シンプルな暮らし、自分の頭で考える力。
知の楽しみにあふれたWebマガジン。
 
 

村井さんちの生活

 あまり考えないようにはしていたのだけれど、すでに年末が近い。憂鬱だ。十月に入った途端、義父が「おせちはどうする」とわが家に電話をかけてくるようになったことと、やり残した仕事の量が気になっていることもあって、私の憂鬱はすでに三ヶ月目に突入している。

 今年は本当に様々なことが起きて、いつもの倍ぐらい忙しい一年だったなと思わずにはいられない。コロナ禍による三ヶ月の休校、激痛を伴い、病院通いを余儀なくされた五十肩、義父の突然の入院、そしてそして…。わが家に平穏が訪れるのはいつになるのだろう。今年も本当にバタバタの一年だった。腕組みをしつつそんなことを考えてしまう私なのだが、家族全員が元気で暮らしているのだから、それでいいじゃないかと自分を慰めることも忘れてはいない。そもそも、プラス思考の人間だ。長い人生の航海には、嵐もあるだろう。いつか、美しく、穏やかな海を眺めることだってできるはず。確かにそう思うのだが、どうにもこうにも気になっていることがひとつある。どうしても目に入るので、考えずにはいられない。それは、わが家に置かれたままになっている実兄の遺骨である。

 兄は二〇一九年十月に宮城県多賀城市で亡くなった。独身で、一人息子と暮らすシングルファーザーだった。脳出血で突然倒れての死だったが、彼には身寄りが私と幼い息子以外いなかった。つまり、兄の遺体を引き取ることができるのが私しかいなかった。警察から連絡を受けた私は、呆然としつつ、遠路はるばる東北まで向かい、兄を荼毘に付し、遺骨を持ち帰ってきた(実際は、重すぎて運ぶことができなかったので配送してもらった)。そして、家族の出入りの多い賑やかな一階のとある部屋に、遺骨をそのまま置いた。とりあえず、置こう。とにかく今は置いておこう。先のことは考えない。そう自分に言い聞かせた。葬式を出したんだから、それで十分だ。兄ちゃん、悪いな。このまま置いておくわ。また今度考えておくから…。そして瞬く間に一年が過ぎてしまったというわけだ。

 兄は生前、俺は散骨でいいと言っていた。だから私も、それでいいやと気軽に考えていた。しかし最近、本当にそれでいいのかと悩みはじめた。まったく信心深くもない私が、散骨をしたら跡形もなく消えてしまう兄のことを「気の毒だ」と感じ、あろうことか「そんなことになってしまったら、寂しい」と思うようになってしまったのだ。

 「なってしまった」と書いたのは、自分でもこんなことになるとは思っていなかったのが理由だ。大柄な兄が骨となって小さくなり、ある意味扱いやすくなった途端、彼がまだ十代の頃、私に優しくしてくれた思い出が次々と甦ってくるではないか。あんなにいいお兄ちゃんだったのに、こんなに小さくなってしまって。あんなに優しかった彼を消し去ってしまっていいのだろうか。そうやって悩むのだ。相手が小さくなったら、心が近くなった。命は消えたというのに、存在はまだ完全に消えてはいない。

 ただ、現実的なことを考えると問題は山積である。親戚の墓はいくつかあるが、兄の遺骨を受け入れてくれる親族はいないだろう。兄を入れてやってくれと頼むガッツは、私にはない。そもそも、帰省も墓参りもしない私が、何をかいわんやである。それではどうすればいいのか。散骨以外の方法で兄の遺骨を埋葬しようと思うのなら、私が墓を作るか、その他の様々な方式(例えば樹木葬とか永代供養とか?)を考えるしかない。それに、兄が遺した子どもたちの気持ちはどうなるのだろう。数回結婚した兄には子どもが多い。彼らの考えは? 確かめる勇気を私は持ち合わせていない。例えば将来、「お墓はどこですか?」と聞かれ、「あ、ごめん。散骨してしまいました」と答える勇気が私にあるだろうか。さすがに、ない。

 私が兄の墓を建てるとしよう。兄一人だけの墓を作る意味はあるのという疑問が沸いてくる。だって、私は兄と一緒にその墓に入る予定はないのだから。兄はものすごく饒舌な人で、うるさくてたまらないのではと思わないでもないし、忘れそうになっているが、私は結婚している。

 兄の墓を建てたとして、私が死んだ後、その墓はどうなるのだろう!? 最近、よく話題になっている無縁墓になるのだろうか。うわぁ、それも迷惑なことだな…。自分の子どもたちに苦労をかけることだけは避けたい。そんなことになったら恨まれそうだ。このようにして、悩みはエンドレスに続くのである。

 まさか自分がこんなことで悩まされるとは夢にも思っていなかった。葬式で喪主になったときには、「私も大人の階段を登ったな」と感慨深かったし、「いろんなこと経験しちゃったな~」とのんきな感想を抱いたが、喪主になって葬式を出すよりなによりきついのは、実は墓問題だったという新たな知見を得た。大人になるって大変ね。

義父母の介護

2024/07/18発売

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考える人とはとは

 はじめまして。2026年7月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、松本太郎と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただき、ありがとうございます。

 2002年7月4日、季刊誌「考える人」が創刊されました。

 目次には当代随一の執筆陣がずらりと並び、B5判240ページの誌面の隅々から知の香りが立ちのぼってくるかのようでした。

 当時、入社3か月の営業部員だった私は、見上げるような思いで手に取り、発売日には編集長の松家仁之さんと創刊のご挨拶のために書店にうかがいました。

 まだ書店訪問にも慣れておらず、編集長ともほぼ初対面の中、次のお店の約束の時間に間に合うだろうかと時計ばかりが気になって、終始、そわそわしていました。そんな私に松家さんがやわらかな笑顔で接してくれたこと、そして、新雑誌の門出を祝うようなすっきりと晴れた一日だったことを覚えています。

 あれから四半世紀が過ぎ、ウェブマガジンとして衣替えした今でも、創刊時に掲げられた「Plain living, high thinking(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という言葉は古びていません。AIに尋ねれば瞬時に答えが返ってくる時代だからこそ、それらしい言葉に飛びつくのではなく、自分の頭で考え、心の声に耳を澄ませることの大切さは増しているように感じます。

 創刊号には、養老孟司さんのロングインタビューが掲載されています。養老さんはその中で、恩師である中井準之助先生の口癖だった「人の心がわかる心を教養という」という言葉を紹介しています。

 読んだ瞬間に立ち止まり、さまざまな思いが湧き上がってくるような文章に、楽しみながら出会える場であり続けたいと思っています。

「考える人」編集長
松本太郎


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