シンプルな暮らし、自分の頭で考える力。
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村井さんちの生活

 土砂降りの雨が降っていたので、夫を車で駅まで送り、次は息子たちを送り出さねばと急いで家に戻っているときのことだ。国道の真ん中に、大きな亀がゆっくりと歩いているのが見えた。びっくりして息を呑んで、後ろを確認しながら減速し、目を見開いてしっかりと見た。確かに、大きな亀がゆっくりと歩いている。国道を横断した先にある田んぼを目指している。しかし、あまりにも場所が悪い。二車線道路のちょうど真ん中あたりにいて、交通量も多い(通勤、通学時間だから当然だ)。なんであんな場所に!? ゆっくりと進む亀の横をできる限りの低速で通り過ぎ、バックミラーを覗いて後続の車を再度確認した。そもそも、忙しい時間に亀の横で減速しているのも無理があるのだが、狭い二車線道路で、路肩に停めることは難しかった。あと数十メートルで家という場所で、急いだら間に合うかもしれない。普段はのろのろと走っている生活道路を、いつもよりはずいぶん急いで戻り、家の前に車を停めた。急いで降りて、玄関を開けて大声で息子たちを呼んだ。自分ひとりで亀を移動できるかどうか、自信がなく、不安だったのだ。

 「はぁ? 亀?」、「え~、亀?」という、二人ののんきな声が聞こえてきた。ダメだ、待ってはいられないと焦り、「やっぱりいいや!」と言って、雨の中、国道まで足早に戻った。鼓動が速くなるのがわかった。間に合うかもしれない、間に合わないかもしれない、間に合うかもしれない、間に合わないかもしれない

 道路の真ん中に、なぜあんなに大きな亀がいるんだろう。馬鹿だな、なんであんな場所に? こんな雨の日に、これだけ交通量の多い国道の真ん中をゆっくりとマイペースで歩いているなんて、本当にどうかしてる。渡った先には確かに、亀が好きそうな場所はいくらでもある。でも、なぜこんなに危険なことを…そう考え、ふと不安になった。果たしてこの私が亀を移動できるのだろうかと自問自答していたそのとき、後ろから猛スピードで次男がやってきて、私をあっという間に追い抜いて国道まで一直線に走っていった。

 土砂降りの雨の降る国道に、傘もささずに次男が出ようとしていることに驚いて、焦った私は「ダメだって!!」と大声を出した。しかし次男は左右に注意し、まだ遠くを走っている車の運転手によく見えるように大きく手をふりながら亀のいる場所まで行き、じっと見て、すぐに戻って来た。そして無表情にひとこと、「あかんかった」と言い、私の横を通り過ぎて家に戻っていった。

 これだけのことだ。しかし、ずっと落ち込んでいる。どうしようもない気持ちを引きずっている。長い年月をかけて成長しただろう生きものの命が、あまりにもあっけなく目の前で終わってしまったことにショックを受けた。ほんのわずかな差で、こんなことになってしまった。息子にそれを見せてしまった。最初に姿を見たときは、ゆっくりと、しかし確かに田んぼに向かって歩いていた大きな亀は、道路の真ん中で、遠目に見てもはっきりと生命を感じさせない様子で、強い雨に打たれて動かなくなっていた。

 夕方息子たちが帰宅するまでに雨はすっかりあがっていた。あの場所に亀はまだいるのだろうと思いつつ、憂鬱な気持ちで車を出して、コンビニにおやつを買いに出かけたのだが、予想外にも亀の姿はそこにもうなくて、午前中いっぱい強い雨に打たれた道路は、拍子抜けするほどきれいだった。

 夜になって、宿題をしていた次男が「さっき見てきたけど、誰かが道路のわきに移動してくれてたわ」と言った。「今日は朝からごめんね」と言うと、次男は何も言わずに宿題のプリントに視線を落とした。その横で静かに夕食を食べていた長男が「かあさん、朝の亀、どうなったん?」と不安そうに聞くので、「死んじゃったみたい。渡りきれなかったんだね」と答えた。長男の表情が固くなり、さっと青ざめた。もうその話はやめよう、ごめん、ママが悪かったよと二人に言うと、次男が「しかたないやろ。運命や」と鉛筆をせわしなく動かしながら、ぼそっと言った。

 あの土砂降りの雨の日のできごとは、私と息子たちの間で触れてはいけない記憶になっている。しかし私の頭の中ではずっと、なぜ無理にでも路肩に車を停めなかったのか、なぜ息子を呼び、そして行かせたのか、自分を責める言葉がぐるぐると回り続けている。悲しいことを経験したとはいえ(亀好きの私にとっては特に)、過剰に繊細になっていることは自分でも理解している。ただ、国道に出た次男が万が一事故にあっていたらと考えると、自分の判断ミスを恥じるしかない。

 育児はいつも、子どもの身になにか起きたらどうしようという恐怖心と、親の判断ミスが子どもの精神に大きな影響を与えたらどうしようという不安感のせめぎ合いだ。今回はこのふたつの感情のうえに、雨に打たれた亀の姿が重なって、どうしようもなく悲しくなってしまった。

 どこにでもある些細なこと。でも、私にとっては重いできごとだった。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥


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