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村井さんちの生活

2022年6月22日 村井さんちの生活

「もうこんな生き方辞めます」宣言

著者: 村井理子

前回のつづき

 義父母の介護で頼りにしていた若き看護師が去り、新たな看護師さんと顔合わせをするタイミングで、私はPCR検査を受けることになった。なぜPCRなのかというと、突然原因不明の高熱が出たからだ。高熱が出た翌日に病院に行くまでにはすっかり平熱だったが、このご時世、一週間以内に高熱が出たらすんなり病院内に入ることはできない。私も受付で発熱外来のプレハブに向かうよう言われ、そこでまずはPCR検査と診察を受けることになったのだ。

 検査の前に問診があった。防護服に身を包んだ女性医師は、疲れ切った表情だった。そりゃそうだよね、暑いしね…と思いつつ、プレハブ内に入った。彼女は、その疲れ切った表情を隠すでもなく、「あ、そこです」と椅子を指した。そして、パソコンに向かい、私のカルテを読み始めた。普段から通っている病院だから、ここ数年の病歴はおろか、子どもの時からの手術歴などすべてがずらっと記入されている。読み始め、ぐっと集中し、徐々にモニタに顔を近づける防護服の医師。背中から気合いのようなものが感じられた。なんとなく、笑いがこみ上げてしまう私。フッフッフッ…なかなかどうしてすごい病歴でしょうと愉快な気分だ。

 しばらくカルテを読んだ医師は、くるりと振り返った。少し前とはまったく違う表情だった。まるで「いままでごくろうさまです!」と言わんばかりだった。そして、「いろいろと大変でしたね。四年前は手術もなさっている。そして今回、突然の高熱、倦怠感、そして背中の痛みということですが、十年前に腎盂腎炎をされてますね? 当時は過労だったそうですけれども、今回もそんな覚えはありますか?」と言った。

 ヒーッ! 腎盂腎炎! そういえば、双子の子育てに息も絶え絶えだった十年前、ひどい腎盂腎炎に罹ったことがあった。そんなことは、すっかり忘れていた。そして今回も、症状はほぼ同じではないか。それも過労だって。細菌に対する抵抗力が低くなっていた可能性があるんですって。ちょっと待って、私はまたそんなことで体調を崩してしまったのか? そんな最低なことある?

 「そうですね。確かに過労気味です。もう、色々あって」と答えると、医師は優しい表情で「発熱があったということでPCR検査を受けて頂いて、結果が出てから、腎盂腎炎の疑いということで内科を受診して頂きます。少しお待ちください」と言った。その後、看護師さんがやってきて、鼻に綿棒を挿された。後頭部に貫通するのではと思うほどに挿された。結果は陰性で、すぐに内科を受診することができた。

 血液検査を見ながら内科の医師が、「どうします? ご希望があれば入院できますよ。CRP(炎症や感染症を調べる検査)の数値がとても高いです。普通だったらぐったりですよ」と言った。普通だったらぐったりは何度も言われてきた人生だった。そして、まさかまさかの入院打診だった。過労による腎盂腎炎である。心臓病で死にかけた経験を持つ私が今度は腎盂腎炎だって。それも過労だって。泣くわ。どんだけ人生が厳しいんだよ。もう嫌だ。本当に嫌になってしまった。いい加減にしようよと思った。

 「入院ですか。それはちょっと困るな」と私は狼狽えて言った。

 「そうですよね。拝見するとそこまで状態は悪くないですから、とりあえず、お薬を処方しましょうか。明日になって熱が上がったら、必ず受診してください」と言われ、呆然としつつ待合室に戻った。医師曰く、もうひとつの血液検査の結果次第では入院になるので、熱が上がったときは、入院の支度をして受診してくれということだった。

 酷くない? と思った。待合室で、こんな酷い話ってある? と思った。第三者から見れば、家事なんてしんどかったら辞めればいいじゃんという話だけれど、実際にはそうそう簡単に、はい辞めますとは言えない状況にある。そんな主婦は多いはずだ。そのうえ、また入院だなんて、酷すぎる。人生ハードモード過ぎる。でも、もしかしたらまた入院記とか書けちゃうかもな? と思う自分も嫌だった。最低過ぎる。

 しかし、さすがに反省した私は、この日から、義理の両親に関するすべての手続きや根回し、その他ケアのすべてから距離を置いている。息子たちにも、キレッキレの状態で「自分たちのことは自分たちでなんとかしなさい」と伝えた。もちろん、最低限のことはするけれども、母さんを便利な誰かみたいに考えないで欲しいと宣言した。夫にも同じことを言った。あまりにもキレているので、誰も話しかけてこない時期がしばらく続いた。

 腎盂腎炎のほうは、診察後すぐに飲みはじめた抗生剤のおかげですっかり回復し、二週間程度の投薬で体調は完璧に戻った。再度診察を受け、血液検査も済ませ、それは確認している。でも、やはり私は少し腹が立っている。誰に対してというよりも、自分に対して。再び入院と言われるなんて、不注意もいいところではないか。屈辱だ。それも過労って、いい加減にしてよと思うのだ(自分に)。それに、実は私の母も私が子どものころ、腎盂腎炎で何度も入院していた。それを思い出して、「ママッ!!」と泣きたくなった。本当に、こんな生き方をしてはダメだ。もう、こんな生き方辞めます宣言だ。

 ということで、私は本格的に変わろうと思う。仕事は減らさないが(だって仕事は大好きだから)、もっと自分自身に時間を使うことにした。もっともっと楽しいことを追求しようと思う。義理の両親の介護? それは夫ががんばるっきゃないね!!

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥


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