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随筆 小林秀雄

 前回取上げた「教養」は、英語やフランス語から入ってきた「culture」の訳語だが、「culture」にはもうひとつ、「文化」という訳語がある。というより今日では、「カルチャー」は「文化」の同義語としてほぼ日本語化しているとさえいってよいだろう。だが、日本語としての「カルチャー」からも、「文化」からも、「culture」本来の語義や語感はすっかり消えてしまっている。小林先生は、これにも怒っていた。昭和二十四年(一九四九)十月、四十七歳の秋に刊行した「私の人生観」(新潮社刊「小林秀雄全作品」第17集所収)ではこう言っている。
 ― 一体文化などという言葉からしてでたらめである。文化という言葉は、本来、民を教化するのに武力を用いないという意味の言葉なのだが、それをcultureの訳語に当てはめてしまったから、文化と言われても私達には何の語感もない。語感というもののない言葉が、でたらめに使われるのも無理はありませぬ。……
 ―cultureという言葉は、極く普通の意味で栽培するという言葉です。西洋人には、その語感は充分に感得されているはずですから、cultureの意味が、いろいろ多岐に分れ、複雑になっても根本の意味合いは恐らく誤られてはおりますまい。果樹を栽培して、いい実を結ばせる、それがcultureだ、つまり果樹の素質なり個性なりを育てて、これを発揮させる事が、cultivateである。……
 すなわち、「culture」は、耕す、栽培するといった意味の動詞「cultivate」から生れた言葉である、だから、欧米人の耳には、「culture」は常に耕す、栽培するという意味合の語感を伴って聞える、と言うのである。

 これと同じことを、同年五月に発表した「文化について」(同)でも言っている。こちらの「文化について」には、何事もわかりやすく話そうとする先生の講演口調がかなり生で残っていて、話の中身も詳細だ。こういうふうに言っている。
 ―文化という言葉がたいへん流行しておりますが、その言葉の意味を正確に知っている人が非常に少ないようで残念だと思っております。今日使われている文化という言葉、これはもちろん飜訳語でありますが、文化という言葉は昔から中国にあった、これは政治的な意味があって、武力によらず民を教化するという意味であった。……
 「文化」という言葉も、元はといえば中国からきた言葉であった。中国では、権力、武力、刑罰などを用いずに、文徳で民を導く、ということは、学問を修めることで身にそなわる人格によって民を善へと導く、そういう政治の手法を「文化」と言った。ところが、日本では、
 ―そういう意味の文化という言葉をそのまま英語のcultureあるいはドイツ語のKulturという言葉に当てはめてしまった。どっちにしろ意味はまるで違うんで、誰が訳したか知りませんが、こういうふうな訳のために、文化と言っても僕等には何が何やらわからなくなってしまった。言葉に語感がないという事は恐ろしい事です。ただ文化、文化とウワ言のように言っているのです。……
 今も「文化」は大はやりである。「文化の日」に始って「文化勲章」「文化遺産」「文化財」「文化史」「文化交流」「文化会館」「文化人」「文化祭」……。なるほどこれらに、ある共通した「感じ」はある。しかしそれを、口に出して言ってみようとするとたちまち困惑する。たしかに私たちは、「文化、文化」と、ウワゴトのように言っているのである。
 ―だけどカルチュアという言葉は、西洋人にとっては母国語としてのはっきりした語感を持っているはずだ。耳に聞いただけで誤解しようがないのです。カルチュアというのは畑を耕して物を作る栽培という意味だ。カルチュアという言葉にしたって決して単一な意味ではないが、どんな複雑な意味に使われようと、カルチュアと聞けば、西洋人は栽培という意味が含まれていると感ずる。これが語感である。……
 だが日本では、そうはいかない。私の学生時代、「文化祭」の出し物には首を傾げたり、舌打ちしたりしたくなるものもけっこうあった。むろん、これを咎めたり、論評したりするのは野暮である。「文化祭」とは要するに祭りである。そう割り切ってこちらも馬鹿になっていればいいだけの話だったのだが、ちょうどその頃、新潮社から出たばかりの第三次全集で小林先生の文章を読み、先生が言っている「でたらめ」とはこれかと思った。
 日本の学生の頭の中の「文化」に、「栽培」の語感はない、したがって、「文化祭」だとなってもてんでんばらばらである。だが欧米では、様子が違うのではないか。「文化祭」は、英語では「cultural festival」だが、「cultural」は日常、「栽培上の」という意味でも使われる。だとすれば、欧米の学生は、「文化祭」となれば皆が皆、口には出さずとも「栽培」という観念で一つになり、何かを「栽培」して得た成果を持ち寄るか、何かを新たに「栽培」し始めようとするか、ではないのだろうか……。
 留学経験のない私には、こういう考えは所詮、空想に過ぎなかった。だが、その後すぐ、年に一度の「文化祭」なら捨てても置けようが、「文化」に「栽培」を連想する欧米の学生と、そこがまったく空洞になっている日本の学生とでは、人生の実りに大きな差が出るのではないかと思うようになった。それは、小林先生が、続けてドイツの哲学者であり社会学者であったジンメルの「哲学的文化論」から引いて、こう言っていたからである。
 ―ジンメルは、文化を論じて、こういう意味の事を言っています。例えば林檎の木を育て、立派な林檎を成らす。肥料を工夫したり、いろいろな工夫を施して野生の林檎からデリシャスだとか、インドだとかいう立派な実を成らすことに成功したならば、その林檎の木は比喩的な意味にしろ、カルチュアを持ったことなんです。だけども、林檎の木を伐ってその林檎の木の材木でもって家を建てたり、下駄を造ったりしても、それは原始的な林檎の木が文化的な林檎の木になったことにはならない。つまり栽培が行われたのではないからです。……
 これに重ねて、先生は次のように言う。聞き取るべきはここである。
 ―カルチュアという言葉は、日本では又教養とも訳されていますが、例えば僕がどんなに多くの教養を外部からとり入れても、それがもし僕の素質を育てないならば、僕は教養人、文化人とは言えないという事になります。つまり僕の中に僕の人格を完成させる可能性があるという仮定の下に僕という人間の栽培は可能なわけである。……
 そして、畳みかけるようにこう言う。
 ―僕は僕自身を育てねばならぬ。いくら知識を得ても、それが僕の身につかねば僕は文化人にも教養人にもなれぬ。だから、ある人間の素質、個性というものの、向上に関する信念が先ずなければ、文化を云々しても無意味である。……

 では私たちは、どうやって自分自身を育てるか。それにはまず、自分はどういう実を成らせる資質をもって生まれているのか、そこに最大級の関心を払い、林檎の種に水を与えたり、肥料を施したりするのと同じように、自分を栽培するという意識をもつことだろう。いったいどんな実が成るのかはまるで教えられていない、そういう何かの種を一粒持たされ、とにかくこの種が芽をふき木となって実が成るまで育てよ、育て方はどういう方法でもよい、ただし絶対に枯らしてはならない、そう言われているのが私たちの人生であり、そういう人生に工夫と努力を惜しまなかった人たちが手にした結果が「culture」と呼ばれる「物」なのである。
 ―カルチュア、栽培という言葉が自ら語っている事で、西洋人には、わかり切った事なのであるが、文化、文化とウワ言を言っている日本人には気が付かない事があります。それは文化とは、単なる観念ではないという事だ、むしろそれは物である、人間の精神の努力を印した「物」だという事です。人間の精神が自然に対して、自然でなくても歴史でもよいのですが、ともかく人間の精神がある現実のはっきりした対象に対決したときに、精神がその対象を材料として何か新しい価値ある形を創り出した場合でなければ文化という言葉は意味をなさないのです。文化とは精神による価値ある実物の生産である。……
 こう言って、「物」とは何かを先生自身の仕事に即して言う。
 ―だから、私がこうしてお話ししている事なぞは文化活動とは決して言えませぬ。何故かというと、私はこうして喋っていて、何も現実的な形を生産してはおらぬからです。私は文学者であるから、文章によっては、文化生産をしている積りである、しようと努めている。文学者の文章というものは、林檎と同じ事です。いや、いい文章は林檎より遥かに長持ちする現実の形であります。……
 ここから推せば、先生は、「文化」という言葉のでたらめな使われ方としては、「文化講演会」を一番に挙げたかったであろう。「文化講演会」は、講師も聴衆も、精神の努力の印としての「物」をなんら生み出さないからである。
 しかし、そう言いつつも、小林先生は講演によっても「物」を確実に生み出していたと思う。「新しく目覚めた人間」という「物」をである。そのことについては、この連載の第五回「最後の講演会」で書いた。

(第三十九回 了)

★小林秀雄の編集担当者・池田雅延氏による、
   小林秀雄をよりよく知る講座

小林秀雄の辞書
5/10(木)18:30~20:30
新潮講座神楽坂教室

  小林秀雄氏は、日々、身の周りに現れる言葉や事柄に鋭く反応し、そこから生きることの意味や味わいをいくつも汲み上げました。1月から始まったこの講座では、私たちの身近な言葉を順次取上げ、小林氏はそれらを私たちとはどんなにちがった意味合で使っているか、ということは、国語辞典に書いてある語義とはどんなにちがった意味合で使っているかを見ていきます。
 講座は各回、池田講師が2語ずつ取上げ、それらの言葉について、小林氏はどう言い、どう使っているかをまずお話しします。次いでその2語が出ている小林氏の文章を抜粋し、出席者全員で声に出して読みます。そうすることで、ふだん私たちはどんなに言葉を軽々しく扱っているか、ごくごく普通と思われる言葉にも、どんなに奥深い人生の真理が宿っているか、そこを教えられて背筋が伸びます。
 私たちが生きていくうえで大切な言葉たちです、ぜひおいでになって下さい。

5月10日(木) 常識/経験
6月7日(木)   個人/集団
※各回、18:30~20:30

参考図書として、新潮新書『人生の鍛錬~小林秀雄の言葉』、新潮文庫『学生との対話を各自ご用意下さい。

 今後も、学問、科学、謎、魂、独創、模倣、知恵、知識、解る、熟する、歴史、哲学、無私、不安、告白、反省、言葉、言霊、思想、伝統、古典、自由、宗教、信仰、詩、歌……と取上げていきますので、お楽しみに。御期待下さい。

小林秀雄と人生を読む夕べ【その8】
文学を読むIV:「実朝」

5/17(木)18:50~20:30
la kagu 2F レクチャースペースsoko

 平成26年(2014)10月に始まったこの集いは、第1シリーズ<天才たちの劇>に<文学を読むⅠ><美を求めて><文学を読むⅡ><歴史と文学><文学を読むⅢ><美を求める心>の各6回シリーズが続き、今回、平成30年4月から始まった第8シリーズは<文学を読むIV>です。

*日程と取上げる作品 ( )内は新潮社刊「小林秀雄全作品」の所収巻

第1回 4月19日 西行(14)     発表年月:昭和17年11月 40歳
第2回 5月17日 実朝(14)             同18年1月 40歳
第3回 6月21日 徒然草(14)             同17年8月 40歳
第4回 7月19日 「悪霊」について(9)        同12年6月 35歳
第5回 8月9日   「カラマアゾフの兄弟」(14) 同16年10月 39歳
第6回 9月20日 トルストイ(17)       同24年10月 47歳

☆8月(第2木曜日)を除き、いずれも第3木曜日、時間は午後6時50分~8時30分を予定していますが、やむを得ぬ事情で変更する可能性があることをご了承ください。

 ◇「小林秀雄と人生を読む夕べ」は、上記の第8シリーズ終了後も、小林秀雄作品を6篇ずつ、半年単位で取り上げていきます。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

池田雅延

いけだ・まさのぶ 1946年(昭和21)生れ。70年新潮社に入社。71年、小林秀雄氏の書籍編集係となり、83年の氏の死去までその謦咳に接する。77年「本居宣長」を、2001年からは「小林秀雄全集」「小林秀雄全作品」を編集・刊行した。

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