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2020年7月22日 虎屋のようかん

信長に光秀に家康、戦国武将は羊羹でおもてなしをしていた!

著者: 虎屋文庫

大河ドラマ『麒麟がくる』では、主役の明智光秀の奮闘はもちろん、斎藤道三の怪演など話題に事欠かない。酒杯を傾けるシーンも出てくるが、実はそういった饗応の場に、羊羹が供されていたことが結構あった、という事実はご存知だろうか? そんな歴史をまとめた『ようかん』という、その名もずばりの専門書を紐解きつつ、著者の虎屋文庫さんに聞いてみた!

――時代考証をきちんとした時代劇では、食事場面が多いですね。和菓子も出てきますか?

 大河ドラマで、食事場面など出ると、いつも手に汗を握って和菓子が出てくるかどうかを注視しています(笑)。虎屋文庫は、和菓子全般に関する資料の収集や調査研究も行なっているので、テレビ局の方からお問い合わせをいただくことも多くあります。

 最近では、コロナ禍で大河ドラマの再放送も話題になっていますが、信長や秀吉の時代の大河といえば、ポルトガルやスペインから伝わった金平糖がよく登場しますね。『利家とまつ』では、まつが子供時代に利家からもらった金平糖を、求婚されるまで宝物のように大事にしていて、印象的でした。『麒麟がくる』では、金平糖やみたらし団子が出ていましたね。この時代は、菓子といっても饅頭や餅、団子など素朴なものばかりです。羊羹も作られているのですが、テレビ向きでないのか、出てこないのが残念です。

金平糖の原形、ポルトガルのコンフェイト。角がぼこぼこしている。写真提供:虎屋

――古文書などで、羊羹が戦国武将の饗応きょうおうに振る舞われた記録があるそうですね。

 そうなんです。虎屋文庫では、戦国時代の御成おなり(一般に主君が臣下の屋敷を訪れ、もてなしを受ける儀礼)の記録などを調べておりまして、『ようかん』では「ようかんが使われた戦国時代のおもてなし」として、表にもまとめています。

 その表には著名な武将のおもてなしを10例だけ入れました。

 たとえば、1581(天正9)年6月16日には、織田信長が徳川家康を安土城で饗応しており、羊羹と一緒に蜜柑、胡桃、饅頭、落雁、有平糖あるへいとう、昆布を供したという記録が『御献立集』(慶應義塾大学図書館蔵)にあるんです。

 明智光秀が応接役を担当した1582(天正10)年5月15-17日の饗応の記録もあります。これは信長が、武田勝頼を破った直後に、連合軍の徳川家康と、武田家から離反してそこに加わった穴山梅雪の功績を称えるために、彼らを安土城に招いて歓待した際のものです。羊羹と一緒に、この時は打栗うちぐり、胡桃、あげ物、花に昆布、おこし米、熨斗(のし鮑)も合わせたようです。

 抜かりのない光秀のこと、失礼のないよう、入念に準備したと思いますが、なぜかこのとき、信長から叱責を受けており、それが原因の一つとなって謀反に及んだともいわれています。

 1595(文禄4)年3月28日に徳川家康が自邸で豊臣秀吉をもてなしたときに羊羹をふるまった記録も詳細にありますので、詳しくは本をご覧くださいませ。  

 当時の羊羹は「蒸羊羹」と考えられますが、砂糖は輸入に頼る貴重品でしたので、今ほど甘くなかったことでしょう。おもてなしに使うなど、限られた人にしか手の届かない上等な食べ物だったといえます。

参考・現在の蒸羊羹 写真提供:虎屋

 これほど史料に出てくるにもかかわらず、戦国時代に羊羹があったことをご存じの方は少ないと思います。とはいえ、展示会で注目されたことがありました。

 少し前になりますが、2015年、徳川家康没後400年記念ということで、江戸東京博物館で『大関ヶ原展』が開催されました。「関ヶ原合戦画屏風」「関ヶ原合戦絵巻」がいくつも展示され、華やかな内容となっていまして、会場では虎屋も戦国時代にゆかりある菓子として、携帯にも便利なサイズの小形羊羹のセットを販売しました。定番の小倉羊羹「夜の梅」、京都限定の「白味噌」「黒豆黄粉」、3種類を2本ずつ、「関ヶ原合戦図屏風(部分)」のカード入りで詰合せたものです。

 こうした寒天を使ったねり羊羹が作られるのは江戸時代後期のことなのですが、戦国時代に羊羹(蒸羊羹)があったということで話題になり、土産品として好評でした。

――関ケ原の合戦に虎屋さんもかかわられていたとか? さすが500年の歴史ですね。

 室町時代後期に京都で創業した虎屋は後陽成天皇ごようぜいてんのうの御在位中(1586~1611)より御所の御用を勤めてまいりました。
 関ヶ原の合戦の際に、西軍の武将、尾張犬山城主の石河備前守光吉いしこびぜんのかみみつよしを虎屋がかくまったとの記録が残されています。

「関ケ原合戦絵巻」より 国立国会図書館蔵

――展示限定の羊羹はほかにもおありなんでしょうか?

 2012年に、東京都美術館と神戸市立博物館でマウリッツハイス美術館展が開催された折、フェルメールの作品に見られる蒼と光の世界をイメージした「蒼ノ調べ」を販売したことがあります。「フェルメールが日本を訪れ、虎屋で羊羹を注文したら。」という物語を思い描いて、考案したものです。

特製羊羹『蒼ノ調べ』とパッケージ
柔らかな光を感じさせる蒼と白の道明寺羹、そして陰影をはらんだ質感の煉羊羹。
Photograph: Hiroshi Yoda、写真提供:朝日新聞社

 また、琳派関係の展示やイベントでは、尾形光琳が宝永7年(1710)5月21日に注文した菓子「友千鳥」を蒸羊羹や煉羊羹でおつくりしたこともあります。

 『ようかん』の本では、小形羊羹のデザインを写真入りで追いかけましたが、期間や地域限定のオリジナルのパッケージあるいは珍しい味の小形羊羹もあります。

 たとえば、本では2018年の京都南座新開場に合わせて作成した、京都四條南座店限定のものを紹介しています。松竹株式会社さま監修で、虎をモチーフにした隈取のデザインのものです。

 今年の秋には、パリ店40周年を祝って、特別企画の小形羊羹の販売を予定しています。

――今も和菓子の中で存在感のある羊羹ですが、そもそも、なぜ羊の羹とかくのでしょうか?

 羊羹のルーツは中国、羊肉の入った汁物でした。それを鎌倉から室町時代に中国に留学した禅僧が日本に持ち込みます。肉食を禁じられた禅僧は、小豆や小麦粉、砂糖などを使った蒸し物にして、見立て料理として今の蒸羊羹に似たものができたんです。大まかには、寒天がその後使われるようになって煉羊羹が生まれていきます。そんな羊羹の変遷も『ようかん』では写真と合わせて詳しく語っています。羊羹の世界をじっくりと味わってみてください。

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*産業革命後に急速な都市化が進むロンドンで、イギリスの詩人ワーズワースが書き遺した言葉。

 

 

「考える人」編集長
松村 正樹

著者プロフィール

虎屋文庫

とらやぶんこ 1973年に創設された、株式会社虎屋の菓子資料室で、現在は8名のスタッフが在籍している。史料の収集・保管を行っており、大きく分けて、歴代の店主や経営に関わる文書や古器物といった虎屋に関する史料と、和菓子全般についての史料の2種類を対象とする。史料に基づいた調査・研究を行い、『和菓子』という機関誌を発行したり、和菓子にまつわる展示を催したり、情報発信に努めている。公式ホームページ 画像:「狂虎之図」富岡鉄斎(虎屋蔵)

  • 津野海太郎「最後の読書」読売文学賞受賞


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