シンプルな暮らし、自分の頭で考える力。
知の楽しみにあふれたWebマガジン。
 
 

「答え」なんか、言えません。

2026年10月5日 「答え」なんか、言えません。

二十五、68年目の母子手帳

著者: 南直哉

なぜこの世に生まれてきたのか? 死んだらどうなるのか?――その「答え」を知っているものなどいない。だから苦しい。だから切ない。けれど、問い続けることはできる。考え続けることはできる。
出家から40年。前著『苦しくて切ないすべての人たちへ』につづいて、「恐山の禅僧」が“生老病死”に本音で寄り添う、心の重荷を軽くする後ろ向き人生訓。

 母親が亡くなった。あと1か月で96歳というところだったので、まずは天寿と言ってよかろう。

 しかも、亡くなったのは、私の住職寺の大きな盆行事を終えた直後で、東京経由で青森に帰る途中だった。最後まで息子思いの母親で、ありがたい話である。

 前晩に、お世話になっている都内の高齢者施設から、容体が思わしくないと連絡があった。今年の初めぐらいから、「もうダメだ」的状態が繰り返され、そのたびに駆け付けると、「危機」を脱して、「なぜ来たの? 来なくていいのに」などと言われるので、今回も大丈夫そうな気がしたのだが、この度はそういうわけにはいかなかった。

 実は、最初の「危篤」の時に慌ててしまい、業者に葬儀の予約と手配をしてしまっていたので、そのおかげで後の段取りは滞りなくすんだ。
「お話しいただいてから、これほどご寿命があった例は珍しいですよ」
「すみません。お待たせして」
「いや、そういう意味では……」
 担当者とは、それなりに仲良くなってしまった。

 施設の部屋の片づけは、一人部屋とはいえ、物が溜まっていて、少々手間取った。家具の大どころは業者に依頼したが、片づけていくと、衣服をはじめ日用品などが、かなりの量になっているのである。

 クーラーが効いているとはいえ、8月の暑い最中、細々としたものを出してみたら、意外なものが出てきた。本人の若いころの写真で、しかも、どこかの海で、父親と水着姿で並んでいる。隠れもない両親のデート写真である。夫婦仲は悪くないと知ってはいたが、終(つい)の棲家にまでこんな物を持ち込んでいるとは思わなかった。

 もっと驚いたのは、私の「母子手帳」が出てきたことである。すなわち、68年前の私の誕生記録だ。

 性格なのか、癖なのか知らないが、母親は物持ちの良いほうで、以前、長野から福井にある私の住職寺に父親と引っ越してきた時、偶然、荷物の中に私の小学校時代の絵日記があることを発見して、仰天したことがある。あれは、後々に遺ってはたまらないので、知られないように、こっそり焼却した。

 それが今度は、「母子手帳」である。昭和33年の、まだ紙質が良くない、茶色に変色したページをめくってみると、「出生届け提出証明」という欄があり、出生届けに記載された主な項目が記してあって、「出生日」には、当然ながら「5月2日」とある。私の誕生日だ。

 ところが、そのページをさらにめくると、そこに「分娩日」という欄があり、助産院の名前と助産師の署名付きで、「4月2日」とある。

「え!? !!!??? あれ!? 4?」

「分娩日」というのは、即ち、母親の体内から外に出た日であるから、これが出生日であり、誕生日ではないのか?!

 母親が以前、「あんたが生まれたのは午後3時ころよ」と言っていたが、手帳の記載にも「午後3時18分」とあり、病院ではなく助産院で生まれたことも、私は聞いていたし、父親が撮った産湯の写真も見たことがある。では、自分の誕生日は「5月2日」ではなく、「4月2日」なのか!!

 何度も言うようだが、私は今年68歳である。これまでの生涯、公的な書類にも、私的な情報としても、誕生日と言われれば、「昭和33年5月2日」で通してきたのだ。

 昔は、生れた日と届け出の出生日が違う例は、多々あったということだが、それならそうと、もっと早く、自分の口で息子に事実を言うべきだろう! この期に及んで知らされても、もはや、どうしようもない。また、どうしたらよいかもわからない。

 それよりも、一番私がショックだったのは、これまで68年間、世間を欺き続けて生きてきたような気持になったことである。しかも、これは断じて私の責任ではない! にもかかわらず、なんで「世間様に申し訳ない」みたいな、「世を憚る」ような感じになるのか?

 今まで私は、著書や講演で、「自己は他者に課せられる」とか、「自己は他者に由来する」、「自己に自己である根拠は無い」などと畳みかけ、さらに「だから身分証明書を出せるのは、自分ではなく他人なんです!」などと言い切っていたのだ。

 この「申し訳なさ」は、まさに「自己を自己にする」他者を、事情はどうあれ欺いている以上、この状況が「私が私であること」を動揺させて、負い目となって、出てくるのであろう。

 以前、恐山の参拝者に「あなたは本当に南直哉さんですか?」と言われて、ずいぶん困惑したことがあったが、今回はあれにも増して、日頃の自分の言い分を強力に実証することになってしまった。これから先、私は「二重国籍者」ならぬ「二重誕生日者」として生きていかねばならぬ。他人にとってはどうでもよいことかもしれないが、当事者のトラウマは深い。

 そうなると、次に考えるのは、なぜこんなことになったのか、ということである。

 一つ考えられるのは、出生届けを出すタイミングである。手帳には「5月13日」となっている。当時、両親は共に教員であったから、年度替わりの忙しさを避けて、父親が5月に届けに行ったのであろう。

 ここで問題なのは、父親には、どこかいい加減なところがあったことである。それが役所で書類を書き込むときに発揮されて、届け出日の5月に引っ張られて、そのまま「5月2日」に書き間違えたのではないか?

 他方、母親は丁寧で手堅い性格だったが、おおらかなところがある人で、特に実害が生じないとなると、「まあいいか」的な判断を下す時が、結構あった。

 で、「誕生日、間違えちゃった」と自供した父親に、「もう、仕方ないわねえ」程度の話で済ませたのではないか。仕方なくないぞ!

 あるいは、父母が談合したか。両親は教員なので、当時の学校事情は互いによく知っていただろう。

 あの頃、おそらく県内の小学校では、クラスの出席番号を誕生日順で決めていた可能性が高い。私が小学校に入学した昭和40年も、番号は誕生日順だった。

 そこで両親は、「何かと1番目は苦労しがちだから、ひと月遅らせよう」と考えたのではないか。入学してみたら、結局自分は2番だったから、大差ないぞ!

 これまた、他人にはどうでもいい「理由」を、私は未だにクヨクヨ考えている。

 今まで私は、あちらこちらで、
「人間には、動物と共通の本能的な欲望、食欲・性欲・睡眠欲があるが、それとは別に、これら三つを凌駕する強烈な欲望がある。それは何か? 即ち、理由を求める欲望である!」
 と、声高に主張してきた。その主張を、まさに現在進行形で実証している最中である。

 そこそこ生きていると、当事者が心底びっくりするようなことが起こる。それが、本人にも他人にも、特に害がないことなら、これは大笑いのネタになる場合が多い。すでに実証済みである。
 

 

*次回は、11月2日月曜日更新の予定です。

この記事をシェアする

ランキング

MAIL MAGAZINE

「考える人」から生まれた本

もっとみる

テーマ

  • くらし
  • たべる
  • ことば
  • 自然
  • まなぶ
  • 思い出すこと
  • からだ
  • こころ
  • 世の中のうごき
  •  

考える人とはとは

 はじめまして。2026年7月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、松本太郎と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただき、ありがとうございます。

 2002年7月4日、季刊誌「考える人」が創刊されました。

 目次には当代随一の執筆陣がずらりと並び、B5判240ページの誌面の隅々から知の香りが立ちのぼってくるかのようでした。

 当時、入社3か月の営業部員だった私は、見上げるような思いで手に取り、発売日には編集長の松家仁之さんと創刊のご挨拶のために書店にうかがいました。

 まだ書店訪問にも慣れておらず、編集長ともほぼ初対面の中、次のお店の約束の時間に間に合うだろうかと時計ばかりが気になって、終始、そわそわしていました。そんな私に松家さんがやわらかな笑顔で接してくれたこと、そして、新雑誌の門出を祝うようなすっきりと晴れた一日だったことを覚えています。

 あれから四半世紀が過ぎ、ウェブマガジンとして衣替えした今でも、創刊時に掲げられた「Plain living, high thinking(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という言葉は古びていません。AIに尋ねれば瞬時に答えが返ってくる時代だからこそ、それらしい言葉に飛びつくのではなく、自分の頭で考え、心の声に耳を澄ませることの大切さは増しているように感じます。

 創刊号には、養老孟司さんのロングインタビューが掲載されています。養老さんはその中で、恩師である中井準之助先生の口癖だった「人の心がわかる心を教養という」という言葉を紹介しています。

 読んだ瞬間に立ち止まり、さまざまな思いが湧き上がってくるような文章に、楽しみながら出会える場であり続けたいと思っています。

「考える人」編集長
松本太郎

著者プロフィール

南直哉

禅僧。青森県恐山菩提寺院代(住職代理)、福井県霊泉寺住職。1958年長野県生まれ。84年、出家得度。曹洞宗・永平寺で約20年修行生活をおくり、2005年より恐山へ。2018年、『超越と実存』(新潮社)で小林秀雄賞受賞。著書に『日常生活のなかの禅』(講談社選書メチエ)、『老師と少年』(新潮文庫)、『恐山 死者のいる場所』『苦しくて切ないすべての人たちへ』(新潮新書)などがある。

連載一覧

著者の本


ランキング

テーマ

  • くらし
  • たべる
  • ことば
  • 自然
  • まなぶ
  • 思い出すこと
  • からだ
  • こころ
  • 世の中のうごき

  • ABJマークは、この電子書店・電子書籍配信サービスが、著作権者からコンテンツ使用許諾を得た正規版配信サービスであることを示す登録商標(登録番号第6091713号)です。ABJマークを掲示しているサービスの一覧はこちら