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村井さんちの生活

 自宅勤務歴15年以上の私にとって、コロナ禍での自粛生活は、慣れた勤務形態の延長線上の暮らしのようなものだと考えていたし、私にとって、さほど大きな問題ではないと思っていた。実際、深刻なストレスを感じることなく、この1年、無事に暮らすことができたと思う。もちろん、息子たちの3ヶ月にも及ぶ休校には苦労させられたが、それも慣れてしまえば楽しみを見つけられるようになって、朝ドラ視聴マラソンなどでなんとか切り抜けた。

 しかし、そんな自粛生活も1年を過ぎた今頃になって、私の中の何かが異常事態になっている。赤いランプが点滅しまくっている。それに気づいたきっかけはPTA会長の言葉だったと思う。私は来年度もPTA委員を務める予定になっているが(ちなみに3年連続になる)、今年度最後の会議の場で、会長が言っていた言葉が妙に耳に残った。今年度はコロナ禍の影響でPTA活動のほとんどが延期や中止に追い込まれ、我々にとって残念な1年だったなあ……という雑談のなかで、彼女がこう発言したのだ。

 「最近さ、用事があって誰かに電話するやんか。そしたら、めちゃくちゃ長くしゃべってしまうねん、私! 全然関係ないことまでぺらぺらしゃべってしまう。これは会話に飢えてるんやと思う。人との交流に飢えてるねん、私!」 

 明るい会長は、そう言ってガハハと笑っていた。その場にいた先生も役員も委員も、みんな「ほんまやわ~」と言っていた。私もタピオカミルクティーを飲みながら、うんうんと頷いていた。

 私にも思い当たることはあった。そういえば最近、電話がかかってくると妙に長話になる。そもそもおしゃべりなので、気の合う仲間との話は長くなる傾向にあるけれども、それはそうだとしても、やはりちょっと長めになったように思う。結構、楽しく話してしまったりする。受話器の向こうの人も、なんとなく饒舌になっているような気もする。私らしくないなとも思う。この1年で変わったのかしらと不思議だ。人との交流に「飢えている」という会長の言葉が、私の生活の変化を上手に言い当てているように思えたのだ。

 そもそもインドア派だし、コロナ禍以前も外出することは多くなく、家に籠もっての作業が性に合っていると思っていたけれど、会長にそう言われてみると、確かに、私も交流に飢えているかもしれない。友達や仕事仲間に会って、どうでもいい話をして、大笑いしたい。自由気ままに好きな人たちと会って、楽しく暮らしていたあの頃が懐かしいなあなんて、そんな気持ちになってきている。いつになったらあの日々が戻るのか、淡いブルーの春の空を見て、そんなことを思ったりするのだ。

 しかし、人との交流以上に私が飢えているものがあると白状しなくてはならない。それは、街に繰り出して散財するという行為だ。友達と一緒に、あるいは一人で出かけてショッピングをすることがなにより好きなのだが、気づいてみれば、それが派手にできなくなって1年以上が経過している。街で派手に買い物をしたい欲を抑えきれない。次から次へと商品を手に取り、本格的に浪費したい。本屋で実際に本を手に取り、眺め、時間をかけて選び、背中に担いで戻らねばならないほど買いたいし、デパートで暴れたい。それなのに、持病のある私はそれができない。できないというか、やりたいけど我慢している。万が一にもコロナウィルスに感染したらまずいからだ。我慢が一番大嫌いな私が、長期間、我慢を強いられているのだ。

 それがどのような悲劇に結びついたかというと、インターネットショッピングだ。ここに書くのもつらいぐらい、毎日買いまくっている。せっせと訳して、書いて、稼いだお金のほとんどすべてをインターネットショッピングに費やしている。どう考えても買いすぎだ。どうでもいいものばかり買っている。家のなかに遠方から取り寄せただんごが溢れ、「またか」と呆れられている。食べものだけではなく、外出もしないくせにバッグや靴を買いまくっている。もう、止めたくても止まらないのだ。外に出ないのに、もう春はそこまで来ているのに、冬用コートまで買ってしまった。昨日は万年筆を買った。使いますか、万年筆? 使わないでしょう、絶対に(私の場合は特に)。

 インターネットショッピングは、私にとっては刺激が足りないのかもしれない。例えば、デパートに行ってハンドバッグを買う場合、自分の目でしっかりと見て、実際に手に取り、そして緊張しつつクレジットカードを握りしめ、購入する。その一連の行為に興奮がある。喜びがある。物欲を満たす強烈な刺激がある。しかしインターネットショッピングにはそこまでの刺激がない。だってクリックしかしないもの。だから毎日やっても満足できないのでは!? 分析している場合ではないが!?

 怖ろしいことに、最近では仕事が辛くなると買うようになった。これは本来、順番が逆でなければいけないのだ。普通、欲しいものがあって、それを買うために働くはずなのに、働く気力が出ないので先に買ってしまおう(買えば意欲も湧くだろう)という心理に到達している。震えるほど怖い。

 先週は、真っ暗な夜中のリビングで、外出もせずジャージばかり着ているくせに、(自分基準で)高価なバッグを購入した。高いのに妙に小さくて、荷物が多い私には使い勝手の悪いものだと思う。でも、とにかく買わなければダメだと思った。そんな弱腰でどうすると自分を追い込み、そして購入した。毎日こんなことの繰り返しだ。買い物をしなければ仕事が出来ないという魔のループから一刻も早く抜け出したいものの、SNS上で見る同業者も、同じ症状に苦しんでいるようなので、とりあえず、すっからかんになるまで突っ走ろうかなとも思っている。人生一度きりだしね(ヤケ)。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

村井理子
村井理子

むらい・りこ 翻訳家。訳書に『ブッシュ妄言録』『ヘンテコピープル USA』『ローラ・ブッシュ自伝』『ゼロからトースターを作ってみた結果』『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』『兵士を救え! マル珍軍事研究』『子どもが生まれても夫を憎まずにすむ方法』『人間をお休みしてヤギになってみた結果』『サカナ・レッスン』など、エッセイに『(きみ)がいるから』『村井さんちの生活』がある。『村井さんちのぎゅうぎゅう焼き』で、「ぎゅうぎゅう焼き」ブームを巻き起こす。ファーストレディ研究家でもある。

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