ここ十年余り、小林先生について定期的に話してほしいという声を方々からかけてもらい、それが年々多くなってよろこんでいる。先月は、霞が関の若い人たちから「小林先生は科学技術についてどう言われていますか」という質問を受け、次の回にはこの質問に応じる約束をして準備にかかり、記憶を辿ったり読み返したりしているうちに先生が言われていた「現代の迷信」という言葉を思い出した。
「迷信」を辞書で引いてみると、『日本国語大辞典』には「現代の科学的見地から見て不合理であると考えられる言い伝えや対象物を信じて、時代の人心に有害になる信仰」とあり、『大辞林』には「科学的根拠がなく、社会生活に支障を来すことの多いとされる信仰」とあり、『広辞苑』には「迷妄と考えられる信仰」とあって、「その判定の基準は相対的で、通常、現代人の理性的判断から見て不合理と考えられるものについていう」とある。これらの説明に異論はあるまい、私たちはほぼ均しく、「迷信」とはそういうものだと思っている。
ところが、小林先生の言うところはそうではない、逆である。辞書が言っている「現代の科学的見地から見て不合理であると考えられる」や、「科学的根拠がなく」や、「現代人の理性的判断から見て不合理と考えられる」や、それらこそが迷信なのである、すなわち、「科学的な見方、考え方」という「現代の迷信」である。
昭和二十四年(一九四九)十月、四十七歳の秋に出した「私の人生観」(新潮社刊「小林秀雄全作品」第17集所収)で、先生はこう言っている。
――私がここで、特に言いたい事は、科学とは極めて厳格に構成された学問であり、仮説と験証との間を非常な忍耐力をもって、往ったり来たりする勤労であって、今日の文化人が何かにつけて口にしたがる科学的な物の見方とか考え方とかいうものとは関係がないという事です。そんなものは単なる言葉に過ぎませぬ。……
「科学的な物の見方とか考え方」とは、現代の知識人たちが金科玉条のように口にする実証的態度、客観的態度であると言い換えてもよい。この態度をさらに砕いて言えば、何事であれ証拠がなければ認められない、証拠立てが期待できない物事は初めから議論の対象にしない、という態度であり、自分ひとりの考えでものを言ってはいけない、誰もがその場で納得できる意見でないと評価しない、という態度である。
だが、先生は、そうではないのだと言う。現代の知識人たちが得意げにもちだす「科学」ではなく、真の科学、本来の科学には、
――様々な種類の科学があり、見る対象に従い、見る人の気質に従い、異った様々な見方があるだけです。……
つまり、科学は、見る人の気質に基づく主観から始まると言うのである。だから、最初に立てられる「仮説」はむろん主観であり、その主観から出発して最終的にこれはこうだと裏づけるための「験証」、すなわち観察、実験、計算を何年もにわたって繰り返す。「仮説」との間を何度も何度も往ったり来たりする。したがって、科学という学問は、思考というより勤労であり、研究対象としての「物」に無心で体当たりする以外に道はなく、その過程における科学者の態度はおのずと実証的、客観的にならざるを得ない、少しでも私心を交えることがあれば、「物」は最後まで胸襟を開いてはくれないからである。
ところが、そこを文化人たちは誤解した、というより、自分たちにとって都合のよいように実証的・客観的という言葉の中身をすり替えた。ここで言われている文化人とは、文学、哲学、歴史学といった文科系の学者であるが、とりわけて言えば歴史学者である。そして、彼らに追随した評論家やジャーナリストである。
文科系の学問は、人間が相手である。人間の精神が対象である。にもかかわらず文化人たちは、人間の精神も科学的に見、科学的に考えようとして、人間を自然界の物質同然、現象同然に扱うようになった。そこでどうなったか。まず人間が人間ではなくなった。研究対象であったはずの人間は死体同然になって生きた対象ではなくなり、それを研究する学者も主観を禁じられた結果、己れを殺し、
――対象も持たず気質も持たぬ精神は、科学的見方という様な漠然たる観念を振り廻すよりほかに能がない。……
そういう仕儀に陥った。そして、この「科学的な見方、考え方」を子供たちにも押しつけた。それによって、人づきあいにもデータという証拠を求め、相手の身になって考えようなどとは夢にも思わず、何事にも十人並みの大人が増え続けた。
ヨーロッパにおいて、自然科学が勢いを増したのは一七世紀であるという。一八世紀半ばからの産業革命で最初の頂に登りつめ、以後一九世紀、二〇世紀、二一世紀と、まさに「百尺竿頭に一歩を進む」の連続で、極点と思われた先にさらなる極点を拓いて一歩を進め続けた。こうして自然科学が、わずか四〇〇年ほどの間にこれほどまでの大発展を遂げえたのは、ひとえに取り組む相手を数値化できるものだけに限ったからだった。
そのうち、止まるところを知らない科学の隆盛は、数値化できないものには価値がないとする風潮を生んだ。あわてたのは文科系の学者たちだった。世界は自然科学ばかりをもてはやし、文科系は影が薄くなるいっぽうである。自分たちのしていることも科学と見られたい、そのためには文科系の学問も実証的、客観的でなければならぬ……。そこでどうしたか、物理学を手本にした。本来、文科系の学問は、自然科学の手の届かぬところ、というより、対象の数値化が大前提である自然科学には手を出そうにも出せないところ、そこを受け持って自然科学との両輪態勢を形成すべきであった。なのに、文科系の学問は、自然科学の荷台に乗って、人間社会を一輪車にしてしまった。それによってどうなったか。魂とか宗教心とか常識とかの、人間誰もが生きているかぎり負い続けなければならない精神面の問題は棚上げにされた。魂も宗教心も常識も数値化できない。実証的にも客観的にも扱えない。こうして世界は迷妄する人間たちでいっぱいになった。
だがそうなっても、人々は依然として「科学的な見方、考え方」を身につけようと躍起である。そういう見方、考え方こそが自分を見失わせ、不安に陥れているとは毫も思わず、自分の身体と一緒に心までも実証的、客観的に認識しようとして実に浅薄な自己認識に留まっている。先の『日本国語大辞典』風に言うなら、「科学的な見方、考え方」こそは「時代の人心に有害になる信仰」なのである。
小林先生は、科学にも精しかった。そのことは、物理学者・湯川秀樹氏との対談「人間の進歩について」(同第16集所収)と、数学者・岡潔氏との対談「人間の建設」(同第25集所収)とを読めば一目瞭然だが、そこまで科学がわかっているからこそ文科系学者の軽挙妄動が腹立たしく、ただちに「現代の迷信」から覚めて「古来の迷信」に還れ、「古来の迷信」にこそ人間を人間らしく活かす知恵が埋っていると言うのである。
先ほど私は、「あわてたのは文科系の学者たちだった……」と、無礼をも顧みずに十把一絡げの言い方をしたが、これはそういう大勢、趨勢だったということを言いたかったまでで、むろん科学の猛威にも己れを見失うことなく、文科系の本分を守って文科系の任に邁進した学者は何人もいた。なかでも一番に挙げられるひとりは、民俗学の柳田国男だろう。前々回、「教養とは何か」と題した回で、小林先生は自ら創刊した創元選書に、当時はまだほとんど知られていなかった柳田国男の本を立て続けに十七冊も収録したということを紹介したが、これはまた小林先生が、文科系の批評家・編集者として、率先して文科系の本分に殉じたということでもあったのである。言うまでもないが、柳田国男は「遠野物語」の著者である。先生の「信ずることと知ること」(同第26集所収)で精しく語られている。
繰り返すが、「現代の迷信」から覚めて「古来の迷信」に還れ、「古来の迷信」にこそ人間を人間らしく活かす知恵が埋っていると先生は言った。「古来の迷信」が人間を活かしたのは文科系の分野においてだけではなかった。フロイトの「夢判断」といえば、精神分析学の先駆であり金字塔だが、小林先生はこの本を高く評価してこう言っていた。フロイトは、夢に関する近代人の合理的と見える評価や解釈をすべて捨ててみた、そうしてみて彼に見えてきたのは、古代人が夢について抱いていた尊敬や、現代人の夢に関する迷信の方にかえって夢の現実的な力についての経験が残されているということだった、ここにフロイトの心理学的予感がはたらいた……。
先生が言っていた「現代の迷信」はまだまだある。「民主主義」も現代の迷信である。これらについてもいずれまた書こうと思う。先生は、「現代という大きな迷信」という言い方さえしていた。
(第四十回 了)
★小林秀雄の編集担当者・池田雅延氏による、
小林秀雄をよりよく知る講座
小林秀雄と人生を読む夕べ【その8】
文学を読むIV:「実朝」
5/17(木)18:50~20:30
la kagu 2F レクチャースペースsoko
平成26年(2014)10月に始まったこの集いは、第1シリーズ<天才たちの劇>に<文学を読むⅠ><美を求めて><文学を読むⅡ><歴史と文学><文学を読むⅢ><美を求める心>の各6回シリーズが続き、今回、平成30年4月から始まった第8シリーズは<文学を読むIV>です。
*日程と取上げる作品 ( )内は新潮社刊「小林秀雄全作品」の所収巻
第1回 4月19日 西行(14) 発表年月:昭和17年11月 40歳
第2回 5月17日 実朝(14) 同18年1月 40歳
第3回 6月21日 徒然草(14) 同17年8月 40歳
第4回 7月19日 「悪霊」について(9) 同12年6月 35歳
第5回 8月9日 「カラマアゾフの兄弟」(14) 同16年10月 39歳
第6回 9月20日 トルストイ(17) 同24年10月 47歳
☆8月(第2木曜日)を除き、いずれも第3木曜日、時間は午後6時50分~8時30分を予定していますが、やむを得ぬ事情で変更する可能性があることをご了承ください。
◇「小林秀雄と人生を読む夕べ」は、上記の第8シリーズ終了後も、小林秀雄作品を6篇ずつ、半年単位で取り上げていきます。
小林秀雄の辞書
6/7(木)18:30~20:30
新潮講座神楽坂教室
小林秀雄氏は、日々、身の周りに現れる言葉や事柄に鋭く反応し、そこから生きることの意味や味わいをいくつも汲み上げました。1月から始まったこの講座では、私たちの身近な言葉を順次取上げ、小林氏はそれらを私たちとはどんなにちがった意味合で使っているか、ということは、国語辞典に書いてある語義とはどんなにちがった意味合で使っているかを見ていきます。
講座は各回、池田講師が2語ずつ取上げ、それらの言葉について、小林氏はどう言い、どう使っているかをまずお話しします。次いでその2語が出ている小林氏の文章を抜粋し、出席者全員で声に出して読みます。そうすることで、ふだん私たちはどんなに言葉を軽々しく扱っているか、ごくごく普通と思われる言葉にも、どんなに奥深い人生の真理が宿っているか、そこを教えられて背筋が伸びます。
私たちが生きていくうえで大切な言葉たちです、ぜひおいでになって下さい。
6月7日(木) 個人/集団
※各回、18:30~20:30
参考図書として、新潮新書『人生の鍛錬~小林秀雄の言葉』、新潮文庫『学生との対話』を各自ご用意下さい。
今後も、学問、科学、謎、魂、独創、模倣、知恵、知識、解る、熟する、歴史、哲学、無私、不安、告白、反省、言葉、言霊、思想、伝統、古典、自由、宗教、信仰、詩、歌……と取上げていきますので、お楽しみに。御期待下さい。
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池田雅延
いけだ・まさのぶ 1946年(昭和21)生れ。70年新潮社に入社。71年、小林秀雄氏の書籍編集係となり、83年の氏の死去までその謦咳に接する。77年「本居宣長」を、2001年からは「小林秀雄全集」「小林秀雄全作品」を編集・刊行した。
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
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