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村井さんちの生活

 わが家に、実は大変なことが起きていた。また村井さんちが大変なのか! と驚かれてしまいそうだが、その通りだった。なんと、コロナ禍のまっただ中で、義父が緊急入院してしまったのだ。2020年は本当に大変な1年だと思わざるを得ない。

 去年の夏に軽い脳梗塞を発症して以来、義母80歳とともに静かに暮らしてきた義父87歳だったが、気温が下がりはじめた10月の中旬あたりから少しずつ体調を崩し、先日、参加していたデイサービスで倒れてしまった。毎日ゆっくりではあるが散歩をし、庭の手入れをし、とても元気そうな様子だったので、私も油断していた。

 その日は朝から義母とともに迎えの車でデイサービスに行き、軽い運動をしていたそうだ。運動をはじめてからしばらくして顔色が悪くなり、立っていることができなくなった。その時点で、デイサービスから私のケータイに連絡が入った。

 そのとき私は、今まさに家を出るというところだった。午前中にPTAの役員会が開催されることになっていて、役に就いている私は当然参加するつもりだった。今年はPTAとしての活動はほとんどできていない状況が続いているが、それでも一応は集まって、短時間であっても、来年度の計画などを立てることになっている。パワフルな会長を囲むこの時間は、とても楽しく、そして貴重なのだ。いそいそと車に乗り込んだ。ちょうどその時だった。

 「三郎さんが倒れられまして…」という申し訳なさそうな職員さんの声が、ケータイから聞こえてきた。ケータイが鳴ると、ろくなことが起きないような気がする。そろそろトラウマになりそうだ。様子を聞くと、反応はあるということ。会話はできるけれど、血圧がとても低いらしい。「すぐに向かいます」と伝え、車のエンジンをかけ、PTAのグループLINEに「義父が倒れました。欠席させてください」と連絡を入れた。ため息が出た。義父が悪いわけではない。でも、自分の生活のペースを乱されることが、年を取ればとるほど負担になる。体力的な負担ではなく、精神的な負担だ。抱えている数々の仕事も、ずしりと重くのしかかる。また作業が遅れてしまう。残りのページ数はどれぐらいだったっけ…と、暗い気持ちで車を運転し、デイサービスに向かった。

 到着すると、義父がベンチに横たわっていた。顔色を見た。こ、こ、これは…! 蝋人形なのか!? というほど真っ青だ。意識は朦朧としている。結局、救急車を呼ぶことになり、義父と私を乗せた救急車が向かった先は、私がここ3年ほどお世話になっているかかりつけの大病院だった。ただいま~という気分だったのはいうまでもない。

 結局、義父はそのまま入院し、1週間ほどで無事退院した。ありがたいことに大事には至らず、とても元気だ。そして義母は、義父の留守中、ずっとわが家で寝泊まりしていた。ただでさえ手狭なわが家で、義母には部屋を用意できず、愛犬ハリー(45キロ)と添い寝状態になってしまった。ハリーは生まれ持っての介助犬なので、ずっと義母に寄り添ってくれた。犬好きの義母はたいそう喜んでいた。私は毎日3回の食事、洗濯、掃除、服薬管理などに追われ、仕事を完全にストップさせざるを得なくなった。それでも、目の前にたたずむ義母の気の毒な状況を見れば、わが家にいてもらって、彼女の身の回りの世話をすることは、一人の大人として当然のことと思えた。自分でも驚きだ。人間って変わりますね(さすがに長い1週間で、次の週はベッドに倒れる日々を送りましたけれど…)。

 不思議なもので、突然の義母との同居生活に最も戸惑っていたのは夫だった。高齢になった母親の暮らしぶりをつぶさに目撃することに私の想像の何倍もショックを受けてしまう夫は、終始、落ち着きがなく、苛立ちを隠さなかった。夫の心情がなんとなく理解できる私は、義母の世話のほとんどを請け負い、義父の入院関連の手続きや世話を、すべて夫に任せた。

 親子の関係とはややこしいものだ。一時も離れず暮らした日々を忘れることはないが、別の世界を見いだした子は、親との濃密な日々から距離を置こうとする。愛情が薄れたわけではないが、その愛情に包まれた世界に再び戻ることは、ある意味、窮屈で避けたいことなのだ。そんなことをつらつらと考えながら、1週間ものあいだ、義母とともに昭和40~50年代の名作ドラマを鑑賞しつつ過ごした。なぜ自分の母親と、このような時間を過ごすことができなかったのかと考え続けながら。

 「重くならないようにするって、その言葉自体がとてつもなく重いんだよ!」と、私がかつて自分の母に言い放った言葉が、頭のなかでぐるぐると回っていた。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥


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