
是枝裕和監督の『海街diary』を見てきました。鎌倉を舞台に、祖母が遺した古い日本家屋に住む三姉妹と、そこで一緒に暮らすことになった“異母妹”の一年を描いた物語。ちゃぶ台のある茶の間にふりそそぐ朝の木漏れ日、夏のきらめく海、満開の桜のトンネル……美しい四季のうつろいとともに、やわらかな眼差しでとらえられた主人公たちの表情や心模様が切なく、感動的な作品です。面白いと思ったのは、画面には登場しない(死によって隔てられた)愛する人と主人公たちをつなげる記憶として、食べものが重要な役割を果たしていることでした。
十五年前に家族を残して愛人のもとに去った亡き父を思い出させるのは、湘南の海で獲れたしらすを載せた「しらすトースト」であり、母の空白(彼女もまた幼い子どもたちを置いて家を出た)を埋めて自分たちを育ててくれた祖母が身近に意識されるのは、いまだに大切に受け継がれている糠床の浅漬け、あるいは庭の梅の実で毎年作り続けている梅酒によってです。四人の姉妹がそれぞれの事情を抱えながらも、お互いに気づかい、次第に新たな家族の再生に向けて物語を紡いでいくきっかけとして、食べものがさりげない後押しをするのです。
今号の特集は「ごはんが大事」と題しました。巻頭の「心があったかくなる料理」をコーディネートして下さった飯島奈美さんは、『海街diary』ではフードスタイリストを務めています。過去の映画作品――フィンランドを舞台にした『かもめ食堂』のおにぎりやシナモンロール、しょうが焼、あるいは『トイレット』に登場する焼餃子――などもそうですが、一見何げなさそうな料理が、実に美味しそうで心を浮き立たせてくれるのです。梅酒やしらすトーストに続いては、祖母がよく作ってくれたという「ちくわカレー」を、三女と異母妹が仲良く食べるシーンが後半に出てきます。いかにも美味しそうです。親の代から贔屓にしている「海猫食堂」のアジフライもそうですが、料理してくれる人のあたたかな気づかい、それを喜んで食べる側の「いただきます」、「ごちそうさま」の心の声がともに伝わってくるようです。
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いまや食の情報はまわりに溢れんばかりです。美味しい店、手頃な値段で満足度の高い店、お取り寄せアラカルト、安心・安全の食材、健康食品やサプリメント、今晩の献立のご提案……求めに応じてさまざまなサービスが細やかにカスタマイズされ、たやすく入手できる環境です。バラエティに富んだ外食、中食の選択肢も目の前に広がります。まるで食のテーマパークにいるような華やかで、豊かな食文化を現代の日本人は享受しています。
ただ、その「味わい」の真ん中にあったはずの大切なもの――朝夕、口にする食材への感謝、あるいは食事をともにする人とのつながりが、いつしか軽視され、おざなりになってきているのではないか。本来の「おいしさ」の根幹が見失われているのではないか、と気づかせてくれたのが、石牟礼道子さんの『食べごしらえ おままごと』でした。今回、石牟礼さんを訪ね、貴重なお話を伺えたことは望外の喜びと言うしかありません。
今年は戦後七十年目の夏。食うや食わずで始まったここまでの長い歩みを振り返りながら、この国に生をうけた私たちがどういう食文化の伝統を受け継いでいるか、そこにどういう喜びを見出してきたか――を改めて考える機会となれば幸いです。
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長らくご愛読いただきました池内紀さんの「富士」、高山なおみさんの「『犬が星見た』をめぐる旅」は今号で最終回となります。加筆を施した上で、いずれ小社より単行本化の予定です。代わって新連載として、池澤夏樹「科学する心」、苅部直「『文明』との遭遇」、梨木香歩「ナイティンゲールの梟(ふくろう)」、宮沢章夫「牛でいきましょう」が始まります。どうぞよろしくお願いいたします。(和)
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考える人編集部
2002年7月創刊。“シンプルな暮らし、自分の頭で考える力”をモットーに、知の楽しみにあふれたコンテンツをお届けします。
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とは
はじめまして。2026年7月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、松本太郎と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただき、ありがとうございます。
2002年7月4日、季刊誌「考える人」が創刊されました。
目次には当代随一の執筆陣がずらりと並び、B5判240ページの誌面の隅々から知の香りが立ちのぼってくるかのようでした。
当時、入社3か月の営業部員だった私は、見上げるような思いで手に取り、発売日には編集長の松家仁之さんと創刊のご挨拶のために書店にうかがいました。
まだ書店訪問にも慣れておらず、編集長ともほぼ初対面の中、次のお店の約束の時間に間に合うだろうかと時計ばかりが気になって、終始、そわそわしていました。そんな私に松家さんがやわらかな笑顔で接してくれたこと、そして、新雑誌の門出を祝うようなすっきりと晴れた一日だったことを覚えています。
あれから四半世紀が過ぎ、ウェブマガジンとして衣替えした今でも、創刊時に掲げられた「Plain living, high thinking(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という言葉は古びていません。AIに尋ねれば瞬時に答えが返ってくる時代だからこそ、それらしい言葉に飛びつくのではなく、自分の頭で考え、心の声に耳を澄ませることの大切さは増しているように感じます。
創刊号には、養老孟司さんのロングインタビューが掲載されています。養老さんはその中で、恩師である中井準之助先生の口癖だった「人の心がわかる心を教養という」という言葉を紹介しています。
読んだ瞬間に立ち止まり、さまざまな思いが湧き上がってくるような文章に、楽しみながら出会える場であり続けたいと思っています。
「考える人」編集長
松本太郎
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