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中野翠×佐久間文子 『ツボちゃんの話 夫・坪内祐三』をめぐって

2021年9月10日

中野翠×佐久間文子 『ツボちゃんの話 夫・坪内祐三』をめぐって

ずっと不思議な人だった。

著者: 中野翠 , 佐久間文子

2020年1月に急逝した坪内祐三さん。25年という時間を共に過ごした妻・佐久間文子さんが、その想い出を綴った『ツボちゃんの話 夫・坪内祐三』には、坪内さんが残した貴重な仕事から生活ぶり、激しい喜怒哀楽までが、使命感をもって記されています。

「やっぱり不思議な人だったね」と語るのは、コラムニストの中野翠さん。坪内さんとは30年来の友人。そのふたりが、稀有な評論家の〝素顔〟を探りながら、その想い出を語ります。

2020年1月に急逝した坪内祐三さん

記憶をたくさん貯め込んで

中野 『ツボちゃんの話 夫・坪内祐三』はすぐに読んで、「佐久間さん、よくぞお書きになりました!」と感心したのよ。生きている坪内さんが目の前にいるみたいで、さすがだな、と。

佐久間 自分のことをよく話す人だったんです。小さい頃の話からずっと、もう何でもかんでも、私が聞かなくてもいいんじゃないかということまで全部…。たしかにツボちゃんについて書いた本ですけど、ツボちゃんから聞いた話を書いた本なのかなという気がしています。でも、まだまだ知らないことも多くて。

中野 坪内さんはちょっと異常な記憶力だったじゃない? 

佐久間 はい。凄まじい記憶力ですよね。あれは何ですかね。

中野 何だろうねえ(笑)

佐久間 脳にありったけの記憶を貯め込んでいて。子供の頃の話も、最近あった出来事のように話すので、たまに「えっ、それいつの話?」と思うこともあって(笑)。とにかく映像として鮮明に記憶しているんですよね。

中野 その独特の記憶の細かさは、山下清の画とどこか似ているかな。

佐久間 似ているかもしれません。映画の『シン・ゴジラ』を観終わった後、最初のシーンに出てくる漂流船のキャビンに宮沢賢治の詩集『春と修羅』が置いてあって、私は詩集があったかどうかすらボンヤリとしているのに、ツボちゃんは「あれはなんとか書店版だったよね?」とまくしたてる(笑)

中野 ついていけないね。パッと、映像で全部覚えちゃうところが山下清的だと思うのよ。

佐久間 ツボちゃんのお父さん、坪内嘉雄さんも見たものを本当に全部覚えちゃうって。「記憶を捨てるのがすごく大変だった」と仰っていたし、その運転手をずっとしていらした方も、「会長が言っていましたけど、全部覚えちゃうから、祐三坊ちゃんにあまり本を読ませない方がいいと医者に言われた」と。

中野 坪内家って独特なのよね。フランスの古い喜劇―ブールバール演劇を観ているようで、みんなちょっと奇人(笑)。でも、陰気じゃないところがいい。

佐久間 ツボちゃんはプロレス好きだったから、「うちの母親はアントニオ猪木みたいだった」と形容していて、「アントニオ猪木みたいなお母さん」なんて、どんな家庭だよと思っていました。ちなみに、お父さんはジャイアント馬場タイプらしいです(笑)

中野 そんなことを言われても、聞かされている方は困っちゃうじゃない(笑)

「福田恆存」という共通点

佐久間 中野さんはツボちゃんとの付き合いが私よりも古いですね。

中野 初めて会ったのは、坪内さんが「東京人」の編集者をしていた頃、銀座のソニービルの1階に「パブカーディナル」という店があって、そこで原稿を頼まれた。あの店、今はもうないけど、その時の坪内さんはさすがに個性全開というわけではなく、編集者らしくしていて、きちっとした感じのいい青年でした。「東京人」に入って、まだあまり経っていない頃だったかな。

佐久間 1987年から90年の間、都市出版にいたので、もう30年前ですね。

中野 でも、書き手と編集者として付き合ってゆくうちにすぐ、この人不思議な人だな、と思うようになり(笑)

佐久間 中野さんも書いていらっしゃいましたが、「東京人」で泉麻人さんと対談した時には、すでに〝変な人〟の気配があったんですよね。

中野 そうそう。司会役の坪内さんの方が私たちよりいろいろと詳しくて、たくさん喋っていました。泉さんはその時が坪内さんと初対面で、帰りに泉さんと一緒に地下鉄の駅まで歩く道すがら、「あの坪内さんって人、変わっていますね」「そうなのよ」って(笑)。でも、普通の変わり者じゃない。

佐久間 振る舞いがヘンというわけではないけれど、話してみるとわかる(笑)。私がツボちゃんに初めて会う前、なんとなくその名前が気になっていた頃、中野さんが「私の友人の坪内祐三という人は、若いのにいろいろなことを知っている」という文章を書いていらして、「ああ、若い人なんだ」と印象に残った記憶があります。

中野 昔のこともよく知っているけれど充分に今時の青年で、それでいて同時代の空気だけでは生きていない、得難いバランスの人だと思った。昔と今の知識を両方マニアックに併せ持っているタイプはなかなかいないから。

佐久間 確かに。中野さんの文章を読んだのは、デビュー作『ストリートワイズ』(1997年)が出る前だったように記憶しています。その頃に「週刊文春」の連載コラム「文庫本を狙え!」も始まって、「本の雑誌」で特集されて、単著も出たので、その頃の記憶がごちゃごちゃになっています。

中野 人付き合いにおいて、私はあまり相手の歳や世代を考えない方なの。その人の文章の好き嫌いと見た目は気にするけど(笑)、坪内さんと会った時、新しい世代が出てきたな、という感じはあったかな。同世代の全共闘世代には理解してもらえないことが多かったから、やっと話が通じる人が出てきたな、と。

佐久間 ツボちゃんの方も同じで、とても人見知りだけれど、中野さんには最初から心を開いていて、お姉さんみたいに思っていたようです。中野さんも「弟みたいに思っていた」と書いてくださったから、片思いじゃなくてよかったです(笑)

中野 この業界にいると、好き嫌いがパッと通じ合う出会いも珍しくて。そういえば、今思い出したけど、坪内さん、会って1、2回目くらいの頃、福田恆存が好きだ、と言ったのよね。私の周りは左翼が多かったけど、私も実は福田恆存が結構好きで。でも当時はとにかく「保守反動の人」というイメージが強くて、全共闘世代を相手に好きだと言うとバカにされるような雰囲気があった。

佐久間 それはツボちゃんにとっても同じだったのだと思います。

中野 坪内さんが福田恆存を好きと知って、「ああ、この人は単にいろいろなことを知っているだけではなく、人間や世の中に対する考えの芯を持っている人なんだ」と、余計に信頼感が増したところもあるかな。だから構えずに付き合えた。ちょうど一回り下の戌年に同じ嗜好の人がいるなんてと、ちょっと驚いた。その存在がありがたかったし、いなくなって寂しいですね。

佐久間 中野さんにそう仰っていただいてツボちゃんも喜んでいると思います。ツボちゃんを中心に10年以上、新宿のゴールデン街でやっていた読書会も、編集者の多いメンバーで中野さんだけが書き手でした。

中野 ずっと行き当たりばったりのライター仕事ばかりやってきたし、大学時代は全然勉強していない引け目もあったから、お誘いはありがたかったのよ。

佐久間 そこで一緒に読んだのは、柳田國男『明治大正史 世相篇』、エドマンド・ウィルソン『フィンランド駅へ』、レヴィ=ストロース『悲しき熱帯』、小林秀雄『本居宣長』と、なかなかハードな本ばかり。

中野 うん、難しかった。坪内さんのアカデミックな部分も見せてもらった。私にとっては、本当に久しぶりのお勉強気分。面白かった。あちらは先生で、みんな生徒みたいな気分でやっていたと思う。坪内さんは教えるのも好きだったんじゃない?

佐久間 はい。大学で教えるのもすごく楽しんでやっていました。目白学園女子短大で教えていた頃は、「この人物について知っていることを記せ」という問題に学生たちが滅茶苦茶な答えを書いてくるのを、面白くて面白くてしようがないという感じで読んでいましたね。

中野 私はいろんな出版社の編集者と会う機会が案外少なかったので、読書会の後の飲み会も楽しくて。

佐久間 「教え魔タイプ」は私も苦手ですが、ツボちゃんは本当にいいタイミングでヒントをくれるし、知りたくて聞くと丁寧に教えてくれます。よく「文ちゃんは、僕の頭にストローを突っ込んでチューって吸おうとする」と(笑)

中野 とにかく知識の質が多面的な人だった。アカデミックなハイカルチャーからプロレスのようなサブカルチャーまで、全部詳しいのは珍しいと自負していたと思う。

佐久間 中野さんの好きな淡島椿岳・寒月親子とか、明治の知のネットワークも山口昌男さんと一緒に調べ回っていました。福田恆存は友達に信奉者がいたようですが、明治のマイナーな文学者への興味と愛着を持っているのはツボちゃんの世代では珍しかったですし、少数派という自覚は強かったかもしれません。

左から佐久間文子氏、中野翠氏

「坪内ファミリー」の血筋

中野 坪内さんとは長い付き合いだし、ときたま電話で話したりもしたけど、最後までよくわからない部分があったのもまた確かで。

佐久間 私も近くにはいましたけど、結局わからないことが多い人だったという想いがあります。面白がって、よく嘘をついたりしていますし。でも、「自分の血の16分の1はフランス人」というのは本当だったようです。母方の曽祖父である井上通泰―柳田國男の兄であり、医者で歌人ですが、その2番目の奥さんがフランス人とのハーフだったそうです。

中野 だから坪内さんは16分の1。

佐久間 義母は、ツボちゃんが子供の時に「フランスから養子にほしいと言ってきた」と言うのですが、嘘だろうと思う(笑)。長男だし。でも、「祐三は、そういう人生もよかったかも、と言っていたわよ」と重ねて言うので、真偽がよくわかりません。ただ、井上通泰の弟である柳田國男は自伝的作品の『故郷七十年』で、「新しい兄嫁は極度の善人で、私らはいつも同情はしていたが、家風のきびしい家には不適当な人であった」という含みのある言い方をしているので、もしかしたらあながち嘘ではないのかもしれない(笑)

中野 やっぱり坪内ファミリーは面白いね。

佐久間 みんな昔話を細部まで覚えていて、記憶力がいいんです。

中野 亡くなってから知ることが多くて、佐久間さんの本を読んで驚くこともたくさんあった。前妻の神蔵美子さんに対する感情も嫌な感じではなく書いてあって、ああ、よかったなと思った。全然書かないのもおかしいし。

佐久間 中野さんは、ツボちゃんの恋愛については一切触れませんでしたね。そのことについてツボちゃんは誰からも何も言われたくなかっただろうから、ありがたかったでしょう。

中野 坪内さんとは何でもかんでも話すというわけではなく、突っ込んだことを言ったりもしなかったのがちょうどいい塩梅だったのかもしれない。

佐久間 あれだけおしゃべりなのに、「何も言わない」と決めたことは一切言わないんです。

中野 人のゴシップには食らいつくのにね(笑)。好き嫌いははっきりしていたけど、いったん自分が好意を持った人の悪口は決して言わないし。

佐久間 本当に。あれは不思議です。 

意外だった「苦手なもの」

中野 坪内さんって目が変わってない? 黒目が大きくて、あまり白目が感じられない(笑)

佐久間 ぬいぐるみの犬みたいな目をしていますよね。わからないことがあると黙って首を傾げるのですが、本当にぬいぐるみの犬みたいな顔になっていることがありました(笑)

中野 やっぱり犬だね。

佐久間 犬です。性格は猫ですけど。

中野 へー、そうかな。私は性格も犬っぽいなと思っていた。

佐久間 『シブい本』のカバー画はのらくろですけど、あれは装幀も担当した担当編集者の萬玉(邦夫)さんが「おまえさんはのらくろに似ているから」という理由で使ったそうです。

中野 犬っぽいと思っていたのに、坪内さんは実は方向音痴だったと佐久間さんは書いていたじゃない。あれにはびっくりした。街に通じていて、店も詳しいから意外だなと。

佐久間 初めての場所は地図を持っていてもたどり着けないんです。電話でいきなり、「ここからどっちに行けばいい? 今、何とか神社が見えるから案内して」と言われて、地図を確認して方向を指示したこともありました。私も他人のことは言えないのですが。でも、「方向音痴だ」と指摘すると、「地図が読めないだけだ」と逆上する(笑)

中野 私もダメなのよ。北と南がどっちなのか、すぐわからなくなる。それよりもあそこにはどういう店があるとか、看板や目印になるものがないとわからない。

佐久間 ツボちゃんもそうだったと思います。街の目印になる場所を覚えて、そこから目的地を目指していました。鬼門だったのが、キネマ旬報社。オフィスが何度も移転したから、いつも迷っていました。

中野 坪内さんと私みたいなタイプは、街の風景が変わり、目印になるものがなくなると困るのよ。いつの間にか、その寂しさが怒りに変わったり(笑)

佐久間 何回も「文ちゃん、方向音痴だね」と言われましたけど、自分がそうだとは最後まで認めていませんでしたね。

中野 ゴールデン街での読書会が終わった後に、次の酒場に向かうじゃない。その早足でスタスタ歩く後ろ姿を見ていると、とうてい方向音痴だとは思えなくて。とっとと先頭切って歩いて振り向きもしない。坪内さんの痩せていて膝が開きぎみのシルエットが面白くて、その後ろ姿をいつも見ていたな。

佐久間 足が小さいんです。靴のサイズは23.5センチ。横幅があるから25センチぐらいの靴を履いていたけれど。ずーっと同じカンペールのスリッポンを買い続けていて、せっかくだから夏はベージュや茶色にしたらどうかと勧めても、黒しか買わない。手も小さくて、私のほうが大きかったです(笑)

中野 ふーん、何かいろいろ意表をつくポイントを持っているね(笑)

佐久間 頭も小さかったし、末端が小さいのかもしれない(笑)。髪を3か月に1回ぐらいしかカットしないので、切るたびにいつもマッチ棒のようになって帰ってくる。ずっと同じ美容師の人に髪を切ってもらっていて、その人が表参道から錦糸町に店を移っても、同じ人に切ってもらっていました。

中野 律儀というか偏執的というか…。

佐久間 これと決めたら動かさない人でした。

中野 「ツボちゃんマークをつけたぞ」という感じなのかな。坪内さんも私もずっと手書きで原稿を書いていましたが、その時代遅れなところも共通点ですね。新しいものも目ざとく見つけて興味を持つけれど、仕事では古臭いやり方を守る。その気持ちはとてもわかるし、その意味でも同志を失った気分。

佐久間 「1マス何円」なんて言いながら、原稿用紙のマス目をコツコツと埋めていくのが好きだったみたいです。そういった目に見える実体しか信じない、というところもあったのかもしれない。

中野 最近は、筆圧が弱くなったり、原稿用紙に書く快感が時々なくなってきたりして、老いを確認しています。私は長年、鳩居堂の原稿用紙を使っていますけど、坪内さんは?

佐久間 ツボちゃんは鳩居堂や満寿屋の厚い原稿用紙だとダメらしくて、亡くなる数年間からはライフのものを使っていました。サイズはA4で、だんだん店で見つけるのが難しくなり、私がネットで買うことも。万年筆も青い100円のプラスチックのものを使っていましたし、妙なこだわりがありましたね。

中野 私なんか、いまだに鉛筆と消しゴムです。でも、坪内さんは決して達筆ではなかったよね(笑)

佐久間 一筆書きみたいな癖のある字ですけど、安定感があって読みにくくはなかったですね。

可憐で儚げで

中野 佐久間さんは、いつ頃からこの『ツボちゃんの話』を書き始めたの?

佐久間 去年の春頃からです。

中野 「どこまで書いたらいいのか?」というような逡巡はありましたか?

佐久間 「書けること」と「書けないこと」、そして「書かなくてはいけないこと」、その見極めが難しかったです。

中野 複雑な気持ちがサラッと、でも、きちんと書かれているな、と思った。

佐久間 ありがとうございます。ツボちゃんが親切なところも、尋常でなく怒りっぽいところも、どちらも本当で、良い面と嫌な面の両方を寄せ集めたような人でしたから…。ご迷惑をかけた方にはその訳を知ってもらいたかったし、あまりひどい人だと思われるとツボちゃんに悪いし、悩みながら書いていました。

中野 複雑なところもあるからね。

佐久間 でも、呆れるほど単純で子供っぽいところもあるんです。我が家はマンションの1階で小さな庭があるのですが、ある時そこで何しているのかと見たら、ショウリョウバッタとずっと遊んでいました(笑)。草抜きをしなければいけないのに、バッタが来なくなるから「草を抜かないで」と。大雪の日に長靴をプレゼントしたら、雨が降るたびにその長靴を履いて水たまりを歩いたり、5歳の子供がそのまま大きくなったような面もあるんです。

中野 私は居合わせたことはないけど、泥酔して酒場で喧嘩したなんて聞くと、それは心配だったな。

佐久間 中野さんがいらっしゃると無意識に酒をセーブしていて、抑止力になっていたようです(笑)

中野 何であんなに飲んだのかな?

佐久間 特にここ数年は酒量も増えていて…。本人もわかっていて止められなかった。鬱屈もあったと思います。

中野 普段はあまり感じなかったけど。

佐久間 こちらが思っている以上にストレスがあったのかもしれません。

中野 出版の世界がどんどん変わっていき、坪内さんが嫌いなタイプの人間が幅を利かせてというような、ぼんやりとした不安はあったかもしれない。

佐久間 先ほども言いましたが、ツボちゃんは「1マス何円」のような実業的な世界が好きだったし、出版のいい時代に「自分はぎりぎり間に合った」とよく言っていました。

中野 実直に振舞うことで自分を保っている面があったよね。だから、坪内さん個人の損得とは関係なく、自分の愛した出版の世界が凋落して、本当にマイナーなものになっていくことに対する怒りや憤懣が大きかったかもしれない。れは私にも少なからずあるけど。

佐久間 それもあったと思います。

中野 テレビも好きでよく見ていたでしょう。

佐久間 「サンデー毎日」でテレビについての連載が始まってからは、青いボールペンで毎日5つぐらいテレビ欄に丸をつけて録画して、それを必ずDVDに焼いていました。「ハードディスクに入れたら分類もできるのに」と言っても、「ハードディスクは目に見えないから駄目だ」と怒る。

中野 わかる、わかる(笑)

佐久間 知り合いからハードディスクに保存していた番組が全部ダメになったという話を聞いてから、もう絶対に信じなくなった。だから、自分で焼いたDVDがものすごくたくさんあります。

中野 そうしたこだわりは、一緒に暮らした人でないとわからない。

佐久間 本にも書きましたけど、玄関の靴を全部左に傾けて置くんです。それを私が真っ直ぐ並べ直すことを繰り返していたら、「靴は全部こうしておいてって言ったじゃない!」と怒り出したこともありました。どこかギリギリで世界を繋ぎ止めていて、ひとつルールが外れたら崩壊してしまうような切迫感を常に抱えていたと思います。

中野 ちょっと可憐で儚げなところがあったし、神経は目一杯ピリピリしていたのかも。

佐久間 そこも含めて、全部知っているようでいて、全然わかってなかったのかもという気が今はしています。この本を書いて、体調が悪いことを含めて、彼の抱える辛さをあまりわかってあげられなかったのかなという悔いが残りました。別の態度をとっていたら、突然の死を防げたのかもしれないという気もして…。

中野 その佐久間さんの後悔も伝わってきました。本を読んで、坪内さんには私の想像の及ばない部分がたくさんあったのに驚いたし、ある一部分だけを面白がっていたようで、すみませんという気持ちにもなった。

佐久間 でも、中野さんが「波」の表紙に載った子供の頃のツボちゃんの写真を切り抜いて飾ったと伺って、とても嬉しかったです(笑)

中野 そうそう。三輪車に乗って、こっちを振り返って見ている写真。目が黒くて丸くて本当に可愛い。私の好きな古書ばかりが入っている本棚に、ちゃんと裏打ちして入れています。

佐久間 私も大好きな写真で、中野さんの本棚に入れてもらえているかと思うと、ツボちゃんも嬉しいでしょう。同時に、寂しさが、ちょっと和らぎますね。 

(おわり)

 

佐久間文子『ツボちゃんの話: 夫・坪内祐三』

2021/5/26

公式HPはこちら

坪内祐三『玉電松原物語』

2020/10/20

公式HPはこちら

中野翠

コラムニスト。1946年生まれ。埼玉県浦和市(現・さいたま市)出身。早稲田大学政治経済学部卒業後、出版社勤務などを経て文筆業に。1985年より「サンデー毎日」誌上で連載コラムの執筆を開始、2021年9月現在まで続く。著書に『小津ごのみ』『アメーバのように。私の本棚』『今夜も落語で眠りたい』『この世は落語』『歌舞伎のぐるりノート』『いちまき ある家老の娘の物語』『あのころ、早稲田で』『だから、何。』など多数ある。

佐久間文子

文芸ジャーナリスト。1964年大阪市生まれ。京都大学を卒業後、1986年、朝日新聞社に入社。文化部、「AERA」、「週刊朝日」などで文芸や出版についての記事を執筆。2008年から書評欄の編集長を務め、2011年に退社。著書に『「文藝」戦後文学史』(河出書房新社)、『ツボちゃんの話 夫・坪内祐三』(新潮社)がある。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

中野翠

コラムニスト。1946年生まれ。埼玉県浦和市(現・さいたま市)出身。早稲田大学政治経済学部卒業後、出版社勤務などを経て文筆業に。1985年より「サンデー毎日」誌上で連載コラムの執筆を開始、2021年9月現在まで続く。著書に『小津ごのみ』『アメーバのように。私の本棚』『今夜も落語で眠りたい』『この世は落語』『歌舞伎のぐるりノート』『いちまき ある家老の娘の物語』『あのころ、早稲田で』『だから、何。』など多数ある。

佐久間文子

文芸ジャーナリスト。1964年大阪市生まれ。京都大学を卒業後、1986年、朝日新聞社に入社。文化部、「AERA」、「週刊朝日」などで文芸や出版についての記事を執筆。2008年から書評欄の編集長を務め、2011年に退社。著書に『「文藝」戦後文学史』(河出書房新社)、『ツボちゃんの話 夫・坪内祐三』(新潮社)がある。


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