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北島三郎論 艶歌を生きた男

2022年11月10日 北島三郎論 艶歌を生きた男

第4回 「音盤=音楽」からこぼれてしまうもの

著者: 輪島裕介

「西洋とそれ以外」の再生産

 前回は勢いまかせにかなり大きな話をしてしまったので、端折ったところも多く、われながら説明不足の感は否めない。先行研究と学説史の迷宮に入り込まない程度に文脈を補足したうえで、日本におけるレコード会社製流行歌の具体的な形成過程を参照しながら、「在地音楽としての艶歌」という本連載の主題の可能性と困難について考えてみたい。

北島三郎の代表曲のレコードジャケット(著者私物、撮影・新潮社)

 前回の結論として私は次のように記した。

 

 サブちゃんの決まり文句、「アメリカにはジャズ、フランスにはシャンソン、そして日本には艶歌」を、「韓国にはトロット、タイにはモーラム、インドネシアにはダンドゥット、ナイジェリアにはアフロビート、モロッコにはグナワ、コロンビアにはクンビア、マルティニークにはズーク(以下略)、そして日本には艶歌」のように拡張し、その音楽と実演の魅力を、欧米に留まらず世界各地のさまざまな在地音楽との同時性や共振性においてとらえてゆきたい。

 

 これはもしかするとやや誤解を招きかねない表現だったかも、と思い直した。というのは、「英語圏のポップ/ロック(あるいは18‐19世紀ヨーロッパのコンサート音楽)だけでなく、世界各地のさまざまな魅力的な音楽、つまりワールドミュージックのひとつとして日本の艶歌も評価しましょう」といったような、啓蒙的な主張として読まれかねないからだ。

 たしかに上に例示されている音楽群は、日本では、「ワールドミュージック」というジャンルの元で紹介されることが多い。このジャンルは、往々にして、通念的な「洋楽」の「上級者向け応用編」的な性格を担ってきた(担わされてきた)。「普通の」英語圏ポップ/ロックやクラシックを「卒業した(・・・・)」人、「わかってる(・・・・・)」人が手を出す傾向が強い。思い返せば、約30年前の私自身も「手っ取り早く通ぶれるジャンル」として、いわゆる「洋楽」をすっとばしてカリブや南米やアフリカや東南アジアの録音物をつまみ食い的に聴き始めたので、その感じは骨身に沁みている(そのせいで現在でも英語圏ポップ/ロックに関する知識が著しく欠如している)。

 私自身の趣味の偏向はさておき、ポピュラー音楽研究と民族音楽学を専門とする職業的な音楽研究者としては、世界各地のさまざまな音楽について基本的な知識を持つことと、方法論的な前提として諸音楽間の優劣を想定せずに比較対照を行うことが必須であり、私自身はそうした立場から北島三郎を論じてゆくつもりだが、そうした職業研究者的な聴き方や考え方を啓蒙普及するつもりはさらさらない。

 確認しておくべきことは、先進国(当世風に言えば「グローバル・ノース」)で「ワールドミュージック」と括られる諸音楽の多くは、それぞれの場所ではきわめて庶民的で即物的な娯楽として実践されている、ということであり、現地エリートの多くが眉をひそめるような「下品な」ものと見られることも多い、ということだ(もちろんそうした通念に逆らって通俗的な表現を擁護し、称揚する別種のエリートもおり、私自身の立場は概ねそこに分類されるだろう)。

 私が主張したかったのは、現代における庶民的で娯楽的な音楽実践の、世界的な共時性と多様性に注目することで、「日本」やその「心」といったものを所与の実体として前提とすることなく、北島三郎の「艶歌」について考えてみたい、ということだ。

 それに対して、パッケージとしての「ワールドミュージック」は、それぞれの場所で営まれる演者と受け手の双方を含む実践の固有の文脈を捨象して、豊かな「先進国」向けにエキゾティックで気の利いた文化的商品として流通させることで、「耳の脱植民地化」どころか「西洋とそれ以外(the West and the rest)」という、あからさまに帝国主義的な二分法を再生産してしまう。

 と、このあたりは、現代の音楽研究の動向では常識的な見解に過ぎないのだが、こうした批判は、これまで多分に帝国主義と植民地主義の恩恵を被ってきた人々の「自己反省」としての性格をももっている。しかしながら、それ自体はきわめて正当な「異文化の搾取と商品化」への批判(いわゆる「文化の盗用(cultural appropriation)」もその変種だ)を、日本に単純に適用することはできない、ということについても自覚的になる必要がある。たしかに日本はかつて植民地帝国だったが、明らかに非西洋の非白人、つまり「それ以外」の側に属してもいるからだ。

 身も蓋もなくいえば、日本において「洋楽」を聴くこと自体が、もちろんそこに含まれる権力関係または優劣関係は逆転しているものの、ある意味では「ワールドミュージック」聴取と相通じる経験だった、とはいえないだろうか。つまり、「言葉もわからない、実践の現場を体験したこともない音楽を、主に音盤と活字を通じて、文化的に意義深い(ありがたい)ものとして鑑賞する」ということだ。前回、「洋楽受容史」的な従来の音楽史観をかなり激しく批判したが、それは国粋的・排外主義的な意識によるものでは全くなく、クラシックとポピュラーを問わず「洋楽」を受容する際に、半ば不可避的に密輸入されてしまう、こうした聴取態度への違和感によるところが大きい。

「音楽そのものを楽しむ」ことは可能なのか?

 言葉がわからなくても、固有の現場を知らなくても、「音楽自体」に耳を傾ければその真髄を感得できる、という信念は、「読書百遍意自ずから通ず」式の東洋的教訓も想起させるが、基本的には19世紀ヨーロッパ(とりわけドイツ語圏)で確立したブルジョア芸術音楽の理念、業界用語で言うところの「絶対音楽の理念」(カール・ダールハウス)と結びついている。声楽よりも器楽を重視すること、歌詞や物語や標題を含む音楽や踊りなどの特定の目的を持つ音楽を軽視すること、さらには、離散的に捉えられた楽音を抽象的な論理に従って構造化された器楽(典型的にはソナタ形式による交響曲)をもっとも「純粋」でそれゆえ「高度」な音楽とみなすこと、といった考えは、ウィーンの批評家、エドゥアルド・ハンスリックが定式化したもので、ほぼ同時期の「クラシック/ポピュラー」または「真面目な音楽/娯楽的な音楽」という分類の成立と不可分に結びついている。つまり、前者は、後者よりも「器楽的=抽象的=純粋」であるがゆえに「高級」である、ということだ。

 歌詞の言語がわからなくても、「サウンドの一部」と捉えることで「音楽そのもの」を理解可能である、という洋楽愛好者にしばしばみられる信念や、そこまで筋金入りでなくとも「英語(に限らず任意の西洋語)の歌は国際的で普遍的なので、歌詞がわからなくても問題ない」というふんわりした態度、逆に、「日本語の歌詞が入ってくると意味が直にわかって恥ずかしい」といった態度はすべて、抽象的な音響的構築物としての「音楽自体」の享受に価値を置く俗流の「絶対音楽の理念」に基づいているように思える。そうした聴き方は、その理念の形成に寄与し、あるいはその影響下に作られた近代芸術音楽や社会的にはその後継といえるモダンジャズやLP以降のアルバム中心のロック、事後的にその理念に組み込まれた時間的・空間的に「異なる」音楽(たとえば「古楽」や「民族音楽」や「ワールドミュージック」)に関しては有効だろうが、庶民的・日常的な文脈のなかで演じられている歌や語りや演奏や演技の実践とは乖離している。

 日本には、「より純粋な」音楽形態である器楽がほとんどなく、常に声と物語を伴い、つまり言葉に従属しているため、音楽として自律していない「劣った」(または「遅れた」)ものである、という言い方は、少なくとも戦後初期までの日本の洋楽系の音楽史観に通底する紋切型だった(典型的には園部三郎など)。しかし、日本に限らず、「うた」と「語り」が連続している音楽/物語表現はヴァナキュラー実践においてはむしろ一般的だ。もちろん、舞曲をはじめとして、歌詞や歌唱が必ずしも重要ではない演奏の様態も多くある。器楽と声楽の差異は優劣の問題ではなく機能の問題である。

 私自身は、歌われ、語られている言葉や物語を理解できないのにグリオのパフォーマンスやフォーク・バラッドやブルーズや社会派シャンソンやカリプソやラップを楽しめるとは全く思えない。とはいえ、「うた」を感受する経験は「言葉の理解」に還元される、と主張したいわけではもちろんない。歌にせよ語り物にせよ、そのすべての文言を逐語的に認識しながら聴いているわけでもない。しかし、語られ歌われる言葉が、頭というよりも身に沁み、肚に落ちる体験は、抽象的な音響物の運動や力や美を知覚する体験とはやや位相を異にしながらも、誰かが歌っているのを聴き、またはともに歌う行為の重要な一部をなすだろう。翻って、たとえば全く日本語を話さない人が、歌詞はわからないけれど浪花節や河内音頭や書生節や漫才が音楽として大好きだ、と言ったとして、そうした聴き方を「わかってない(・・・・・・)」と断ずる権利は誰にもないにせよ、やはり若干の違和感を覚えないだろうか? 

 あえて挑発的にいえば、あるパフォーマンスを、さまざまな文脈から切り離して、また、歌われる言葉の意味からも切り離して「自律したサウンド」として楽しむ、という態度は、それ自体が、世界を一元的に認識・支配可能であると考える、西洋中心主義的な傲慢さを含んでいるように思える(もちろんそれは、西洋近代における「芸術」という制度の役割と関わっているだろうが、これ以上は深入りしない)。

 余談めくが、私自身がかつて持っていたワールドミュージック趣味(音楽産業の社会学的研究の第一人者、リチャード・ピーターソンのいう「文化的雑食性(オムニボア)」)は、バイーアに行って根本的に動揺した。ワールドミュージック市場で評価された現地の音楽は、現地の人達にとっては「地元の音楽」に過ぎず、国外での評価もビジネスチャンスの拡大といった程度でしかない、という、当然の事実にようやく気付かされたためだ。ただし、ズーク、ソカ、メレンゲ、そして何よりレゲエは、地元のダンス音楽と地続きのものとして楽しまれていた。現地でカーニバル時期に流行る曲のほとんどは、とりわけ90年代後半のCDR普及以降、違法コピーやライブ録音が跋扈したことでほとんどスタジオ盤の正規リリースがなくなっていった。

 当然、日本に戻ったらそれらを聴く術はない。研究対象を日本に移すと同時に、日本語の歌を徹底的に聴くようになり、バイーア音楽からも離れたが、日本に輸入されるブラジルCDは聴いていた。しかしネットによる音楽流通が普及した今となってはバイーアを含む世界各地の録音物をいくらでも聴くことができる。そんなわけで、仕事を離れて聴く歌モノは、まがりなりにも言葉がわかる(わかったとしてもたいがいアホなことしか歌っていない)バイーア音楽(そうなるともはや「ブラジル音楽」でさえない)と日本語のものがほとんど、という偏屈な人間になってしまった(仕事以外で英語を聴きたくない、ということもある)。言葉のわからない歌を聴いて何が楽しいの? という「素朴な」感覚を、遅ればせながら身につけたということか。

「レコードのなかだけに存在する音楽」

 それはさておき、日本における「洋楽」の受容において、いわゆるポピュラーとクラシックを問わず、言葉がわからなくても音楽自体の理解は十分可能だ、という、いわば「俗流絶対音楽の理念」が蔓延したのは、「洋楽」が専らレコードを通じて受容されたことと関わっているように思える。共同的な演奏空間も、演奏者や場所を同じくする聴衆の身体の動きや表情や言語的コミュニケーションも欠いて、聴覚的要素のみを記録するレコードは、あらゆる音を抽象的な音響的構築物として、つまり「絶対音楽のようなもの」として聴くことを可能にする(「必然的に促す」とまではいえないにせよ)メディアだった。

 「本場の一流音楽家の録音」を「音楽そのもの」と考えることで、日本における洋楽の実演を未熟なものとみなす価値観も醸成された。レコードを介して「本場」に通じた(と自認する)洋楽愛好家が、日本の演奏家や音楽家とその実演を軽視する傾向や、来日音楽家の実演において「レコード通り」の演奏を求める傾向は、クラシックでもジャズでもロックでも見いだせる。

 20世紀後半以降、高級家電としてのハイファイ・オーディオセットの普及とも相まって英語圏の大衆音楽がレコード商品(とりわけLPによるアルバム)という形態を通じて大きな影響力をもってゆき、それに伴って「音楽」と「レコード」が同一視される傾向が強まっていったことはもちろん承知している。しかし、少なくともマイルスとテオ・マセロ、モータウン、フィル・スペクター、あるいは後期ビートルズ以前、庶民が好む娯楽的な音楽は、録音と編集を通じて完成された録音芸術作品(民族音楽学者、トマス・トゥリノの分類によれば「スタジオアート型」録音)というより、理念的には生演奏の忠実な記録(同じくトゥリノによれば「ハイファイ型」録音)、あるいは、様々な生演奏を促す一つのお手本、という性格を保持していた。黒人音楽であるR&Bを白人ティーンエイジャー向けに売り出した「ロックンロール」のように、ラジオとレコードの商業的分類として始まった音楽スタイルもあるが、それもやがて具体的な実践の場と文脈を生み出していった。具体的な実演と録音や放送の相互補完を通じて、新しい大衆的な声と音の表現が生み出され普及してゆくということでは、日本においては大正から昭和前半の浪花節がまさにそれに相当するだろう。

 しかしながら、現在の日本で大衆音楽と考えられているものの祖型(極端に持って回った言い方だがそのココロは後に述べる)であるレコード会社製の「流行歌」は、1920年代末に、新たに日本市場に参入した外資系レコード会社によって、最初から「レコードのなかだけに存在する音楽」として生み出された形式だった。レコード会社製の日本語大衆歌謡、つまり「流行歌」という新たな録音音楽形式は、専らレコードを通じた「洋楽」聴取をモデルとして案出され、主に、レコードでの音楽聴取への一定のアクセスとリテラシーがある比較的恵まれた層(典型的には都市部の中間層)をターゲットとしていたといえる。

 そして、歌手のみならず、作詞家、作曲家、編曲家、演奏者までも特定のレコード会社の独占契約下に置き、楽曲の権利をもレコード会社が管理することによって、レコード会社内だけで完結する「純レコード音楽」としての「流行歌」は、それまではやり歌の揺籃となってきた、大道や寄席や芝居小屋やお座敷といった雑多な実演の場と切断された。実演でも圧倒的人気を誇る浪花節の録音も続けられたが、「流行歌」とは別の部門で制作された。人気を博した流行歌が雑多な場で実演されることは当然あっただろうが、レコード歌手による実演の場は少なかった。また、レコード会社の外で生まれたさまざまな芸態がレコード会社の中に取り入れられる経路も、専属契約の障壁に阻まれてきわめて脆弱だった。

失われた実演の場

 ところで、「サウンドスケープ」概念の提唱者、マリー・シェーファーは、発生源と切り離された音のことを「スキゾフレニア(統合失調症)」を援用して「スキゾフォニア」と呼んでいる。「病」の比喩はやや言い過ぎかつ差別的な感があるにせよ、レコードの文化的影響を「蓄音機効果(phonograph effects)」として理論化したマーク・カッツも、レコードの反復性や可搬性と並んで「脱身体化された声」を重要な特徴の一つとして挙げている。日本語の慣用表現でいえば「声はすれども姿は見えず」ということだ。だからといってレコード音楽のすべてが「屁のような」ものだと言うつもりは毛頭ないが、「声だけ」が切り離された音楽形式が定着する、ということが相当に異様な事態だったことは意識しておく必要がある。

 日本の大衆音楽において、「流行歌」の成立による録音の自律化は「欧米より30年早かった」といえなくもないのだが、それは自慢にはならない。私が言いたいのは、日本の「流行歌」は、マイケル・デニングが論じた1920年代後半の電気録音の発明という同じ技術的背景によって条件付けられていながら、専らレコードの中だけに囲い込まれることによって、共同的な実演の場を生み出すことに失敗し、そのことも「在地音楽による耳の脱植民地化」という政治的可能性を喪失する一因となったのではないか、ということだ。

 もちろん北島三郎は第一義的にはレコード歌手だ。しかし、3000曲のレパートリーを持つ「流し」の出身であり、そして、4000回を超える座長公演のステージでも客のリクエストに答えてその場で即興的に古い歌を歌うコーナーをかなり長い間売り物にしていた。つまり、彼の歌は、人々の記憶のなかに共有されたさまざまな「古い歌」との関連の中で聴かれ、歌われていたと考えられる。そして、歌の主題は、舞台での芝居や映画やテレビドラマといった物語やそのキャラクター(多くは、講談や浪花節や時代小説に由来する庶民的ヒーローとしてのアウトロー)と結びついたものが多かった。

 こうした、具体的な身体を持ち、人々の歌の記憶と共振しながら、大衆的に共有された物語世界のなかの人物類型を演じ、歌う歌手というありかたは、実演と切り離され、最初から「脱身体化された声」として成立した昭和以降の「流行歌」の世界のなかで異彩を放っている(もちろん彼だけがそうだと言っているわけではない)。

 次回は、大衆音楽(音曲)における実演と録音の断絶と再結合の過程を、大正時代から駆け足で振り返りながら、「流し」出身で古臭い歌を歌う北島三郎という歌手が1962年にレコードデビューを果たした、ということの歌謡史的な位置取りについて考えてみたい。

 

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 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

輪島裕介

1974年石川県金沢市生まれ。音楽学者。大阪大学文学部・大学院人文学研究科教授。専門はポピュラー音楽研究、近現代音曲史、アフロ・ブラジル音楽研究。東京大学文学部、同大学院人文社会系研究科(美学芸術学)博士課程修了。博士(文学)。2010年に刊行した『創られた「日本の心」神話 「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史』(光文社新書)で、2011年度の国際ポピュラー音楽学会賞、サントリー学芸賞を受賞。著書に『踊る昭和歌謡 リズムからみる大衆音楽』(NHK出版新書)など。Twitter:@yskwjm

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