「茶匣組みましょうよ。茶匣。おもろいですよ」
悪魔のような囁きを吹き込んだのは、わたしが京都で根城にしている骨董「大吉」の若主人、理くん。茶〝道〟を嗜まないわたしは本格的な野点には興味がない。けど、青空の下のピクニック茶には大いにそそられたので「無理無理無理」と首を振りつつも妄想が膨らんでゆくのを止めるのは難しかった。
よく茶室は世界を孕んでいるといわれます。それはひとつの宇宙だと。そういう意味では茶匣も小宇宙であるのです。お点前に使用する道具をコンパクトにまとめただけのものといってしまえばそれまでだけれど、そこに様々な意匠や物語を付与することで、ささやかな箱は内部に無限の広がりを秘めるようになるわけ。
京都には「茶匣といえば堀内明美」とお名前が直結しているような方がいらっしゃいます。漆器と仏教美術を中心に集めておられるアンティークショップ「うるわし屋」のマダム。彼女が組む茶匣は、それはもう素晴らしい。折々に店で茶匣の展覧会もされており、このときの図録を再編集した『茶箱遊び: 匣 筥 匳』(淡交社)はわたしの愛読書。けれど、それゆえあの美意識からいかにして自由になるかが課題になるのでした。あまりにも均整がとれていて囚われちゃうの。
展覧会は予め組まれたものが即売されるだけでなく自分で自由にセットアップできるようにもなっており、予算が無尽蔵にあればどんなにいいだろうと思いつつそれでも充分に堪能させていただきました。が、同時に道具を見る目を持たない不調法者は、これは自分自身で選ぶよりこちらの趣向を伝えて堀内さんに茶匣を「御つくりおき」していただいたほうがいいのでは? とも考えました(この野望は、いまもこっそり隠し持ってます)。
結局わたしが選んだ「うるわし屋」宇宙からの脱却はパラレルワールドに移行することでした。早い話が茶筅以外はすべてガイコク製、英国を中心に欧米の道具を〝みたて〟て構築してみようという試み。
果たして茶匣としての体裁を整えられるだろうかという不安はもちろんありました。どうせ組むならお笑いで終わりたくない、おもちゃでは嫌だという気持ちもありましたしね。つまりは茶の湯への敬意として。とはいえしばらくは頭の中でアイデアをこねくり回すばかり。なかなか取っかかりが見えてこなかった。
実際に脳内茶匣プロジェクトが動き始めたのは、ぴったりとはまってくれそうな茶盌を入手したからでした。といっても茶碗として作られたものではありません。それは砂糖壺。作陶はバーナード・リーチ。ぷるんと丸いボウルが初期の作だというのは高台に入ったBLのサインから窺えます。彼は民藝の作家なので自分の窯を構えてからは日用雑器には個人銘を記さなかったんです。
小服茶盌としてならなんら問題のないサイズなのは見て取れましたが、なによりも茶を点ててみると実に実に塩梅がいい。風景の明媚に負けないよう茶匣にはなにかひとつ【名物】を納めるべし……と教わっていたのですが、リーチならば問題はありますまい。
これが決まったことで、すべての道具立てが像を結びだしたのは、なかなか興奮する経験でした。まずは「砂糖壺で茶を喫する」ならば、それは『不思議の国のアリス』に登場する「終わらないお茶会」に違いないだろう、と。これで茶匣のテーマは三月ウサギのMad tea partyに相なりました。
抹茶を入れる「棗」はアリスのドレスを想起させる、水色と白のコンビネーションが印象的な英国コーンウォール州の磁器メーカーPGグリーン社のスパイス壺。野点のお菓子である金平糖(むろん緑寿庵清水さんのです。京都人ですもの)の容器となる「振出し」は酔っ払いの眠りネズミに因んだウィスキーフラスク。「茶筅筒」はヴィクトリア朝の紅茶缶。「茶巾入れ」は筒状のミニチュアティーカップ。「茶杓」は薬匙。「香合」はカードケース。それらを包む仕覆はイギリスの古い皿拭き布を鞄作家イケダナツコさんに縫ってもらいました。――とまあ、そんな具合。
ここに本来、茶道的にはいけないのかもしれませんがわたしは携帯用の保温ポットを用意しました。茶匣が完成したら、せいぜいロンドンで「終わらないお茶会」開催に勤しもうと計画しているので必然的に必要なのでした。購入したのは古いジャンセン社のもの。流麗なラインと赤と黒の色分けがアリスに登場するトランプの女王様みたい。さあ、あとはブランケットのみ。
と、ここまできて気づいたのです。このお茶会がピクニックの一環としての愉悦であるならば、もっとそっち寄りにすべきじゃないか。そうだ。茶匣と一緒にポットとブランケットを収納できるハンパー的ななにかがあるといい。籐製のバスケットとか。
ここらへんが馬鹿だなあと我ながら思うのですが、わたしが買ってしまったのは籐は籐でも円筒形の帽子ケースでした。いかにもイングランドな手編みの風情に一目惚れしたのですが、さすがに120年前のアイテムですから丈夫な素材といえどかなりガタがきている。これを実用できる状態にするには、どーうすりゃいいのさこのわたし。おおそうじゃ。一閑張はどうだろう。
なにしろこれを施せば一貫の重さにも耐えるほど丈夫になるというところからその名がついたとも言われています。おまけにわたしには長年憧れている一閑張の工房がありました。これをチャンスとせずになんとしょう。
京都の実家からさほど離れていない西陣の北。大宮通りの鞍馬口を西へ入った一帯は近年いい感じの店が増えているエリア。唐紙の「かみ添」さんや船岡温泉などわたしのオキニもたくさんあります。なかでも手仕事の作家さんたちの小さなアトリエが集まった藤森寮は町屋の風情も含めて大好きな場所。一閑張の「夢一人」はこのなかに工房を構えてらっしゃいます。
寛永期に明から渡ってきた帰化人、飛来一閑が伝えた一閑張は、その名を世襲して千家十職に数えられる本家が知られていますね。現在十六代目の一閑氏は茶道具を中心にそれはもう緻密で芸術的な細工仕事を続けておられます。
ところで初代飛来一閑には宮家から賜った泉王子という家名もあり、こちらの名を流派として継承しておられるのが今回紹介する「夢一人」の尾上瑞宝さん。十四代目家元です。藤森寮を訪ねるたびに彼女の仕事を拝見して、いいなあ、美しい世界だなあとわたしは憧れていました。なによりも【用の美】がある。
たぶん、そこが本家の飛来一閑とは異なるところなんでしょうね。あちらが指導を受けた千家三代目宗旦の薫陶をいまに伝えた佇まいであるのに対して、泉王子はあくまで一閑張の実質的な特性を活かした生活道具なのです。むろん御所で用いられたほどですから実用一辺倒ではない。けれど装飾である前に補強であり、修繕であり、機能性の補完。でも、それがいい。
わたしが帽子ケースを持ち込んで計画を話したところ、好奇心旺盛で創作意欲の塊みたいな尾上さんは膝を乗り出して聞いてくださいました。心の中でガッツポーズ。ところが依頼の段になって「でもねえ……」と聊か躊躇のご様子。「飛来一閑から流派分けしたとき何よりも懸念したのは同族で本家争いをするような遺恨の〝種〟を残すことだったそうで、泉王子家は茶の湯にかかわってはならんと言い残しているそうなんです」
なるほど一閑張の合理性が、こういうところにも表れている気がしました。しかし、ここで諦める入江ではなかった。詭弁を弄するつもりはありませんでしたが、お願いしたいのは茶匣そのものでも茶道具としてお点前には使わないことを説明すると「では、あくまでピクニックハンパーを作るということで承ります」と快諾いただきました。
そこでわたしは1冊の本を差し出しました。もちろん『不思議の国のアリス』。もちろん張っていただくため。
アリスの初版本はMacmillan & Co社で1865年に2000冊刷られたもの。公式には22冊の現存が確認されています。3年ほど前NYのクリスティーズで競売にかけられ3億円で落札されました。わたしはそのページを貼ってほしいと注文したのでした。嘘(笑)。わたしが持ち込んだのは同じ出版社ではありますが1872年に出版された新装版の初版。しかも、ほとんど本の形をなしていなくてページも欠落している代物。されどジョン・テニエルのイラストレーションは木版で、ケーストップの裏にメインで使いたかったMad tea partyの図もありました。
それにしても尾上さんの仕事は感動的でした。破損が激しいとはいえ稀覯本を提供するのに若干の抵抗は内心なかったとはいえません。が、籐ケースの内側に、それらは物語の世界観ごとみごとに蘇っていました。ならば本棚の肥になるよりは本にとってもどれだけいいことか。コレクターでない人間にとって本は読むためにあるもので読めなくなった本は本ではない。
ただ内側に敷き詰めただけでなく中心から放射状に重ね張りされたページは一閑張と聞いて思い出す色彩より薄くみずみずしい琥珀色の漆が塗られ自然な古色を帯びています。そこから茶匣を取り出し、一閑張の風景を眺めながらお茶を点てるセッティングをするうちに、アリスも就いたテーブルに誘われるみたいなうきうきが胸で躍りだす。これが、あのよれよれだった帽子ケースだとは思い出しもできない生命感。
昨今、器の金継ぎが注目を集めています。ここ数年で「日本で誕生した知られざる美意識」として世界的に認知されました。もしかしたらIkkannbariは、Kintsugiに次ぐ海外のカルチュラル・トレンドになるかも。
さて、文字通り3月に春の到来を寿いでクロッカスや水仙が咲き乱れる公園でピクニック茶をするのが恒例ではあるのですが、今年はタイミングを逃してしまったので花見の席でのお茶会開催になりました。
日本みたいな、いわゆる名所はありませんが、こちらはこちらなりにきれいなものです。というか我々のDNAに刷り込みされた行動様式なんですよね、お花見ってね。だから肝心の桜がしょぼかろうがバタ臭かろうが関係ない。錦糸卵たっぷりのちらし寿司を抱えて地べたに座って喋って笑って酒飲んで花を仰ぐ様式が大切。今回はそこにお点前もプラス。ああ、贅沢。
わたしの仲間はウサギやネズミというよりは熊さんたちが多いのですが、寿司も抹茶も日本人以上に大大好物な連中です。どうやらお花見DNAは日本人の専売特許じゃなさそう。ピクニック茶にもご満悦でした。
せっかくだからお菓子も金平糖だけではなく仙台のファンの方が送ってくださった「九重本舗玉澤」の《霜ばしら》を奢ることにしました。極細の絹糸を繰ったみたいな銀色の飴が、ぎっしりと肩を寄せ合ってパウダースノーのような米粉に埋まっています。どうです。不思議の国のティーパーティに相応しいでしょう。一閑張の中のアリスもなんだか嬉しそう。
大吉 http://www.kyoteramachi.com/shops/daikichi.html
うるわし屋 京都市中京区丸太町通麩屋町東入ル
緑寿庵清水 http://www.konpeito.co.jp
藤森寮 http://fujinomoriryo.jp/
夢一人 http://www.yumehitori.com/
九重本舗玉澤 https://www.tamazawa.jp/
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入江敦彦
いりえあつひこ 1961年京都市西陣生まれ。多摩美術大学染織デザイン科卒業。ロンドン在住。作家、エッセイスト。主な著書に、生粋の京都人の視点で都の深層を描く『京都人だけが知っている』、『イケズの構造』『怖いこわい京都』『イケズ花咲く古典文学』や小説『京都松原 テ・鉄輪』など。『秘密のロンドン』『英国のOFF』など、英国の文化に関する著作も多数。最新刊は『読む京都』。(Photo by James Beresford)
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
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