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岡倉天心 日本近代絵画を創った描かぬ巨匠

 一九〇三年に刊行された『東洋の理想』は、西欧社会において東洋に主体的な関心を抱いている人々にKAKUZO OKAKURAの名前を印象づけるのに十分なはたらきを担った。

 この本の著者としてボストンを中心としたアメリカで、美の思想家として確固とした立場を認められたことが如実にそれを示している。のちにボストン美術館との関係をはじめとした現地の人々との交わりにもふれるが、それらのことも『東洋の理想』が書かれていなければ起こらなかった可能性が高い。

 ある読者はこの本に未知なる東洋への道しるべとなる言葉を見つけた。そのうちもっともよき読者はこの本に序文を寄せたニヴェディタである。本名はマーガレット・E・ノーブルというイギリス人女性だった。彼女の文章は、文庫本で一〇ページほどのものだが、『東洋の理想』を論じたもので、管見ながら本質的理解において、これを凌駕するものをほかに知らない。彼女は天心の本意が、東洋における美の霊性の開花であり、それは真の自由においてのみ実現されることを看破している。

 すべての反応が好意的だったわけではない。その言説に強く反意を表明する者もいた。清見陸郎の『天心岡倉覚三』には当時発表されたロンドンタイムズの記事の翻訳が引かれている。記事の著者は、天心があまりにインドの美術に傾倒しすぎている。唐代中国が、ギリシアではなく、インド・アジャンター壁画の影響を受けたのは誤りである、と断った上でこう述べている。次の訳文は当時、日本の雑誌に掲載されたもので、英文で書かれた『東洋の理想』の動向は日本にも伝えられていた。

著者〔天心〕がギリシア美術がガンダラ彫刻に及ぼしたる影響を否定せしは、あらかじめ無関係という心ありしが故ならん。岡倉氏が功績は、諸材料を取りてアジア美術を綜合的に説ける点にあり。而してその短所は、史的知識の欠乏よりは、鑑美的眼識に誤りありしと、文学上の材料によりて、インドの影響をあまりに重く看たることに基づくものならん。

 この本で彼は、美術の歴史においてギリシアの影響が東洋へと流れ込んだという通説に疑義を唱えた。当時のヨーロッパの研究者が定説のように説いて止まなかった「ギリシアの影響」を見ることを天心は否む。

 東洋には東洋内部での「目覚め」があり、それが各地へ伝播したことを強調する。インドにおける初期仏教美術は、「それに先立つ叙事詩時代」につながる「自然な成長」であるというのは天心の考察だった。美術において東洋と西洋が「あらかじめ無関係」であると天心が断じていたという指摘は当たらない。彼は若き日の欧米視察以来、むしろ西洋への関心を失ったことはなかった。「史的知識の欠乏よりは、鑑美的眼識に誤り」、という指摘だが、むしろ天心のギリシアをめぐる認識は、彼の史的見解によってもたらされた。

 序文でニヴェディタが力点をおいて論じたのもこの点だった。天心は一八九三年に中国、当時の清国を帝国博物館からの委託で調査のために旅している。彼がインドで目撃したのはさまざまな点における近似だった。なかでも天心が着目するのは「彫像の石の基礎を漆喰または石膏で蔽う習慣」で、これは古代中国にすでにあり、それがインドに渡ったと彼は考えている。影響は一方向では行われない。アジャンター壁画は無数の旅行者によって唐代の美術に「霊感を与えた」と天心はいう。

 ギリシアを淵源とする文化論に異を唱えることによって見出される東洋の再発見だった。同質の認識はニヴェディタにもあった。彼女は序文の終わり近くで天心がこの本で試みようとしたことを端的にこう述べている。

アジアを、われわれ〔西欧〕が想像していたような地理的断片の寄せ集めとしてではなく、おのおのの部分が他のすべての部分に依存し、全体が単一の複合的生命を息づいている一つの統一された生ける有機体として示すことは、この上なく価値のあることであります。(富原芳彰訳)

 西欧の学者たちはインドの仏教美術の変化を前に、それがある時期を境に「突然」起こったかのように論じ、そこにギリシアからの影響が流れ込んだと結論した。天心はそうした定説を受けてこう語る。

 「もし何らかの外国の流派との関係を設定する必要があるとすれば、それは、たしかに、メソポタミア人、中国人、ペルシア人(この最後のものはインド人の一支族にすぎない)の間にその痕跡を見出すことのできる古代アジア」の美術との交わりでなくてはならない。

 インドにおけるギリシアの影響を天心が容易に受け容れないのは、美の新生には異文化との交わりという表層的な出来事のほかに、伝統に深く根付いた内発的な衝動がなくてはならないと考えたからだった。天心は、美を霊性の表れだと感じている。それは人間の作為の結果ではなく、人間が人間を超えるものとの交わりを回復しようとする衝動の発露であると認識している。

 だが、先のロンドンタイムズの記者の言葉に典型的にみられる見解は、美は人間の作為によるものだという観念に基づいているのは一読して明らかだ。彼らにとって歴史はどこまでも人間の歴史だが、天心には違った。そこには大いなるものによる不断の介入がある。

 一九〇四年、『東洋の理想』の翌年、天心はニューヨークのセンチュリー社から『日本の目覚め』The Awaking of Japanを刊行する。その第一章「アジアの夜」には次のような一節がある。訳文は村岡博によるものだが、「亜細亜」を「アジア」になど、表現を適宜改めた。

 西洋がこれまで我々に教えてくれたことに対しては多大の感謝の念を抱いているが、やはりアジアをば我々の霊感の真の源泉と見做さなければならない。アジアこそはその古代文化を我々に伝え、我々の更生の種子を植えてくれたものであった。アジアの数ある子供達の中で、我々がその継承者たるに相応しいことを実証するを許された事実を我々は喜ばなければならない。国民が再び目覚めようとする踠(もが)きに必然的に伴う困難も甚大なものではあったが、日本が東洋の一国民として近代生活の恐ろしい急務に応じようと努力して直面した仕事は更に一層困難なものであった。(『日本の目覚め』)

 天心にとって「東洋」を論じ、美を論じるとは、美的現象の時間的推移を辿ることではなく、霊感の淵源、霊性の源泉を見極めようとすることだった。『東洋の理想』に限らない。天心が美を論じるとき、不可避的に宗教と霊性を語るのはそのためだ。その傾向は最後の著作となった『茶の本』になるといっそう著しい。

 『日本の目覚め』は、前著とは異なる反響と共に迎えられた。読者のなかには当時のアメリカ大統領セオドア・ルーズベルトもいた。ルーズベルトは『東洋の理想』も手にしていたがこれに強く反応することはなかった。『日本の目覚め』で彼が打たれたのは天心の女性観だった。

 この本には執筆者の名前がなく、出版社からの序文が付されている。その最後にはこう記されている。「日本の社会及び文化に対する一つの影響として、特に婦人に対するキリスト教の態度に言及している」。この時期に天心が女性の生活のあり方に注目していたのを見過ごしてはならない。彼は明治維新の功績として女性の地位向上をあげている。「婦人に対する西洋人の深い尊敬の態度は教養の美しい一面を示していて、我々が切に見習いたい所である。これはキリスト教が与えた最もなおい教えの一つである」ともいう。だが、天心はキリスト教を西洋の文化だとは考えない。彼はキリスト教をこう定義する。

 キリスト教は東洋に起ったもので、婦人の地位に関することを除いては、キリスト教の考え方は東洋人には新しいものではない。この新宗教はヨーロッパを西方へと伝播したので、帰依した諸国民の特異性の影響を自然蒙るに至った。

 始原的にキリスト教を「東洋」の宗教である、と考えるのは史実に合致している。キリスト教をめぐる先の一節も彼の東洋観の実相を如実に示すものとなっている。

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“Plain living, high thinking”(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)*を編集理念に、Webメディア「考える人」は、わかりたい読者に向けて、知の楽しみにあふれたコンテンツをお届けします。

*産業革命後に急速な都市化が進むロンドンで、イギリスの詩人ワーズワースが書き遺した言葉。

 

 

「考える人」編集長
松村 正樹