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おかしなまち、おかしなたび 続・地元菓子

 東京湾の沖合に点々と浮かぶ伊豆諸島。東京からみると8番目に遠い島、羽田から飛行機なら1時間だが船で行けば一晩かかる八丈島には、八丈富士という山がある。標高854m、登るにつれて足もとに太平洋が広がる、洋上富士山である。
  
 数年前にこの山へ登りに行ったとき、中腹の登山口近くに牧場があるのを知った。海辺と集落を見下ろす展望の緑の草地には茶色い牛たちがのんびりとねそべっている。かたわらには古びた休憩所もあって、中に入ると人はおらず、古いカウベルが窓辺にぶら下がり、壁には八丈島の酪農の歴史を記した説明板がかけてあった。古いモノクロ写真もある。八丈島では酪農をやっていたのかと眺めた年表によると、島では江戸時代より牛が飼われており、明治12年には洋牛の放牧、繁殖を始め、41年にはバターの製造を開始。大正12年には八丈島練乳株式会社を設立、昭和14年に森永乳業八丈工場として稼働している。その間にも多数の牛種が導入されており、広い放牧地と良質のまぐさが生える八丈島は酪農の島として成り立っていたようだ。

現在の牧場はふれあい牧場といい、もとの20牧区で幼牛用の牧場だったとか。「かわいがってあげて下さい」と書いてあった

 資料には戦後の写真もある。アメリカからの余剰小麦粉輸出計画によりパン食が奨励されたこともあって、乳製品の生産量も上がったのだろう。昭和23年に八丈島畜産農協が発足、34年に島内一部の学校で牛乳給食も始まっている。拡大路線だった酪農にかげりが見え始めるのは昭和45年に森永工場が八丈島農協に移譲された頃からで、平成19年には農協が牛乳の生産販売事業から撤退。現在は民間企業が営農と乳製品の製造を続けている。

 島の畜産業が衰退した理由として、「戦後、自動車が入ったことにより牛に荷を運搬させていた生活が、バス、トラックなどに頼る生活に大きく変わったため」と書かれている。写真にあった昭和35年頃の農家は茅葺屋根で、母屋に倉、牛舎もある。「昔の人たちは牛乳や堆肥を取る以外にも牛を利用していました。人を乗せたり物を運んだり、みんなが牛を飼っていました。娯楽として牛相撲が盛んでした」とある。日本でも約60年前までは人々が他の生きものとともに働き、暮らす生活があったのだ。急激な社会の変化によって、人の暮らしにペット以外の生きものがいなくなったのだなと思う。実際、昭和40年代生まれの私は牛や馬のいる生活はしたことがないし、たまに牧場で見るだけの存在だ。人と生きものとのその隔たりは、生活と生産との隔たりでもあり、物理的にも心理的にも現代の人々の間で大きく広がっている。

八丈富士の裾野には広々とした牧野が今も残っている

 八丈富士は本家富士山と同じく火山で、山頂部の噴火口跡のお鉢巡りができる。海原をはるばると望みながら、海風にひゅうひゅうと吹かれながら、細い稜線を歩いていくと、眼下に先ほどの牧場が見えた。昔は山の中腹から裾野全体が牧野だったそうだ。八丈島は冬でも温暖で、喧噪とは無縁の離島である。山上からの景色も、以前は牛たちが点々と草をはむ、のどかな風景だったことだろう。牛を追って山へ上がる人も、牛とともに山でときを過ごす人もいたかもしれない。

素朴な味わいの八丈牛乳せんべい。島内の空港や商店で購入できる

 山を下りてから町の商店で牛乳煎餅を見つけ、買って食べてみた。薄焼の小麦煎餅で、親しみのある味である。お煎餅の焼き型にもあるように、牛乳煎餅は酪農の島のお土産ものとして古くから作られていて、島の人もおやつに食べたそうだ。平成26年に設立し、乳製品の製造を続ける八丈島乳業もかわいい包装の牛乳せんべいを作っている。

 こうして少し前の歴史とお菓子が、海上の島にはひっそりと残っている。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

若菜晃子

1968年神戸市生まれ。編集者。学習院大学文学部国文学科卒業後、山と溪谷社入社。『wandel』編集長、『山と溪谷』副編集長を経て独立。山や自然、旅に関する雑誌、書籍を編集、執筆。著書に『東京近郊ミニハイク』(小学館)、『東京周辺ヒルトップ散歩』(河出書房新社)、『徒歩旅行』(暮しの手帖社)、『地元菓子』『石井桃子のことば』(新潮社)、『東京甘味食堂』(本の雑誌社、講談社文庫)、『街と山のあいだ』『旅の断片』(アノニマ・スタジオ)他。『mürren』編集・発行人。3月に『岩波少年文庫のあゆみ』(岩波書店)を上梓。

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