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村井さんちの生活

 今年の夏は酷暑だが、このとんでもない暑さは果たして、全国の認知症患者に何らかの影響を及ぼしているのだろうか? わが家のケースで言えば、その影響は大きい。

 暑さそのものが直接義父母に与える肉体的ダメージもさることながら、暑いために外出がままならないこと、コロナ禍という特殊な事情が相まって、義父母をますます孤立した窮屈な環境に閉じ込めてしまっている。それがどう影響し、どんな結果を導いたかというと、義母の義父に対する執着(別名:愛)が強化されてしまった。義父は一瞬たりとも自分ひとりで寛ぐことができない。義母は常に彼の横にいて何から何まで世話をしたがり、義父に近づく人間は全員敵認定するようになった。

 別々のデイサービスに通うというケアマネさんの苦肉の策で義父は義母から離れることが出来ているものの、家に戻れば、こちらもデイサービスから戻った義母に、どこに行っていたのかと詰め寄られる。毎日覚えもないことで疑われる義父はすっかり参ってしまい、涙を見せる日も増えた。義母の囲い込みスイッチは、夏が本番を迎えたあたりに完全に入り、傍目に見ても気の毒な状況になっていた。

 正午の気温が35度を超えたとある暑い日、電話に出ない義父母が心配になり、車に飛び乗って様子を見に行った。珍しくガレージのドアも施錠してあり、家のなかに人の気配が感じられなかった。玄関まで行ってどんどんとしつこくドアを叩いても反応がなく、呼び鈴を押しても誰も出てこない。ケータイを取り出して電話を鳴らしてみたが、誰も出ない。まさに難攻不落の状況だ。

 どうしよう、何か様子がおかしい。どこか鍵が開いていないかと、裏口に回り窓をチェックしたが、戸締まりは完璧な義母がミスを犯すわけがない。そういう点は本当にしっかりしている。そして、私は合鍵を持っていない。合鍵で開けてしまえばそれが最後、義母との信頼関係が崩れることは想像に難くない。その日は午前中にヘルパーさんが来ていたはずなので、ヘルパーステーションに電話をして午前の様子を確認してみようと思い立ち、ケータイを持ったところで、家のなかに人影が見えた。義母だった。こちらを窺っている。疑うような、鋭い目つきであることはすぐにわかった。ヤバい、今日は何か起きているぞ!

 「お義母さん! 開けてくださいよ、私ですよ、私!」と言うが、義母はじっとこちらを見つめるだけで、私だと気づいていない様子だ。仕方ないので、大きな声で「お義母さん、いないのかな~、どうしちゃったのかな~」とわざとらしく言い、義母が私に気づくのを待った。全身汗だくになり、もう諦めようかと思ったそのときだ。義母がようやくカチャリと鍵を開けてくれた。開けてくれたが無表情だった。ウェルカムな雰囲気はゼロだ。しかし、そんなことで怯む私ではない。

 怯む私ではないはずだったが、家に入った瞬間に襲ってきた熱気には、さすがに驚いてしまった。こんなに暑い空間にいたら、後期高齢者はあっという間に熱中症になってしまう。お義母さん、クーラー! と言いつつ、急いでリビングに行き、リモコンを探す。電気もテレビもエアコンも切られたリビングは蒸し暑く、真っ暗だった。慌ててエアコンの電源を入れる。しかし設定温度が30度になっている。設定温度を下げるボタンを高速連打しつつ、義父を探すも姿が見えない。義母をちらっと見ると、ぼんやりとしていた。状況が把握できず、きっと私のことも誰かはわかっていないはず。もしかして、泥棒だと思われているだろうかと不安になった。怖い。何が起きているのか。

 「エアコン、つけてたのに…」と言う義母に、「お義父さんはどこですか!?」と聞くと、「さあ、どこやろ…」と、不安そうに答えた。ヤダ、ちょっと待って、まさか!? 

 私、なんでこんなタイミングで来ちゃったんだろうと焦った。それほどまでに、実家の内部は異様な雰囲気に包まれていた。微かに漂う生ゴミの悪臭と、トイレの芳香剤の匂い。肌に張り付くような熱気、古い冷蔵庫から聞こえる低いモーター音。私の横にぼんやり立つ義母はほとんど無表情で、何を聞いても反応が薄いのだ。息を吸うのも大変なほど暑い空間だというのに、背筋がゾッとして、冷や汗が出た。

 寝室の方を見ると、ドアが少しだけ開いている。その隙間の向こうは真っ暗だった。ぼんやりと、義父のベッドが見えた。義父は寝ているのか、それとも…? 神様おねがい、第一発見者だけは勘弁してくれと祈りつつ、ゆっくりと寝室へ向かった。

 静かにドアを開けると、カーテンを閉め切った寝室は暗く、そして蒸し暑かった。エアコンは切られていたが、若干、冷気が残っていた。たぶん、切ってからそう長くは経過していなかっただろう。恐る恐る、義父のベッドの上を見ると、義父は確かにそこに寝ていた。しかし、義父の上には何枚も何枚も掛け布団がかけられていた。

 真っ先に連想したのは、おが屑に覆われたカブトムシの幼虫だ。うわあぁぁ…という、声にならない声を出してしまった。急いで布団を引っ剥がして、義父を揺り起こした。汗をかいて苦しそうにしていた義父ははっと目覚め、私の顔を見て驚き、状況を把握したようだった。義母はいつの間にか、汗だくで驚愕している義父の横にちょこんと座って、団扇で義父を扇ぎはじめた。「この人、寒がりだから…」と言う義母を、私も、そして義父も口を開けて見つめるしかなかった。お義父さん、エアコンのリモコンは隠したほうがいいかもしれないね、それに冬用の布団もどこかに隠してしまおうと言うと、義父は静かに頷いていた。

 この日以降、義母の義父に対する強いこだわりはエスカレートしている。寝ていればひっきりなしに額に濡れタオルを置かれる(それも複数枚)義父は、眠れないと訴える。どこからかレシートを集めてきて、一枚一枚、どこに、誰と買い物に行ったのかと問い詰める義母に、もう耐えることが出来ないと肩を落とす。義父を病院に連れて行けば、なぜ私も行けないのかと義母は悲しそうに電話をしてくる。浮気妄想と一口に言っても、このようにパターンは様々なのだ。

 とても大事なもの、家族を、どうしても守りたい。そんな義母の気持ちは痛いほどわかる。でも、今の状態では義父が潰れてしまう。ケアマネさんと話合いの末、義母のデイサービスを増やし、義父に自由時間を今以上に与えられるようにした。義父を守るために、義母をデイサービスに預かってもらう。それが正しいのかどうか、私にはわからない。ただ、こんな未来が来るとは、一年前の私はこれっぽっちも予想してはいなかったことは確かだ。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥


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