 いきなり「一緒に生活できない人」「亡くなった人」の話が出てきて驚きます。古い版では〈愛情をよせること〉〈男女の愛〉などと書いてありましたが、1983年の第3版からこうなりました。『広辞苑』という辞書は、本来の意味はどうだったかを重視する点に特色があります。「恋」の項目でも、その方針を強めたわけです。
 この「今ここにいない人に強く引かれる」という要素は、現在に至るまで、「恋」の意味の核心をなしています。「亡き母が恋しい」など、「恋しい」の意味には、その要素が特に強く感じられます。
 また、「恋」は孤独であり、双方向性のものではありません。このことは、「互いに愛し合う」とは言えても「恋し合う」とは言いにくいことにも現れています。
 これらのことを踏まえ、私の携わる『三省堂国語辞典』(三国)では、2008年の第6版で、次のように「恋」を説明しました。
〈恋 〔男女の間で〕好きで、会いたい、いつまでも そばにいたいと思う、満たされない気持ち(を持つこと)。恋愛。「―におちる」⇒:恋する〉
「恋」が「今ここにいない人に強く引かれる」ということ、双方向的でないことを踏まえて、「満たされない気持ち」と表現しました。
 あるテレビ番組で、各種国語辞典の説明を比べる試みをした時、女性タレントのYさんが、『三国』の「恋」の〈満たされない気持ち〉という説明を支持してくれました。Yさんは後に不倫騒動を起こし、恋多き女性と目されることになります。そのYさんに説明を評価されたことは、大変名誉なことだったと思っています。
 ちなみに、2014年に出た第7版では、「恋」の項目から〔男女の間で〕という部分を削りました。今ではLGBT(性的少数者)への理解も以前より深まっているし、「男女」に限定する必要もないと考えたからです。『三国』では、性愛関係の項目を見直し、不必要に「男女」と記されている部分があれば、すべて削除しています。
 次に、「愛」について考えます。「恋」が純粋の日本語であるのに対し、「愛」は古代中国語で、いわば外来の概念です。このことばを論ずるには、仏教の愛とか、キリスト教の愛とか、いろいろなことを念頭に置かなければなりません。でも、話が広がりすぎるのを避けて、日本では一般的にどう使われたかを考えます。
 奈良・平安時代の主要な古典作品を見て分かるのは、「愛」の使用例が著しく少ないということです。
 「恋」は、奈良時代の「万葉集」を始め、特に和歌の作品に多く登場し、平安時代の「源氏物語」などの作品にも出てきます。一方、「愛」は、和歌にも現れず、「源氏物語」にも出てきません。
 「愛す」(愛する)の形になると、「源氏物語」より少し後の主要作品に登場するようになります。愛する対象はさまざまです。天皇が左大臣を愛する(「大鏡」。「重用する」の意味)とか、姫君が毛虫を愛する(「(つつみ)中納言(ちゅうなごん)物語」)とか、一間(ひとま)(いおり)を愛する(「方丈記」)とか、(ほま)れを愛する(「徒然草(つれづれぐさ)」)とか、きわめて多岐にわたります。
 これはちょうど、現代の「愛」が、恋を感じた相手だけでなく、「祖国への愛」「学問への愛」などと広く使われることに通じます。意味は「かわいがる」「気に入る」「大切にする」などにまたがります。
 性愛の意味での「愛」が一般的になったのは、英語のloveなど西洋語の翻訳に使われるようになった近代以降です。その場合でも、「かわいがる」「気に入る」、そして特に「大切にする」の意味が生きています。
『三国』第7版では、「愛」の歴史的用法を踏まえて、こう説明しています。
〈愛 ①〈相手/ものごと〉をたいせつに思い、つくそうとする気持ち。「―の手をさしのべる・母性―〔=母としての愛〕・夫婦―・祖国―・学問への―」②恋を感じた相手を、たいせつに思う気持ち。「―の告白」〔下略〕〉
 相手への満たされない気持ちを表す「恋」に比べ、「愛」は大人の感情です。ときには犠牲を伴う崇高なものとなります。恋するよりも愛するほうが難しそうですね。
 恋心を打ち明けるにもかかわらず、「恋の告白」でなく「愛の告白」と言う理由も、これで分かります。満たされない気持ちの「恋」を告白しても、相手はウザいだけです。「あなたを大切に思っています」という真摯(しんし)な「愛」をこそ告白すべきなのです。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

飯間浩明
飯間浩明

国語辞典編纂者。1967(昭和42)年、香川県生れ。早稲田大学第一文学部卒。同大学院博士課程単位取得。『三省堂国語辞典』編集委員。新聞・雑誌・書籍・インターネット・街の中など、あらゆる所から現代語の用例を採集する日々を送る。著書に『辞書を編む』『辞書に載る言葉はどこから探してくるのか? ワードハンティングの現場から』『不採用語辞典』『辞書編纂者の、日本語を使いこなす技術』『三省堂国語辞典のひみつ―辞書を編む現場から―』など。

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