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AI時代を生き延びる、たったひとつの冴えたやり方

猫がわかるとはどういうことか

 人工知能の歴史を詳細に追うつもりはないが、個人的に「使い物にならない」と切り捨てていた人工知能に対する認識を改めたのが、2012年に登場したGoogleの猫である。はっきり言って、大きな衝撃だった。私だけでなく、世界中の科学関連の仕事をしている人間の間に「どよめき」が起こった。それは、この画像である。

URL: https://googleblog.blogspot.jp/2012/06/using-large-scale-brain-simulations-for.html

論文出典: http://static.googleusercontent.com/media/research.google.com/en//archive/unsupervised_icml2012.pdf

 ピンぼけの猫の画像? これのどこが衝撃なの? 単なる撮り損ないじゃないの。
 もちろん、画像が美しいとか面白いということはない。だが、いま、読者の脳裏に浮かんでいる「猫」という文字(概念)が大切なのだ。そう、この画像は誰が見ても猫である。そして、この絵を描いたのは人工知能なのだ(正確には、この画像に対して人工知能が「これこそが猫だ!」と反応する)。
 いや、まだうまく説明できていませんな。人工知能に、ネット上の画像を1000万枚見せた(=入力した)ら、人工知能が勝手に猫に反応するようになったのだ。猫といえば、われわれは、耳が尖っている、ニャアと鳴く、尻尾をくねくねさせる、肉球がかわいい、ひげがある等々という特徴をあげるが、そういった個別の特徴をいっさい教えていないのに、人工知能は、自律的に猫という概念に到達した。
 人間が教えなくても、入力されたデータの「本質」を抽出することができるとは。このGoogleの猫を境に、人類と人工知能の関係は、まったく新たなフェーズに突入したといえるだろう。

ロボコンの優勝回数が語ること

 話題を人工知能からロボットに替えよう。
 ここ5年ほど、NHK EテレのサイエンスZEROという番組の司会を女優の南沢奈央さんと一緒に務めている。毎週、あらゆる科学・技術の話題を番組で採り上げているが、最近、3回にわたりロボコンとのコラボを放送した。ロボコンは、もともと日本から始まった学生ロボットコンテストだが、いまや世界中で予選がおこなわれるようになり、世界大会であるABUロボコンは16年目を迎えた。
 今年は、ロボットが柔らかめのフリスビー(正確にはフリスビーではなく、ドイツ製のおもちゃ)を投げて、複数の台の上に載せる課題だったが、台の上にある敵のフリスビーに当てて落としたり、高速で全ての台に載せる技術など、ハードウェアだけでなくソフトウェア制御も非常に高度で驚かされた。
 注目すべきは、世界大会の優勝回数だ。今年は、日本勢は準決勝で敗退し、ベトナムが優勝をさらった。これでベトナムは優勝回数が6回で、参加国の中で最多となった。優勝回数で2位は中国の5回。そして、日本は…優勝回数が2回に留まっている。
 たかが学生のロボットコンテストと、軽く受け流すことも可能だ。だが、私は事態は深刻だと考えている。日本のロボット技術が世界一であったのは、過去のお話。エンジニアの卵が集う世界大会において、日本は、なかなか優勝ができない厳しい状況になりつつある。
 なぜ、日本のロボットを担う若者は、世界を相手に常勝を続けることができないのか。
 いくつかの理由をあげることができる。まず、ベトナムや中国では、ロボットを作るエンジニアになることが社会的なステータスになっており、将来の高収入も約束されている。それに対して、日本ではエンジニアという職業が、必ずしも(法学部や経営学を学んで会社に入った人々と比べて、)花形とはいえない状況がある。
 また、文科省の学習指導要領の改訂により、(第三次産業革命が進行中だった1970年代と比べて、)高校における物理学の履修率が急激に減ったことも、ロボット大国日本の凋落に拍車をかけた可能性が高い。むかしは80~90%の履修率だったのが、いまでは20%を切っているのだ。そもそもロボットエンジニアになるための基礎的な素養をほとんど持たない高校生が8割を占めているわけで、人材の裾野がきわめて狭くなってしまったのだ。
 私は、理数系の科目が苦手な生徒に無理矢理、物理学を学ばせることに意味があるとは思わない。だが、履修率がたった2割では、本来なら、物理学の面白さに目覚め、ロボットエンジニアの夢を追うはずだった若者が、一度も物理学に触れずに高校を卒業してしまう恐れがある。
 理由はともあれ、日本は、第四次産業革命の両輪ともいえる人工知能とロボットの両方において、お世辞にも世界と伍して戦える状況にない、という厳しい現実がある。ロボコン世界大会は、観戦していてとっても面白いが、世界の中の日本という目線で眺めるのであれば、この国の非常に深刻な「未来」を映し出している鏡だといえる。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

竹内薫

たけうちかおる サイエンス作家。1960年、東京生まれ。東京大学教養学部、同理学部を卒業、カナダ・マギル大で物理を専攻、理学博士に。『99・9%は仮説』『文系のための理数センス養成講座』『わが子をAIの奴隷にしないために』など著書多数。

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