後期高齢者には、「介護を受けるのが上手な人」と「介護を受けるのが下手な人」がいると私は思う。わが家の場合、前者が義母、後者が義父だ。
私の勝手な基準で申し訳ないが、介護を受けるのが上手な人は、ポジティブだ。例えば失敗したとしても、次はがんばろうとか、今回は諦めようとか、あくまで明るく先を見ることが出来る人だと思う。ありがとう! と気持ちよく言える人。そんなイメージがある。最近はもの忘れも大変多く、何かと問題を抱える義母だが、その明るさは周囲の人も楽しい気分にさせてくれる。ありがとうねという言葉を決して忘れない彼女は、ヘルパーさんの間でも人気者だと思う。
私が大変苦手とする「介護を受けるのが下手な人」の特徴は、しつこい、暗い、重いの3拍子である。義父以外の何ものでも無い。誤解しないでほしい。私は義父が悪い人間だとも、義父のことが嫌いだとも言っていない(軽く嫌い)。ただ、彼に漂う陰気な雰囲気は今に始まったことではなく、私の悩みのひとつなのだ。もうここのところ数十年、彼は周囲にマイナスのオーラをまき散らし、どよーんとさせている。先日、たまたま立ち寄った実家で訪問看護師さんと遭遇したときのことだ。みんなで一緒にダイニングテーブルに集まって、雑談をしたのだが、その時、義父のあまりの陰気さに、訪問看護師さんも思わず、「暗いッ!」と言っていた。その言葉通りだ。暗いッ! 重いッ!
もちろん、理解しているつもりだ。長年連れ添った妻が、あのしっかり者だった妻が、調子の悪い日には自分のことを忘れ、忘れるだけではなく真顔で「早く出て行け」などと言うのだ。つらいに決まっている。数年前に発症した脳梗塞の後遺症で、体が思うように動かない日もある。嫁の性格がきつい。息子の性格もきつい。孫はなにより大切な存在だが、最近さっぱり家に来てくれない……。
「そんなの仕方ないじゃないっすか」と私は言った。「お父さんはさ、なんでも暗く考えがちなんですよ。運命だと思って受け入れちゃえばいいじゃん! お義母さんは認知症。それは病気なの。だから仕方ないことなんですよ。それに、お義父さんもお義母さんも体は健康なんだから、それ以上素晴らしいことはないじゃないですか! 陰気な顔やめてもらえません? 私の運気まで悪くなるような気がするんだよな~」
文字にしてみると大変酷いことを言っているが、こうも言いたくなる気持ち、義父に対応して下さっているヘルパーさんであればわかってくれるはずだ。とにかくマイナス思考、そして病的な心配性なのだ。そもそもこの心配性だって、義母の認知症がきっかけというわけではなく、随分昔からのことだ。
雨が降るとわが家の電話が鳴る。「雨が降っているけど、大丈夫か!?」と半泣きのような声で言う。お前が大丈夫かと言いたい。雷が鳴れば「雷が鳴っているぞ!」と、泣きそうな声だ。電車が止まれば「電車が止まったぞ!」、台風が来れば「台風が来るぞ!」 こんなことが続き、私がノイローゼになりそうになって、電話線をハサミで切ってしまったことがある。すると翌朝に、いきなりわが家にやってきた(当時はまだ車の運転ができた)。「死んでしまったかと思って、警察に通報するまえに確認に来た」ということだった。こんな事件が何度もある。子どもたちが小さい頃は、もっともっと酷かった。すべては書き切れないし、私の怨念が噴出しそうなのでこのあたりでやめておくけれども。
さて、そんな陰キャな義父と陽キャな義母を連れて、先日、月一度の受診に行ってきた。以前は三ヶ月に一度の通院でよかったものの、この三年間義母を診察してくれている医師が、義母の様子を観察し、一ヶ月おきにすることを決めた。つまり、進行してきているのだ。私と夫で、順番に連れて行くことにしている。車でたかだか一時間の距離の病院だが、二人の後期高齢者を連れて受診することの大変さは筆舌に尽くしがたい。後部座席で琵琶湖を眺めて、「なんて美しい海なのかしら。ここはどこ?」と言っている義母はかわいいものだ。義父は車に乗った瞬間から、泣きそうな声で「こんなことをさせて、すまんなぁぁ……」と言いはじめる。何度も言う。
「こんな目に合わせて、つらい……こんなことならいっそ……」
「病院に行ったからって、何が変わるでもない……」
「こんな苦労ばかりさせてしもうて……」
もう、本当に急ブレーキをかけて車から放り出したいぐらいに腹が立つのだ。反応するのも腹が立つ。正々堂々としていればいいじゃないか! ありがとう! 今月も迷惑かけたが、本当に助かるよ! なぜそう言えないのだ。どんどん怒りが募り、若干運転が乱暴になってきた時だった。次男からLINE通話が入った。ハンズフリーにしていたのですぐに応答した。
「あ、母さん? 俺やけど、帰りにマクドでダブチ(ダブルチーズバーガー)買ってきてくれへん? もしトリチ(トリプルチーズバーガー)があったらそっちでええわ。3個……いや、4個で頼む!」
了解と応答してそそくさと通話を切ったのだが、聞きつけた義父が(こんな時はよく聞こえるのだ)、またもや泣きそうな声で「今のは誰や」と聞いた。「ああ、次男すよ」と答えると今度は、
「あああ、可哀想に……」と言った。何が可哀想なのか、まったく理解できない。
「何が可哀想なんですか。ハンバーガー買ってきてってだけじゃないですか」
「食べるものがないんやろ……わしらがこうやって迷惑をかけているから……」
ムキーッ! イライラするう! 高校生は24時間ハンバーガーを食べる生き物なんですよ! いつでも食べるんだよ、やつらは!
イライラする私にまったく気づかず、義父は追い打ちをかけるように言い出した。
「このまま真っ直ぐ家に戻ってくれ! あの子がかわいそうや。お昼ご飯がないんやから、待たせるわけにはいかん、いますぐハンバーガーを買いに行ってくれ……」
この発言にはさすがの義母も「はぁ?」と言っていた。私は二人を病院に連れて行くために仕事を休んでわざわざこんなに遠いところまで車を飛ばして来ているというのに、息子がダブルチーズバーガーを買ってきてと言ったぐらいで、なぜ病院からマクドナルドに行き先を変える必要が!? 堪忍袋の緒が切れて「病院には行く!」と大声を出してアクセルを踏み込んだ私の勢いに圧倒されたのか、車内は静かになった。おんぼろ車のエアコンから出るピューピューという音だけが響いていた。
帰り道は運転手の私が完全無言となった車内で、義母が「今日のヘルパーさんは恐いわねえ……」と小声で言っていた。そのヘルパーさんは私や!
夜に義母から再び電話があり、「今日のヘルパーさんは乱暴な人でした。あなたに報告しようと思って」と、まだ言っていた。「お父さんも、『あれだけきつかったら周りもタジタジやろ』と言ってました」ということだった。
ええ根性しとる!
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村井理子
むらい・りこ 翻訳家。訳書に『ブッシュ妄言録』『ヘンテコピープル USA』『ローラ・ブッシュ自伝』『ゼロからトースターを作ってみた結果』『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』『子どもが生まれても夫を憎まずにすむ方法』『人間をお休みしてヤギになってみた結果』『サカナ・レッスン』『エデュケーション』『家がぐちゃぐちゃでいつも余裕がないあなたでも片づく方法』など。著書に『犬がいるから』『村井さんちの生活』『兄の終い』『全員悪人』『家族』『更年期障害だと思ってたら重病だった話』『本を読んだら散歩に行こう』『いらねえけどありがとう』『義父母の介護』など。『村井さんちのぎゅうぎゅう焼き』で、「ぎゅうぎゅう焼き」ブームを巻き起こす。ファーストレディ研究家でもある。
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
著者プロフィール
- 村井理子
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むらい・りこ 翻訳家。訳書に『ブッシュ妄言録』『ヘンテコピープル USA』『ローラ・ブッシュ自伝』『ゼロからトースターを作ってみた結果』『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』『子どもが生まれても夫を憎まずにすむ方法』『人間をお休みしてヤギになってみた結果』『サカナ・レッスン』『エデュケーション』『家がぐちゃぐちゃでいつも余裕がないあなたでも片づく方法』など。著書に『犬がいるから』『村井さんちの生活』『兄の終い』『全員悪人』『家族』『更年期障害だと思ってたら重病だった話』『本を読んだら散歩に行こう』『いらねえけどありがとう』『義父母の介護』など。『村井さんちのぎゅうぎゅう焼き』で、「ぎゅうぎゅう焼き」ブームを巻き起こす。ファーストレディ研究家でもある。
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