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村井さんちの生活

2021年1月20日 村井さんちの生活

今年はなかなか厳しい一年になるぞと

著者: 村井理子

 今年は私にとって厳しい一年になるぞと、年始から少しだけ憂鬱だ。

 というのも、わが家の双子は春には中学三年生になる。つい先日、ようやく中学生になったと思っていたが、あっという間に受験生だ。早すぎる。ふと気づけば、二人ともずいぶん私よりも背が高くなっているし、精神的にも大きく成長したような気がしている。

 親は未来のことばかり考え、子どもの負担になるほど憂え、顔を合わせれば定期テスト、実力テスト、模試、はては一年先の受験について口に出したりしてしまうのだが、中学生は未来ではなく、今を生きているのだと実感する毎日だ。今を生きている子どもに対して、いくら先にやってくるかもしれない社会の厳しさ(という曖昧なもの)を伝えても、まったく意味をなさないとわかっているのに、むしろそんな言葉は彼らを傷つけるだけかもしれないのに、どうしても口をついて出てきてしまう。「そんなことじゃあ将来苦労するよ」なんて言葉が頭に浮かぶたびに、必死になって飲み込むのだ。私自身が子どものころ、何もわかっていない勝手な大人にひっきりなしに投げかけられた乱暴な言葉が、自分の中にまだ残っていたことに驚いてしまう。
 あまりうるさく言わないでおこうと毎日考える。考えるというのに、5分後には「でもあの子の将来を一番心配しているのは私で、あの子に何か言ってあげられるのも私しかいないのに」という心の声が聞こえてくる。知り合いのお母さんは、はたから見れば少し厳しすぎる気もするけれど、それでもあの家の子はとてもよくできる。礼儀正しいし、成績もいい。スポーツだって得意だ。どうしたらあんなに上手に子育てができるのだろうと、うらやましいような、少し悔しいような気持ちになる。でも、厳しさってなんですか? 
 もしかしたら、私が母として実力不足なのでは? と、ふと不安になる日ばかりだ。できる子は何も言わなくてもできる、勉強しろなんて一度も言ったことがない…そんな記述が目に入るたびに、親としての自信を失うのだ。この子の将来を苦難に満ちたものにしてしまうのは、もしかして、迷いに迷っている今の私なのではないか、一貫した態度で接することができない、はっきりと言えない、甘い私なのではないかと考えて、落ち込み、その落ち込みがいつの間にか怒りや焦りとなって子どもにぶつけられるのだ。延々と繰り返される、終わりのないジレンマだ。
 私も、このようにさまざまな悩みを抱えながら、毎日息子たちに向き合っている。双子とはいえ、何もかも違う二人に対して、それぞれ、ベストな声かけをしようと苦闘している。何か伝えたいと思うときは、一旦深呼吸して、その言葉の持つ影響力を考える努力をしている。責めない、追いつめない、否定しない。こんな言葉を頭のなかで繰り返す。まるで「ティーンエイジャーの母しぐさ」だ。ポジティブにいこう、明るい未来の話をしようと気持ちを奮い立たせている。
 そうやって悩み抜いて言葉をかけても、彼らから戻ってくるのは、静かな「わかっているよ」という言葉だけだ。こちらの気持ちを上手にかわして、もめ事にならないよう努力しているのだ。まるで私を諫めるような静かな声が、棘のように心に突き刺さる。それでも、その優しさがあることが救いだと思う。冷静でいてくれることに安心する。焦ってしまってごめんね、どうしても心配だからと、重い言葉を口にしそうになり、慌てて目をそらす。
 「わかっているよ」という静かな声が、彼らにとっては精一杯の声なのかもしれないと考える。「わかっているよ」は、「あと少しだけ待って欲しい」という気持ちの現れなのかもしれない。「わかっているよ」の後ろには、声にならない「心のなかまで踏み込まないで」という訴えが隠れているかもしれない。それを忘れないようにしようと思う。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥


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