最初は、やはり誰もが心配だったのだ。
今回相馬からドイツに来た弦楽器のメンバー23人のうち15人は、2013年8月に週末弦楽器教室が相馬市内のすべての子どもに開放されたときに楽器を始めた子どもたちである。他の8人のうち6人も、実質は2012年にエル・システマジャパンが市内の中村第一小学校器楽部への活動支援としてスタートしたときに楽器を始めたという。つまり、弦楽器の大多数は楽器を習い始めて3、4年にも満たない子たちだった。
片やベルリン・フィルについては、言うまでもないだろう。ドイツどころか世界を代表するスーパーオーケストラ。このオーケストラのメンバーはどこの席に座っていようが、その楽器の分野では腕利きの名手ばかりだ。いわばクラシック音楽界の超エリートたち。加えて、ベルリン・ドイツ交響楽団やコーミッシェ・オーパーといったベルリンのほかの一流オーケストラや歌劇場のメンバーも参加していた。これほど年齢も経験も異なる音楽家たちの奏でる音がどう作用し合うのか、想像する方が難しい。「昨晩は心配でなかなか寝られなかった」と告白するペーター・ハウバーのように、気を揉んだ関係者が多かったのもうなずける。
ところが、3月9日、最初のリハーサルが行われた直後の記者会見では、ポジティブな空気が支配していた。翌10日の公演の指揮をするスタンリー・ドッズはこう語った。
「初めてこの話を聞いたとき、『楽器を始めて間もない子どもがベートーヴェンの《運命》? うそでしょ?』と思っていました。ところが、最初の練習でとても驚き、もしかしたらうまくいくかもしれないという感触を持ったのです。その後、全員が集まって行った通し練習はエネルギーに満ちあふれ、意欲が感じられました。素晴らしいコンサートになるだろうと楽しみにしています」
リハーサルはその前夜ベルリンに到着したばかりの子どもたちに配慮して報道陣には公開されなかった。一体どのような雰囲気のリハーサルだったのか気になっていた私は、その夜ベルリンの日本大使館で行われた歓迎レセプションで相馬の関係者に出会った。エル・システマジャパンの吹奏楽の音楽監督を務める岡崎明義が、「ベルリン・フィルの奏者の音に触発されて、子どもたちの音が変わった。ゾクゾクしています」と興奮気味に話してくれた。
「まずはホールの響きのよさに子どもたちはびっくりしたようです。そして今回お借りしたティンパニ、和太鼓やヴィオラ以下の低音楽器の質の高さも、気持ちを一層高揚させてくれたようです。最大の要因は指揮者ドッズ氏の指導で、非常にわかりやすく、練習を重ねるたびにみるみる上達が感じられました。弦楽担当の生徒には細かいボーイング(運弓)の指示をされ、管打楽器の高校生にはのびのび演奏する気持ちを引き出されていました。ベルリンのプロの演奏家がやさしくリードしてくださる姿もうれしかったですね。ソロ管打楽器の高校生も、一生懸命努力している様子がにじみでていました」
大使館でのレセプションには、ベルリン・フィルのソロ・ファゴット奏者、シュテファン・シュヴァイゲルトも来ていた。個人的に面識がある彼に声をかけてみると、「子どもたちの演奏には喜びがあふれているね。よく集中しているし、規律があるし、しっかり準備してきたと思うよ」と率直な感想を語ってくれた。シュヴァイゲルトは1番ファゴットを吹く高校生のサポート役として2番ファゴットを吹くことになっていた。カラヤン時代からベルリン・フィルのソロ・ファゴットを務めてきた彼が2番を吹くのを、それまで一度も見たことがなかった。
3月10日、フィルハーモニー室内楽ホールでの本番の日を迎えた。開演1時間前、ホールの中でベルリン日独センターの河内彰子、ペーター・ハウバー、菊川穣によるエル・システマジャパンの報告会が行われた。終わりが近づいたころ、菊川が聴衆を前にこんなことを話し始めた。
「最後にドイツの皆さんにお伝えしたいことがあります。3月1日にここでベルリンの3つのオーケストラによって難民支援のコンサートが行われたことを私たちは知っています。相馬の小さな立派な音楽家たちは、ドイツの皆さまが私たちを支援してくださったこと、また世界で起きている問題に対してできることを最大限尽くしてくださっていることを心に感じています」
ここで温かい拍手がわき起こった。
「一番小さい8歳の子から上は18歳まで。この中には親戚や祖父母が家をなくしたり、原発事故で避難生活をしたり、一人親で経済的に恵まれていない家庭の子どももいます。ドイツの皆さまの支援のおかげで子どもたちのオーケストラができ、今日の素晴らしい機会に恵まれました。音楽によってドイツの皆さまとつながり、また皆さまに音楽でメッセージを伝えられることの喜びを感じています」
エル・システマジャパンは、2012年9月にここで行われたIPPNWのチャリティーコンサートからすべてが始まった。約3年半を経て、相馬の子どもたちがベルリンの聴衆の前で恩返しの音楽を奏でるときがやってきたのだ。
ッダダダダーン。一瞬の「ため」の後、ベートーヴェンの交響曲第5番の冒頭の動機が鳴った。1ヶ月前に相馬で聴いたときと違い、今度は誰一人飛び出すことなく、全員が同じ瞬間で音を奏でた。ベルリン・フィルの第1コンサートマスターのダニエル・スタブラヴァをはじめとして、弦楽器の前列に座るベルリンのプロ奏者たちが体を揺さぶらせて引っ張る音楽の力はすさまじく、1人で子ども数人分の音を出しているのではないかと思わせるほどだが、子どもたちもしっかり食らいついてきている。
決して多くないリハーサル時間で、子どもたちがここまでの演奏水準にもってきたことには素直に驚いた。この日、第2ヴァイオリンのトップに座っていたベルリン・コーミッシェ・オーパーの副コンサートマスター、米沢美佳はこう振り返る。
「リハーサルでは、細かいところまで一生懸命練習してきたなという印象を受けました。もちろん経験の浅い子が多いので、楽器自体を弾くことが間に合っていない印象は受けましたが、曲を弾くことに対してはすごくよく準備していました。日本人は協調性が強いから、流れからはみ出ようとするのではなく、みんな流れの中に入っていこうとする。そういう意味ではドイツのユースオーケストラを教えるときよりも、みんな言われていることをよく聞いて、集中して、緊張していたとは思うけれど、できないながらも枠に入れていこうとする。奏法で足りないところがあっても、協調していこうという気持ちがあれば、オーケストラとしては機能するんです。楽器を持って3、4年という子どもだから、とんでもないことが起こるんじゃないかと関係者はこっそり心配していたみたいですが、そんなことはなかった。もちろん弾けなくてごまかしたりという箇所はあったかもしれないけれど、足並みが全然揃わないということは最初からなかったです」
周囲の大人の心配をよそに、子どもたちは一流のプロたちと共同して堂々と音楽を奏でていた。祈りのような変奏を重ねていく第2楽章、第3楽章では再び運命の動機が支配するが、フーガの喧噪の後に沈黙のときが訪れ、一歩ずつゆっくりと階段を上がってゆく。そして全員のエネルギーがまとまったその頂点から歓喜に満ちたフィナーレへ! 高校生たちによる管打楽器の演奏も立派だった。シュテファン・シュヴァイゲルトの下吹きに支えられた相馬高校の坂田李保さんは、ほとんどノーミスで吹き切ったそうだ。
「ベートーヴェンが終わった時、実は感動のあまり客席で涙をボロボロ流していました」。前述の吹奏楽の音楽監督・岡崎明義はこう振り返った。「あの子たちはすごいことを成し遂げたという思い、そしてベルリンの聴衆の皆さんのおもてなしの拍手に」とも。アンコールでは岡崎もピッコロ奏者としてオーケストラに加わった。子どもたちの掛け声、そして和太鼓のリズムに乗って、日本人の私には懐かしさを覚える民謡の旋律が流れた。有名な相馬盆唄をオーケストラに編曲したものだ。ベートーヴェンの緊張感から解き放たれた子どもたちが、彼らの故郷の街の雰囲気や伝統文化を音で届けてくれた。この気の利いたお土産に、ベルリンの聴衆はブラボーが入り交じった拍手で応えた。
終演後、スタンリー・ドッズは報道メディアへのインタビューでこんなメッセージを残した。「音楽を皆と一緒に奏でるのは喜びに満ちたことですし、音楽はすべての人への贈り物です。でも、音楽は楽しいことばかりではありません。長い時間をかけて育んでいくもので、規律も必要になってきます。音楽は楽しみと人生とを結びつけ、あらゆる人の生活の一部になるべきもの。相馬の子どもたちは音楽に直接関われて、とてもラッキーだと思います」
相馬の子どもたちにとって、いまや音楽は生活の一部になった。そして、この夜にベルリンの音楽家たちと一緒に奏でた音は、彼らの人生の深い部分に忘れがたく刻まれた。
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中村真人
フリーライター。1975年、神奈川県横須賀市生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、2000年よりベルリン在住。著書に『ベルリンガイドブック 「素顔のベルリン」増補改訂版』『街歩きのドイツ語』がある。ブログ「ベルリン中央駅」http://berlinhbf.com
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はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
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「考える人」編集長
金寿煥
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- 中村真人
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