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千葉雅也×保坂和志「響きあう小説」 『デッドライン』刊行記念トークイベント

2020年3月10日

千葉雅也×保坂和志「響きあう小説」 『デッドライン』刊行記念トークイベント

第1回 小説を書くのに、説明は要らない

著者: 千葉雅也 , 保坂和志

第41回野間文芸新人賞を受賞した、哲学者・千葉雅也さんの初めての小説『デッドライン』。この小説への授賞を強く推薦した選考委員が小説家・保坂和志さんでした。保坂さんの『書きあぐねている人のための小説入門』を『デッドライン』の執筆の参考にしたという千葉さん。書き手の計算を超えて細部が有機的に響きあう小説とはどんなものなのか、語り合いました(2019年12月16日、「文喫六本木」にて)。

会場は満員

千葉 今日は保坂さんが、『デッドライン』を読んでメモをされた資料を用意してくださっているんですよね。昨日ツイートされているのを僕も拝見して、ああ、こういうことが話題になっていくんだ、とチェックしていたのですが。

保坂 僕が定期的にやってる「小説的思考塾」の参加者も会場にたくさん来ているのですが、今日は『デッドライン』という小説がどういうふうに書かれているのか、ということを…。

千葉 丸裸にされるわけですね(笑)。

保坂 いや、そんなたいしたものじゃないんですが。じゃあ、始めていいですか?

千葉 はい、お願いします。なんだかもう、授業みたいですね!

保坂 とにかくこの小説は、とても好感が持てる作品なんです。ハッテン場の暗闇に(うごめ)く男たちの姿が描かれる、ちょっと緊張感のあるプロローグから一転、「1」の章が明るく始まるのね。
 「僕」を含めた4人がロイヤルホストに入るんだけど、単行本の7ページ目のところで「平日なので日替わりランチがあるからそれにして、僕たちはこの河川敷まで車を南下させた」と書かれている。僕はまずここで胸がキュンとした(笑)。
 さらにその直前には、「お冷やを一口飲んだ」とも書いてある。「お冷や」っていうのもいいと思うんだよね(笑)。だって普通、「お冷や」って書かないんですよ、「水」と書きますから。この小説全体に、文学に対する「この言葉を使うと小説じゃなくなってしまう」というような遠慮とか尻込みがないわけなんです。
 7ページには、この小説は「二〇〇一年」が舞台だとあるんだけど、21ページでは「僕はいま、久我山に住んでいる」と書いてある。これも普通なら、「僕はその頃、久我山に住んでいた」と書くと思う。でもそうすると回想っぽくなって、もっとじめっとする気がするんだよね。

千葉 たしかに、僕は現在形で書いていますね。

保坂 『デッドライン』という小説は、現在形と過去形の区別をあまり気にしていない。そのときの気分で現在だと思えば現在、過去だと思えば過去にしている、という節がある。まるで日記やメモのような無造作な感じというか。
 この小説は一見文体がないようなんだけど、文体と感じさせない文体になっているんです。いわゆる「文体」じゃない、しかし十分に文体といえるやり方で一冊の小説を書いたということは、すごいことかもしれないと思うんですよね。

千葉 嬉しいです、ありがとうございます。

保坂 小説の設定も、『デッドライン』の世界は、普通なら説明しがちになるものなんです。「僕」がいるふたつの世界―ゲイの世界と、大学院という場所ということですね。でも、ほとんど説明がない(笑)。
 95ページでは「低音を鳴らす直径三十センチのウーファーが、父の親友の野村さんが作った桜材の箱に収まっている」と、野村さんという人が初めて出てくるんだけど、この人の説明がされるのも、ステレオについて書かれた後です。

千葉 説明が後ろに回っているということですよね。

保坂 説明ということでいえば、それこそ先ほどの7ページのところでは、「僕」と「K」、「知子」、「瀬島くん」の4人は一緒に映画を撮っているとあるんだけど、読者である僕は小説の後半になるとこの説明を全然覚えていなかった(笑)。
 でも逆にいえば、わからないことが苦痛にならない小説である、ということなんです。一般的な話として、小説を書くときに説明をどうするかというのは大きな問題なんですが、『デッドライン』を読むと、「説明は要らない」ということがよくわかるんですよ。

千葉 なるほど、極端にいってしまえばそういうことかもしれませんね。これまでも保坂さんは、説明はわずかでいい、人物を導入する時も少しの特徴だけを書いたほうがリアリティを高める、といったようなことを書かれてきましたね。

保坂 そうですか、自分の書いたことは忘れているんですけどね(笑)。70ページでは「僕」が「知子の家」に初めて行くんですが、ここの文章もすごいんですよ。
 「そこは見るからに新しい建物で、オートロックで、家賃はけっこうしそうだった」―。「けっこうしそうだった」って、なかなか書けないですよね(笑)。

千葉 アハハハハ! たしかに適当ですね(笑)。

保坂 これは千葉さんがさまざまな本を書かれてきて、読者からバカだと思われない自信があるから書けるんだと思うんですが(笑)、これから文章を書こうとする皆さんは、この自信は持ったほうがいいですよ。
 できるだけ普段通りの言葉を、どうやったら書けるのか。書き手それぞれ、「その人の小説」にするには、普段の言葉をどうやって入れられるかも大事になってくる。

千葉 『デッドライン』の前に、『アメリカ紀行』という散文集を出したのですが、アメリカに4カ月滞在していたときのツイートのアーカイブが元になっていて、それを再構成したものなんです。
 ちょっとした出来事をあまり推敲しないで書いて、どんどん出来事を書き連ねていくというノリですね。その延長線上に『デッドライン』はあります。『デッドライン』自体、当初は編集者との間で「散文プロジェクト」と呼んでいたくらいです。
 ブランショがカフカについて書いた『カフカからカフカへ』(邦訳は山邑久仁子訳、書肆心水)の中にある、カフカが書く「彼は窓から眺めていた」という一文はすでにカフカ自身を超えた決定的なものとしてある―という旨のくだりも印象に残っていました。出来事をただ端的に書く、という行為はこういうことなのだ、と。

保坂 カフカは出来事を立ち上げるセンテンスが…カフカに対して「天才的」「すばらしい」なんていうのも申し訳ないのだけど(笑)、とにかくすごい人なんですよね。
 カフカの『田舎の婚礼準備』という小説の導入も、ひたすら描写が続いていくんですよ。あれはフローベールの『感情教育』の真似だそうなんですが、僕もさらにカフカを真似て、『未明の闘争』の導入でスクランブル交差点を描きました。
 出来事というのは自分から離れているものですから、書き出すのは大変だけど、軌道に乗ると楽しいですよね。自分と離れたもので、何かが立ち上がっていく。

千葉 『デッドライン』で描いているゲイのセックスも、すごく刹那的で、ただふたつの身体があって、それらがすれ違っていきます。ただ淡々としていて、端的なこの感じも、全体の展開と呼応しているところがありますね。カフカのほかには、ベケットの『見ちがい言いちがい』などの、ブツブツと息の短い書き方も頭の中にありました。

保坂 『デッドライン』は、本当に文章が面白いんですよ。101ページで「K」の存在感が急にせり出してくるところがありますよね。「肉厚なヘッドフォンをかけ、眼球をまったく動かさずにパソコンの画面に見入っているKの肩をちょっと叩いた。そうしても反応しないのは、わざとだ」と。

千葉 たしかに、Kの身体描写が、ここで前に出てきますね。

保坂 あと、小説全体は「僕」の一人称で書かれているのに、「知子」のところで三人称になるところがあるんですよね。一般的に小説では、一人称と三人称を混在させるな、といわれますが…誰がいっているか知らないんだけど(笑)。

千葉 僕も、どうもあれはよくわからないんですよね。というのも僕はもともと美術をやりたかった人間なので、ビジュアル的、視覚的な思考が強いんですよ。
 映画でも、たとえばゴダールの映画のモンタージュは、意外な飛躍があっても視覚的なイメージというものはそれなりにつながっていきますよね。『デッドライン』で「知子」だけが一人称視点を飛び出してしまうのも、映画であれば別におかしくないわけです。
 僕は小説を書くという行為を、どれくらい純粋言語的な実践として考えなければならないのか―そのルールの厳密さというものが、正直よくわからないんですよね。

保坂 映画を見て理解できるのだったら、文章でやってもかまわないと思うんですよ。文章でやっちゃいけないといわれることが多すぎる。その枠を外していけば、今書いてる範囲の外にいる、まったく違うタイプの人が文章を書けるようになって出てくると思う。

デッドライン

千葉 雅也/著
2019/11/27

第2回につづく

(対談構成・宮田文久)

千葉雅也

ちば・まさや 1978年栃木県生まれ。東京大学教養学部卒業。東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻表象文化論コース博士課程修了。博士(学術)。立命館大学大学院先端総合学術研究科教授。著書に『動きすぎてはいけない―ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』『勉強の哲学―来たるべきバカのために』『意味がない無意味』『アメリカ紀行』など。『デッドライン』が初の小説作品となる。

保坂和志

保坂和志

ほさか・かずし 1956年、山梨県生まれ。鎌倉で育つ。早稲田大学政経学部卒業。1990年『プレーンソング』でデビュー。1993年『草の上の朝食』で野間文芸新人賞、1995年『この人の(いき)』で芥川賞、1997年『季節の記憶』で平林たい子文学賞、谷崎潤一郎賞、2013年『未明の闘争』で野間文芸賞、2018年、『ハレルヤ』所収の「こことよそ」で川端康成文学賞を受賞。その他の著作に『カンバセイション・ピース』『小説の自由』『あさつゆ通信』『猫の散歩道』ほか。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

千葉雅也

ちば・まさや 1978年栃木県生まれ。東京大学教養学部卒業。東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻表象文化論コース博士課程修了。博士(学術)。立命館大学大学院先端総合学術研究科教授。著書に『動きすぎてはいけない―ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』『勉強の哲学―来たるべきバカのために』『意味がない無意味』『アメリカ紀行』など。『デッドライン』が初の小説作品となる。

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保坂和志
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ほさか・かずし 1956年、山梨県生まれ。鎌倉で育つ。早稲田大学政経学部卒業。1990年『プレーンソング』でデビュー。1993年『草の上の朝食』で野間文芸新人賞、1995年『この人の(いき)』で芥川賞、1997年『季節の記憶』で平林たい子文学賞、谷崎潤一郎賞、2013年『未明の闘争』で野間文芸賞、2018年、『ハレルヤ』所収の「こことよそ」で川端康成文学賞を受賞。その他の著作に『カンバセイション・ピース』『小説の自由』『あさつゆ通信』『猫の散歩道』ほか。


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