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2022年6月16日 虎屋のようかん

6月16日「和菓子の日」のルーツ、嘉祥とは?

著者: 虎屋文庫

「6月16日は和菓子の日」と聞いて、ピンと来る人は少ないことでしょう。しかしその起源には長い歴史があり、旧暦6月中旬の「嘉祥」という行事に由来するそうです。はたして「嘉祥」とはどのような行事なのか? なぜその日に菓子を食べるのか? 老舗「虎屋」で菓子資料についての調査・研究を行う虎屋文庫さんに、そのルーツや「嘉祥菓子」についてご紹介いただきました。

「千代田之御表 六月十六日嘉祥ノ図」(虎屋文庫所蔵)

 6月16日は和菓子の日。語呂合わせになっていないので「なぜこの日が?」と思う方もいらっしゃるでしょう。謎めいていますが、かつてこの日に、菓子を食べて厄を祓い、福を招く嘉祥(かじょう)(嘉定とも)という行事があったことにちなんでいます。旧暦の6月中頃といえば、暑さが厳しくなり、病にかかりやすくなる時期で、暑気払いの意味もあったと考えられます。和菓子の主材料となる小豆は栄養価が高いこと、皮の赤い色が邪気を祓うと信じられていたことなども背景にあったといえるでしょう。

江戸幕府の儀式―並んだ菓子は2万個以上

 嘉祥の始まりについては諸説あり、平安時代からとも伝わりますが不詳です。後の室町時代には、幕府の納涼で楊弓の試合が行われ、敗者が勝者を、中国の宋銭「嘉定(かじょう)通宝(つうほう)」16枚で買った食物でもてなしたと伝わります。嘉定通宝は略して「かつう」と呼ばれていたために、音が「勝」に通じ、縁起がよいとされたのです。

 江戸時代、嘉祥は幕府・宮中・民間で行われましたが、盛大な行事としたのが幕府でした。この日、御三家などを除く大名、旗本は江戸城に登城し、将軍から菓子を賜ります。幕府御用の菓子屋、大久保(おおくぼ)主水(もんと)の記した『嘉定私記』(1809)によれば、用意されたのは羊羹、鶉焼(うずらやき)寄水(よりみず)、饅頭、金飩(きんとん)、あこや、平麩(ひらふ)熨斗(のし) の8種類(以下、『嘉定私記』より幕府の「嘉定菓子」)。

羊羹
鶉焼(餡入りのふっくらした餅菓子)
寄水(黄と白のねじったしんこ餅)
饅頭
金飩(団子状のもの)
あこや(真珠貝の意。しんこ餅に小豆餡をのせたものか)
平麩(麩の煮しめ)
熨斗(のしあわび)
幕府の嘉定菓子(再現)
上から時計回りに、金飩、羊羹、あこや、鶉焼、寄水、饅頭(中央)。このほか、平麩と熨斗がある。

 その数といえば、羊羹5切盛194膳、鶉焼5ツ盛208膳、寄水30盛208膳、饅頭3ツ盛196膳、金飩15盛208膳、あこや12盛208膳、平麩5ツ盛194膳、熨斗25筋盛196膳で、合計1612膳、菓子数は2万個以上に及びます。この大量の菓子類が江戸城の約五百畳の大広間に、杉の葉を敷いた片木盆(へぎぼん)にのせられ、整然と並べられるのですから、壮観の一言です。並べるのは前夜で、翌日のために見張り番をする者がついたそうです。

 当日は規式にのっとり、菓子を順番に拝領しますが、希望の品をもらえるわけではありませんでした。2年連続で熨斗があたるなど、甘い物ではない場合もあり、家中でひと騒動が起こるといった、苦笑したくなるエピソードも伝えられます。

嘉祥を重んじた徳川家康

 江戸幕府がなぜこの行事を重んじたかについては、先の『嘉定私記』に見える逸話が参考になります。徳川家康が元亀3年(1572)、武田信玄に挑んだ三方ヶ原(みかたがはら)(静岡県浜松市付近)の戦いの前、嘉定通宝を拾い、戦勝に通じ、幸先がよいと喜んだとのこと。その折、家臣の大久保藤五郎(大久保主水の祖)は、6種類の菓子(饅頭・羊羹・金飩・寄水・あこや・鶉焼)を献上し、家康はそれをほかの家臣たちに配ったそうです。家康は三方ヶ原で大敗しますが、この敗戦を教訓にその後、負けることがなかったとされることから、伝説的な節目として、菓子の授与も重要視したのでしょう。これを佳例として、将軍が菓子を配る嘉祥が、主要な年中行事の一つとして位置づけられるようになったとされます。同時に、主君から家臣へ菓子を下賜することは、主従関係を確認する意味もあったと考えられます。

 ちなみに嘉祥に関わる武家史料は、幕府に限るものではありません。鹿児島藩島津家には幕府とほぼ同様の嘉祥菓子を描いた「嘉定御菓子之図並数之図」(1805)が伝えられます。また、幕府御用菓子屋もつとめていた金沢丹後は、水戸徳川家に羊羹、鯨餅や藤の花(しん粉餅)など9品、仙台藩伊達家には落雁や算木餅、水羊羹など計16品というように、幕府のものとは異なる嘉祥菓子をそれぞれの江戸屋敷に納めていました(『金沢丹後 江戸菓子文様』)。このほか、各地には嘉祥関係の史料がまだまだ残っていることでしょう。菓子好きとしては、各藩主がどんな菓子を賞味していたのか、探ってみたいものです。

宮中や民間での嘉祥祝い

 宮中での嘉祥は『御湯殿上日記 (おゆどののうえのにっき)』(宮中の女官の日記)の記述から、詳細は不明とはいえ、室町時代後期には行われていたことが明らかになっています。江戸時代には、天皇から公家に玄米一升六合がお祝いとして事前に下され、公家は禁裏御用菓子屋の二口屋(ふたくちや)と虎屋で菓子にかえ、当日宮中に持参し、食したそうです。虎屋には、貞享4年(1687)より、嘉祥用に、饅頭や金飩ほかさまざまな菓子を納めた記録が残っています。そのうち、幕末に宮中に納めていたとされる7種の嘉祥菓子(写真下)を現在販売しています。

嘉祥菓子七ヶ盛(虎屋製) 上から時計回りに、武蔵野、源氏籬(げんじませ)、桔梗餅、伊賀餅、味噌松風、浅路飴、豊岡の里(中央)。幕末、宮中に納めたと伝わるものをもとに、現在販売している。

 一方、民間の例では、井原西鶴の『諸艶大鑑(しょえんおおかがみ)』(1684)に、京都島原で行われた「嘉祥喰」の様子があります。「二口屋(ふたくちや)がまんぢう、道喜(どうき)笹粽(ささちまき)虎屋(とらや)のやうかん、(とう)()(うり)、大宮の(はつ)葡萄(ぶどう)(あわ)田口の覆盆子(いちご)(さめが)()(もち)(とり)まぜて十六(いろ)」と、16種の食べものの名前があり、現在に受け継がれる川端道喜の粽、虎屋の羊羹の名前があがっているのが興味深いところです。このほか、江戸時代後期の江戸では、16文で菓子を買い、食べる例も見られます。

「和菓子の日」として復活

 こうした長い歴史をもつ嘉祥ですが、残念なことに明治時代には廃れてしまいます。長い間忘れ去られていましたが、昭和54年(1979)、この由緒ある伝統行事を後世に伝え残そうと、全国和菓子協会は6月16日を「和菓子の日」に制定し、現在に至ります。会員店では嘉祥に関連させた菓子が店頭に並び、虎屋の場合は、嘉祥蒸羊羹や嘉祥菓子七ヶ盛、限定生菓子などを販売します。嘉祥はなじみが薄い行事かもしれませんが、近年では、江戸城や幕府行事に関わる展示やドラマ(NHK大河ドラマ「篤姫」)、書籍などで取り上げられる機会も増えています。

 あらためて(いにしえ) の行事に思いを馳せ、この日に和菓子を味わい、厄除けをしてみてはいかがでしょうか。

*羊羹について詳しくまとめた『ようかん』(虎屋文庫著、新潮社刊)もご参考になさってください。

虎屋文庫 『ようかん

2019/10/30

公式HPはこちら

 

「甘いもの好き 殿様と和菓子」展小冊子 虎屋文庫 2002年

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

虎屋文庫

とらやぶんこ 1973年に創設された、株式会社虎屋の菓子資料室である。史料の収集・保管を行っており、大きく分けて、歴代の店主や経営に関わる文書や古器物といった虎屋に関する史料と、和菓子全般についての史料の2種類を対象とする。史料に基づいた調査・研究を行い、『和菓子』という機関誌を発行したり、和菓子にまつわる展示を催したり、情報発信に努めている。公式ホームページ 画像:「狂虎之図」富岡鉄斎(虎屋蔵)


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