12.自分を知ると、誰かのことを知りたくなる
著者: 桜林直子
悩み相談やカウンセリングでもなく、かといって、ひとりでああでもないこうでもないと考え続けるのでもなく。誰かを相手に自分のことを話すことで感情や考えを整理したり、世の中のできごとについて一緒に考えたり――。そんな「雑談」をサービスとして提供する“仕事”を2020年から続けている桜林直子さん(サクちゃん)による、「たのしい雑談」入門です。
聞いてもらえなかった経験
先日、雑談の中である人がこんな話をしてくれた。
「ずっと自分の考えや思っていることを話すのが苦手だったんです。サクちゃんとの雑談の場や友人と話すことで少しずつできるようになってきたけど、もともと苦手意識が強くありました。でも、それはたぶん子どもの頃から家族との会話がいつもうまくいかなかったから話すことを諦めてしまっていただけで、相手がちゃんと聞いてくれて、否定されないと安心できれば、話せるんだなってわかりました」
くわしく聞いてみると、子どもの頃から家で彼女が何かを話そうとしても、母親はテレビを見ながら曖昧な相槌を打つだけでちゃんと聞いてくれないし、父親に話せば「お前はこうだ」とすぐにジャッジされ、「正解はこれだ」と言わんばかりに持論を展開される。そんなやりとりが当たり前の家だったので、話しても意味がないと諦めるようになってしまったのだという。
そんな経験から、「自分の話は聞いてもらえない」という感覚だけがたしかなものとして残ってしまい、誰かに話すときにわかってもらおうと必要以上に説明過多になるクセがついた。
「聞いてもらえている」という信頼と安心感がないと、説明をしすぎたり注釈をつけすぎたりして、話が長くなってしまうことがある。そのことが、うまく伝えられない不安や恐れと相まって、スムーズに話せない悪循環に陥ってしまったのだろう。
彼女のように、話すのが苦手だったのではなく、ちゃんと聞いてもらえた経験がないだけだということはよくある。何を話しても「失敗」などなく、自分の中に湧いてきたものをそのまま出してみても大丈夫だと思える環境さえあれば、落ち着いて話すことができるようになる。
話の聞き方には他人をどう扱うかが表れる
前回、ちゃんと聞くためには相手に関心を持つことができればいいと書いた。
どう聞くかに相手をどう扱うつもりなのかが表れる。話の内容に興味を持てるかどうかの前に、この人から何が出てくるか、そこに関心を持つかどうかで聞く姿勢は大きく変わる。
先ほどの話のように、テレビを見ながら話半分に聞く姿勢は「あなたの話をあまり大事だと思っていませんよ(またはテレビの方が大事ですよ)」という表明になってしまうし、相手の考えをしっかり聞くこともせずに否定するのは「あなたの考えに価値はなく、わたしの考えが正しいですよ」と伝えることになる。それをされた相手は自分の話には価値がないのだと思い込み、その結果話すことを諦めてしまう。
「あなたの考えを尊重しますよ」「あなたの言葉を大事に扱いますよ」という姿勢が、ちゃんと聞くという行動に表れる。ちゃんと聞こうとする前に、相手に関心を持ち、その人の考えを尊重する。それは、単なる会話術ではなく、他人をどう扱うかという姿勢が問われるのだ。
聞き役として役に立とうとする
雑談をしにきてくれる人の中には「普段、自分の話をあまりしないけれど、聞き役になることが多くて、人の話を聞くのは得意です」という方が多くいる。
そうなんだね、とさらによく聞いてみると、「人の話を聞いていれば自分のことを話さなくて済むから」とか「相手の役に立てばその時間が無駄ではないと思える」など、純粋に話を聞くこと以外の目的があることがわかってくる。
「一緒にいるのがつまらないと思われないように、せめて役に立たなければ」「自分の話はつまらないから、聞くことで役に立ちたい」と、聞き役にまわることで役に立とうとする。「聞くのが得意」というよりも「役に立ちたい」という気持ちがつよい。そんな気持ちで、ほんとうに話を聞けているのだろうか。
相手に気持ちよく話させるために相槌を打ったり合いの手を入れたり、聞き役として役に立とうとするのは、相手を尊重していると言えるのだろうか。
少なくともわたしは、誰かと話していて、本当に知りたいわけではないけど話を膨らませるためにサービスのように質問をしてくれたり、持ち上げてくれたりされると、わかってしまう。わざわざ指摘することはないが、ちゃんと伝わる。それはあまりうれしいものではない。それをしてよろこばれるのは接待の席(経験したことがないので想像だけど)くらいではないか。
自分を下げる謙遜は相手のためか
相手を持ち上げて自分を下げる振る舞いは、一見相手を大事にしているように見えるが、尊重しているとは言えない。相手の役に立つように自分を下げて聞き役にまわるのも同じだと思う。
自分を下げて謙遜する姿勢は、ヨイショと持ち上げられてうれしい人が相手だと功を奏するかもしれないが、対等でありたいと思っている人からすれば、同じところに立ってくれないので、寂しいなと思う。
そもそも、謙遜や自分を下げて相手を優先することは、相手のためではなく自分を守るための行為だ。自分を小さく見せたり相手より下に置いたりすることで、「敵ではないので攻撃しないでください」という表明をしている。もちろんそれが必要な場面もあるが、こちらは対等でありたいと思っているときにそういう姿勢で防御されると、「え、攻撃なんてしないのにな……」と残念に思う。
わたしも、かつては「わたしなんて」と謙遜して、自分を大したことがない小さな存在だと見せることで身を守っていたことがある。自分が小さな存在だというのは事実だったが、相手にそう見せようとすることにどんな意味があるのだろうかと考えてみたら、そこに含まれる傲慢さに気がついた。
「俺が俺が」と大きく見せることも、「わたしなんて」と小さく見せることも、同様に傲慢なのだ。本来のサイズよりも大きかろうが小さかろうが、自分の「正解」を相手に押し付けて「こう見てくれ」とコントロールしている。
では、どうすればいいかと考えたら、盛りもサゲもせずにそのままを見せることが誠実なのではないかと思うようになった。そうするためには、どう見せるかの前に、過不足なく自分のサイズを知ることが大事だなと思い至った。
相手に関心を持つために、自分を過不足なく知る
雑談をすることで、自分の話をしながら、でこぼこや穴も含めて自分の形を知る。わざと歪めたり小さく見せたりせずに、そのままを話してみると、だんだん自分の輪郭や傷や硬い部分や柔らかな部分などがわかってくる。本当に少しずつだけど。
そうして自分の形がわかってくると、初めて他者の形も知りたいと思えるようになる。他人に関心を持つためには、まず自分に関心を向け自分を知る必要があるのだと思う。
以前、TV番組『あちこちオードリー』でオードリーの若林さんが、人の話を聞くことについて、「自分のボンネットを開けて観察しまくって『へーこうなってるんだ』と気が済んだら、人のボンネットの中身もどうなってるのか見たくなった」と話していた。
おそらく、それまでは自分に対してナナメの視点で疑っていた姿勢が、他者や世界に対してもそのまま出ていたのだろう。「本当はこうなんじゃないの?」と疑って見ていたのが、自分を過不足なく把握できたら、他者への視線も素直なものになったのではないかと思った。やはり「素直さ」は後天的に手に入れられるんだと思い、他人事ながらうれしくなった。
相手をどう扱うかに、自分をどう扱うかが表れる
自分のことをよく知らないと、自分のことを隠しがちになり、うまく話せない。自分は見られたくないのに他人を見ようとするのは難しい。だから、自分を開示せずに聞き役になろうとすると、相手をそのまま見るのではなく、接待のように持ち上げたり過剰に共感しようとしたりする。
誰かの話をちゃんと聞くには、自分のことも過不足なく捉える視点が必要だ。どうしたって自分を見る目で相手を見てしまうからだ。相手をどう扱うかに、自分をどう扱うかがそのまま表れる。相手を尊重しようとするなら、まず自分を尊重するべきだ。
聞き役として誰かの役に立ちたいと思う気持ちが悪いわけではない。だが、その前に、自分も誰かに自分の話をして、ちゃんと聞いてもらうといい。自分を満たせていないと他人を満たすことはできない。聞いてもらえていないと聞くことはできないと思う。
「ちゃんと聞く」をするために、ちゃんと聞いてもらって自分を満たす。ちゃんと聞いてもらうために、自分の話をする。自分の話をしながら、自分の輪郭やサイズを知る。自分を知ると、誰かのことを知りたくなる。他者に関心を持てるようになると、「ちゃんと聞く」ができる。そんな循環がうまれるといい。そう思いながら、雑談をしている。
*次回は、11月20日水曜日更新の予定です。
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桜林直子
1978年、東京都生まれ。洋菓子業界で12年の会社員を経て、2011年に独立。クッキーショップ「SAC about cookies」を開店。noteで発表したエッセイが注目を集め、テレビ番組「セブンルール」に出演。20年には著書『世界は夢組と叶え組でできている』(ダイヤモンド社)を出版。現在は「雑談の人」という看板を掲げ、マンツーマン雑談サービス「サクちゃん聞いて」を主宰。コラムニストのジェーン・スーさんとのポッドキャスト番組「となりの雑談」( @zatsudan954)も配信中。X:@sac_ring
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
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どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
著者プロフィール
- 桜林直子
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1978年、東京都生まれ。洋菓子業界で12年の会社員を経て、2011年に独立。クッキーショップ「SAC about cookies」を開店。noteで発表したエッセイが注目を集め、テレビ番組「セブンルール」に出演。20年には著書『世界は夢組と叶え組でできている』(ダイヤモンド社)を出版。現在は「雑談の人」という看板を掲げ、マンツーマン雑談サービス「サクちゃん聞いて」を主宰。コラムニストのジェーン・スーさんとのポッドキャスト番組「となりの雑談」( @zatsudan954)も配信中。X:@sac_ring
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