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「答え」なんか、言えません。

2026年4月6日 「答え」なんか、言えません。

十九、右腕がけの修行

著者: 南直哉

なぜこの世に生まれてきたのか? 死んだらどうなるのか?――その「答え」を知っているものなどいない。だから苦しい。だから切ない。けれど、問い続けることはできる。考え続けることはできる。
出家から40年。前著『苦しくて切ないすべての人たちへ』につづいて、「恐山の禅僧」が“生老病死”に本音で寄り添う、心の重荷を軽くする後ろ向き人生訓。

 当時は「豪雪地帯」と言われた北陸山中の修行道場に私が入門したのは、極寒の二月下旬である。山門で上山の許可を待って立ち続けている間に、履いている草鞋が凍り付いて、
指導の古参和尚に「入れ」と言われても、容易に草鞋が脱げなかった。

 修行を始めてすぐに困ったのは、厳寒なのに素足のため、それに慣れない足の裏が、あっという間に硬くなり、皮も厚くなって、伸縮性が失われ、ちょっとしたことで踵がひび割れたり、指の付け根が切れて、出血することだった。畳や床を血で汚すわけにはいかないので、拭き取ったり、支給された肌色の絆創膏で塞いだりしたが、痛いし数が足りないし、往生したものである。

 さらに問題だったのは、脚気(かっけ)である。今や知る人も稀ではないかと思われるこの病気に、新入りの修行僧は、毎年ほぼ全員が(かか)るのだ。バブル直前の日本で、脚気が集団発生する場所は、あそこ以外にないだろう。

 とにかく、食糧事情(完全精進料理)と環境(気候と人間関係)の激変が、一撃で新入りをなぎ倒すのである。毎年繰り返すことだから、もう先輩は事情がわかっていて、誰も心配しない。病院に連れて行くタイミングは、腫れ上がった手足の皮膚が切れて、化膿した時と、排尿関連の筋肉が栄養不足で弛緩して、失禁し始めた時、と決まっていたらしい(後で聞いた)。

 道場の名誉のために言っておくが、今はそんなことはない。一時的に「激変緩和措置」が用意され、脚気はほとんど出ていないはずである。当時は、重症者で入院するような者もいたが、大方の修行僧は、1カ月もすると、体が食事と環境に慣れて、自然に治ってしまうので、脚気など「通過儀礼」的扱いだったのだ。

 実は、何を隠そう、私はその年の「最重症者」の一人だったのである。失禁どころか、右半身がマヒして動けなくなり、さすがに慌てた古参和尚が病院に担ぎ込んで、即入院となった。

 診察した医者は、私の骨と皮になった体を見て、「ほう…」と溜息を吐き、近くにいた看護師(女性)が、「やだ、骨格標本…」と、下を向いて、笑いを含んだ小声で言った。両側から体を支えられて、強引に体重測定となったが、忘れもしない、49キロ(身長は182センチ)。
 
 それから、今までいた道場と比べれば極楽のような入院生活となるはずだったが、私はそれどころではなかった。三日たっても、右手も右足も全く動かず、感覚が無いのだ。指先も動かせないし、何も感じない。まずい…。これじゃ、道場に戻れない。私にとっては、生涯最大級のピンチだったのである。

「もし右腕がダメでも、足が動けば坐禅はできる。坐禅ができれば、できる仕事は何でもしますから、修行させてくださいと土下座して頼み込めば、何とかなるかもしれない」

 ベッドで天井を見つめながら、私は一縷(ルビ いちる)の望みで、そう思った。つまり、右足が助かるなら、右腕一本は犠牲になっても仕方が無い、と覚悟したのである。

 入院五日目、突然見知らぬ人間が病室に現れた。
「南直哉さんですね」

 誰かと思えば、道場の出入り業者だと言う。私の入院を道場に勤める知人の僧侶から聞いた師匠が、自身の修行時代からの友人である彼に、様子を見て来てくれと、頼んだのだ。

「どんな状態なんですか?」
「もう少しかかりますが、大丈夫です」

 私はそう答える他ない。と、その二日後、またいきなり、今度は師匠が顔を真っ赤にして乗り込んできたのである。「大丈夫か」の見舞いの一言も無く、顔と同じ大きい声で、

「直哉、お前っ…!」
「師匠、どうしたんです!?」
「どうしたもこうしたも…」

 その続きで、お前はナニをやってるんだ!と怒鳴られるのかと思ったら、師匠は様子が違った。急に声が小さくなり、

「お前、どうする。ここばかりが道場じゃないぞ。地元にもある。ここは下山して、そこに入るなら、手続きしてやる」
「えっ?」
「いま体を壊してまで、やることではない」

 意外な言葉にびっくりしたが、こちらは過去の全てを断ち切って、この道場に入門したのだ。ピンチだが、まだゲームセットではない。

「師匠、ダメとなれば、こちらからお願いします。まだやれます」
「そうか…」

 師匠の眼が少し赤かったように、その時は見えた。
 実際、まだ私の気持ちは折れていなかった。だが、右半身は依然として回復の兆しが無い。すると、入院して10日ほど過ぎた頃、医者が私の状態を不審に思い始めて、特別な検査をすると言い出した。少し大掛かりな検査で、午前中に検査をしたら、午後から翌日まで集中治療室で様子を見る、と宣告された。

 当日、無事に検査も終わり、聞いていた通り集中治療室に運ばれて、私は聊かの疲れもあって、うつらうつら居眠りしていた。すると、またしても突然、「ナオヤ!」「ナオちゃん!」と叫ばんばかりの声がして、父親と母親が跳び込んで来たのである。

 ベッドで仰向けの私の方を見ると、父親は「おっ!」と小さく声をたて、母親はワッとばかりに泣き出した。何だ?どうしたんだ? 両親が来たのにも驚いたが、その様子もただ事ではない。

 実は、治療室に入った途端、両親は私の足の裏を見たのである。掛け布団が短い上に、寝ているうちに動いたのか、両足が布団から出て、丸見えだったのだ。

道場を素足で歩きまわって皮膚が硬く厚くなった足の裏が、病院で寝てばかりいるうちに、角質化した皮がさらに乾燥して縦横無尽にひび割れ、正月過ぎの鏡餅状態になっていたのである。それが至るところでめくり上がり、剥離して、人間の足の裏とは思えない惨状になっていたのだ。

 寝ている私に足の裏は見えないし、いつもは掛け布団の中だから、忙しい看護師たちも気がつかない。結果、何の手当もしていない剥き出しの足を、二人は目撃したのである。しかも、病院に着いたところで、息子は「集中治療室にいる」と聞けば、驚くのは無理もない。その驚きのまま、あの「惨状」を見れば、衝撃は大きい。

「ナオヤ! これは誰かにヤラれたのか!? そうなら、オレは訴える!! 黙っていないぞ!!!」
 そうそう大声を出さない父親が、看護師が見に来るほどの大声を出した。

「ちがう、ちがう、自然現象! とにかく落ち着いて!!」
 私は必死だった。ここで対応を間違えると、本当に道場に帰れなくなる。
「お母さんも泣かない! 治る途中なんだから!!」

 もう止めて帰って来いという父母の合唱を、「大丈夫だから」を繰り返して何とか説き伏せ、ようやく二人を帰らせた夜、疲れ果てて眠りに落ちるかという刹那、私は右足の先に、ピッという、小さい、鋭い痛みを感じた。
「あ、痛い!」

 痛みを感じて嬉しかったのは、後にも先にもあの時だけだ。
「痛い。感覚が戻るかもしれん」

 ようやくやって来たあの痛みは、今に忘れない。それから次第に、さざ波が広がるように手足の感覚が蘇り、私は2週間後、ついに退院できたのである。

「命をかけて」と、人は時として言う。あの時私は、もちろん「命」をかけたわけではなかったが、「右腕一本」をかけたのは、本当である。

 今は思う。何かに文字どおり命をかける人間が、この世に確かにいるだろう、と。
 
 ただし、同時に思う。右腕にしても命にしても、かけて善いかどうかは、また別の問題である、と。

 

*次回は、5月4日月曜日更新の予定です。

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 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
 「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
 どうして自分が「考える人」なんだろう―。
 手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
 それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

南直哉

禅僧。青森県恐山菩提寺院代(住職代理)、福井県霊泉寺住職。1958年長野県生まれ。84年、出家得度。曹洞宗・永平寺で約20年修行生活をおくり、2005年より恐山へ。2018年、『超越と実存』(新潮社)で小林秀雄賞受賞。著書に『日常生活のなかの禅』(講談社選書メチエ)、『老師と少年』(新潮文庫)、『恐山 死者のいる場所』『苦しくて切ないすべての人たちへ』(新潮新書)などがある。

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