シンプルな暮らし、自分の頭で考える力。
知の楽しみにあふれたWebマガジン。
 
 

村井さんちの生活

 私の心のなかに長い間住み続けている少女がいる。いつも静かに佇んでいる。名字は藁科(わらしな)さんで、下の名前はどうしても思い出せない。柔らかそうな美しい栗色の髪を肩まで伸ばしていて、前髪をさくらんぼのワンポイントがついたピンで留めている。丸襟の白いブラウスに紺色のスカート姿で、キャンバス地の赤いスリッポンを履いている。白いレースのハイソックスがとてもよく似合う。
 声は少しハスキーだった。物静かな藁科さんは、学校では目立たない存在だった。だから、彼女が珍しく教室の前に立って話をしたときに、そのハスキーな声と可憐な姿とのギャップにびっくりしたのを覚えている。大人びた声をした彼女に、私は少し嫉妬した。そして、少し見直した。
 藁科さんの家は私の家から10分ほど歩いた先の川沿いにあった一軒家で、とてもきれいに片付いていた記憶がある。アップライトピアノにレースのカバーが掛けられ、そしてその上にガラスケースに入った日本人形が飾ってあった。お母さんは確か働いていたのだけれど、私が遊びに行く日には、いくつもおやつを用意してくれていた。藁科さんが私のために冷蔵庫から麦茶の瓶を出してくれ、小さなグラスに注いでくれる。子どもたちの間で流行っていたお菓子が次から次へと出てきて、私は興奮した。「ひとんちの麦茶ってなんでこんなにおいしいんだろ。この家の麦茶は特別おいしいなあ」と喜んでいた。
 藁科さんは私が何を言っても静かに微笑んで、うんうんと聞いてくれるような子だった。ふふふと笑いながら、「理子ちゃんは面白いね」、「理子ちゃんは賑やかだね」と褒めてくれた。調子に乗った私は、彼女が喜ぶような話をかき集めては、どうにかして笑わせようとがんばった。私と藁科さんは、その時、親友だったと思う。
 小学生の女子にありがちな話だとは思うのだけれど、私は大好きな彼女となにもかもお揃いにしたいと思いはじめた。彼女が使っている鉛筆はいつもきれいに削られていて、可愛らしい柄のものが多かった。だから、私も母親にねだって、それまで使っていた実用性はあるが、とことん地味な鉛筆をやめて、キャラクターものの鉛筆を揃えた。プラスチック消しゴムをやめて、フルーツのにおいがするイマイチ消えない消しゴムにもした。彼女がいつも履いているレースの靴下にも憧れたし、刺繍入りブラウスにも憧れたし、とにかく藁科さんの何もかもが好きだった。憧れて、大好きになって、やがて自分は彼女のようになれないことを悟り、落ち込んだ。
 小学五年生になった頃のことだけれど、私は突然、藁科さんから逃げるようになった。その優しさが辛くなったのだ。彼女がいくら遊びにおいでよと誘っても、行けないと断った。今ではそれが、彼女に対する嫉妬心に起因していることぐらい理解できるが、当時の私にはわからなかった。とにかく、自分では処理しきれない感情に戸惑い、全力で逃げることしかできなかったのだ。
 藁科さんはそんな私の変化に驚いて、とても悲しい顔をした。寂しそうに私を見て、がっくりとうなだれた。そしてそれ以降、私と彼女は以前のように話すこともなくなり、そのまま卒業を迎えた。私は別の町の学校に通うことになり、たぶん藁科さんは地元の学校に進学しただろう。それから先のことは、一切わからない。
 それでも、彼女は私の心のなかにずっといる。あのとき、突然冷たくしてしまって申し訳なかったという気持ちが拭えない。優しくしてくれた彼女に、自分がしてしまったことに、今でも後悔の念がある。
 だからこの前、小学校の同級生とFacebookで連絡を取ったとき、思わず聞いてしまったのだ、藁科さんのことを。するとその同級生は、「藁科さん? 合唱部の子でしょ? 確か元気にやってるよ!」とあっさり言った。「連絡取ろうか?」と聞かれ、慌てて断った。彼女の家の冷蔵庫に貼られた学習ポスターやリビングルームに敷かれたじゅうたんの色まで、彼女との思い出は鮮明に蘇るけれど、今更、合わせる顔がない。
 そんな会話をしたものだから、なんだかとても懐かしくなって屋根裏の物置まで行き、写真が入っている箱をひっくり返してみた。同じ合唱部にいたときの私と彼女の写真があるはずだった。しばらく探して、見つけることができた。懐かしい藁科さんは、ボロボロの写真のなかで、やっぱり丸襟の白いブラウスを着て、レースのハイソックスを履き、笑っていた。

義父母の介護

2024/07/18発売

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥


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