お菓子を買うときに気になるのはその包みである。ふだんづかいのおまんじゅうやおだんごは小さな紙袋に入れてもらうだけで充分なのだが、老舗の和菓子店の店頭で、意匠を凝らした美しい化粧箱や包み紙を目にすると、その箱や紙欲しさに必要以上のお菓子を購入してしまうこともままある。まさか人様に差し上げてその箱は返して下さいと頼むわけにもいかず毎度悩ましい問題だ。包装紙の場合は、あの紙で包んでもらえないでしょうかと、お店の人にねだったりもする。困った客である。
古来お菓子などはごく一部の人々の贅沢品であって、美麗な包みなどは一般に必要のないものであった。例えば御用菓子司が献上菓子を納めるときも重箱などの容れものに詰めてゆき、後で引きにうかがうしきたりであったろうし、時代が下がっても庶民にとってのおやつは家庭で作るものであり、買うものではなかった。だからこそ今でも美味なる珍しいお菓子は誰にでも喜ばれる贈答品として根づいており、それ相応の包みにするのは礼儀であり、いただく方もそれを愛でる楽しみがあったのだろうが、贈答文化の形式も徐々に失われつつあり、お菓子の箱など後生大事に取っておくものでもなくなっているのかもしれない。昨今は和菓子よりも洋菓子に凝った化粧箱が増えているようだし、またそうした昔ながらの箱を作る箱屋さんも減っていると聞く。
それでも今なお包装文化の伝統を色濃く残すのは古都の和菓子店である。なかでもお気に入りは奈良『萬々堂通則』のお箱である。同店は春日大社のご神饌「ぶと」を模したぶと饅頭で有名な老舗だが、ぶと饅頭の箱は奈良の神鹿の柄で、煉瓦色に白のモザイク調で描かれている。米粉製のご神饌の「ぶと」とは違い、ぶと饅頭は大社の神紋の藤をあしらった和紙で包んだ上品なあんドーナツで、お饅頭の大きさに合わせた平箱が大変雅である。
同店にはもうひとつ、椿の柄の「微笑」があって、こちらは円筒形の小箱で、白地に赤い椿が華やかに描かれている。蓋を取ると、桃色と黄緑色の和紙にくるまれた和三盆の干菓子が詰まっていて、思わず微笑んでしまう。お店によると、椿の絵柄は江戸時代の紙の模様を使っているそうだ。紫の模様の箱もあって、こちらは春日大社の先代宮司の奥様の妹君が描いたものだそうで、なにを描かれたのかははっきり聞いていないのですが、たぶん更紗だと思いますとのことだった。更紗の模様とは、上代にシルクロードから伝わった正倉院の御物から来ているのだろうか、これもまた古都ならではである。ちなみに椿は早春に行なわれる東大寺二月堂のお水取りの儀式の際に飾られる花で、境内に咲く、糊こぼしと呼ばれる赤に白の模様の椿を模して造花が作られる。『萬々堂』の箱の椿もよく見れば、赤に白の模様が入っているではないか。
私は奈良へ行ってもちいどの(餅飯殿)通りにある『萬々堂通則』に入るたび、ふらふらとこの椿の箱に引き寄せられ、性懲りもなく買ってしまう。そしてやむなく知人にあげたりする。数年前には取材した作家の旧居の机上に同じ箱を発見し、同好の士を見つけて嬉しくなった。そっと蓋を開けてみると、中は干菓子、ではなくクリップ入れになっていた。そう、お菓子の箱はおいしいものを食べた後、もう一度使えるからなおいいのだ。
などといって、箱に入れておくべきものがそうたくさんあるわけではない。手もとにはこうした箱ばかり増えて、泣く泣く手放すこともあり、もう買わないようにしようと心に決めるのだが、手の込んだ優美な箱を見つけるとすぐさま決心は揺らいでしまう。『萬々堂』の紫の更紗柄のはまだ持っていないので、今度はこれを買ってもいいでしょうか。
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若菜晃子
1968年神戸市生まれ。編集者。学習院大学文学部国文学科卒業後、山と溪谷社入社。『wandel』編集長、『山と溪谷』副編集長を経て独立。山や自然、旅に関する雑誌、書籍を編集、執筆。著書に『東京近郊ミニハイク』(小学館)、『東京周辺ヒルトップ散歩』(河出書房新社)、『徒歩旅行』(暮しの手帖社)、『地元菓子』『石井桃子のことば』(新潮社)、『東京甘味食堂』(本の雑誌社、講談社文庫)、『街と山のあいだ』『旅の断片』(アノニマ・スタジオ)他。『mürren』編集・発行人。3月に『岩波少年文庫のあゆみ』(岩波書店)を上梓。
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
著者プロフィール
- 若菜晃子
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1968年神戸市生まれ。編集者。学習院大学文学部国文学科卒業後、山と溪谷社入社。『wandel』編集長、『山と溪谷』副編集長を経て独立。山や自然、旅に関する雑誌、書籍を編集、執筆。著書に『東京近郊ミニハイク』(小学館)、『東京周辺ヒルトップ散歩』(河出書房新社)、『徒歩旅行』(暮しの手帖社)、『地元菓子』『石井桃子のことば』(新潮社)、『東京甘味食堂』(本の雑誌社、講談社文庫)、『街と山のあいだ』『旅の断片』(アノニマ・スタジオ)他。『mürren』編集・発行人。3月に『岩波少年文庫のあゆみ』(岩波書店)を上梓。
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