2020年9月25日
前編 子育てほど、正解がわからないものはない
翻訳家・エッセイストの村井理子さんが、ご自身の夫・双子の息子・大型犬ハリーとの琵琶湖畔での暮らしを綴る「考える人」の連載「村井さんちの生活」は、掲載されるたびにSNSを中心に大きな共感の嵐を巻き起こしています。4年にわたって書いてきたエッセイが今夏単行本として発売されました。
刊行を記念して、2020年8月27日(木)に作家・宮下奈都さんとオンライントークイベントを開催。生配信チケットは事前に完売となった人気イベントの模様をここに掲載いたします。自分で切り開いた「書く」という仕事、家族との楽しい生活……初顔合わせながら、多くの共通点のあるお2人の弾むトークと、後編には事前に寄せられた質問へのお答えをお届けします。
村井 はじめまして……と言いつつ、数年前から宮下さんとはTwitterでやりとりをしているので、初対面の感じがしませんね。
宮下 そうですね、私もずいぶん前からよく知っているような気がします。
村井 私が最初に宮下さんの作品に触れたのは、2012年に新潮文庫から出た『遠くの声に耳を澄ませて』です。以来、ずっとご本は読んでいます。
宮下 ありがとうございます。私は『ゼロからトースターを作ってみた』(現在は『ゼロからトースターを作ってみた結果』と改題)で村井さんのお名前を知りました。この本も2012年に刊行されているので、お互い同じ時期に存在を知ったということですね。
村井 実は住んでいるところもそんなに遠くないんですよね。私の住む滋賀県は、宮下さんが住んでいらっしゃる福井県のお隣で、よく敦賀には遊びに行くんですよ。なので、お近くにいらっしゃるという印象があります。
宮下 そうなんです、近いですよね。Twitterでの村井さんの第一印象は「すごく面白い人がいる!」。今回の『村井さんちの生活』でも思わず笑ってしまうような箇所がたくさんあるのですが、泣けるところや「そんなに日々真面目に考えているのか」と驚かされるところもまぜこぜになって出てくるので、いったい村井さんはどういう方なのかまったくつかめないです。
育児はこの本の大きなテーマのひとつですが、真正面からきっちり取り組んでらっしゃる方だなと思います。
村井 私は宮下さんのエッセイを読むたびに、宮下さんのようにゆったりとおおらかに受け止めたいといつも思います。読んでいて「え? こんな場面でも焦らないんだ!?」と驚くこともありますし、私もそうありたいと憧れます。
宮下 そのスタンスはけっこう違うかもしれませんね。村井さんのなかでもとても寛容にお子さんに接しているときと、ガップリ向かい合っているときがある。
村井 自分でも大げさに心配してしまうところがあるな、深刻にとらえ過ぎだなと思います。
宮下 とはいえ、書かれるときはユーモアを忘れず、読み手が笑えるように書いてらっしゃるので、そこまで深刻に考えているようには思わないですよ。読みながら一緒に苦しくなるときもあるし、「わかる、わかる!」と共感するところがあります。
育児は「正解」がわからないですよね。
村井 育児ほど”教科書”がないものはないですよね。それぞれの家庭や子どもによってまったく答えが違う。子育ては実は孤独な闘いだと思わされる局面がたくさんあります。生きてきて、こんなに難しかったことはないなと思います。
とくに今うちの双子は中学2年生で、それこそ「漆黒の翼」状態で……(註・宮下さんのエッセイ『神さまたちの遊ぶ庭』で、宮下さんの次男が、作中に登場する自分の仮名を「漆黒の翼」にしてくれと頼んだ、いわゆる「中二病」的エピソードより)。たいへんだなあと思いながら、毎日過ごしています。
宮下 こう言うと無責任かもしれませんが、過ぎてしまうと美化されて「そんなにたいへんだったかなあ」って思ってしまうんですよね。
この本に収録されている「十年前の写真が教えてくれたこと」で、子どもたちはこの10年でずいぶん成長したと思っていたけど、自分が子育てに悩み迷っている気持ちは全然変わっていなかったと気づかされる場面がありましたが、とてもよくわかります。当時のことはすっかり忘れてしまっているんですよね。
村井 あまりに慌ただしすぎて、子どもが小さかった頃のことは忘れてしまいますよね。むしろ、よその家の子のことのほうがよく覚えています。Twitterでも「え? 宮下さんちのお子さんが大学生!?」って驚きますもん(笑)。
宮下 この本の「言ってくれればよかったのに」の項で、村井さんの次男くんが急にふさぎこみ、学業も振るわなくなってしまい、学校や発達相談センターに相談に行かれていましたね。そこで作業療法士の方から「ねえ、黒板、見えてる?」と聞かれて次男くんが「全然見えない」と答えるのを聞いて、村井さんが〈頭をガーン!と殴られたような衝撃を受けた〉というシーンは胸が痛みました。
自分が子どもからのサインを見落としてしまっていた、自分の落ち度で気づいてあげられなかったという局面は、子どもを育てている間、必ず何回かあるんです。でも、それも含めて、たくましく生きていくものじゃないかなとも思います。
もし親が私じゃなかったら、こまやかに気づいてあげられたのにと後悔することもありましたが、仕方のないことですよね。楽観的過ぎるかもしれませんが。
村井 点と点があとから線でつながる、というようなことが頻繁に起こりますね。しかも最後の「点」がとどめになる場合もあったり。後悔が多いのが育児ですね。
宮下 「いい親になりたい」の項で、買い物に連れてってと当時小学6年生の次男くんにしつこく頼まれてイライラしてしまった村井さんが、「そんなに行きたかったら、自分で勝手に行きなよ!」と爆発してしまい、本当にひとりで買い物に行ってしまうシーンも心に残ります。結局、村井さんはあとから目的地へ車で向かうのですが、その道すがら「最初から車で送ってやればよかった」と後悔するところも共感しました。どうすればよいのか正解がわからない。迎えに行ってあげるべきなのか、ほうっておくのが正解なのか。
村井 あの話は、あとから知り合いからもいろいろな反応をもらいました。電車に乗って行くくらい大丈夫でしょう? という人と、追いかけるに決まってるでしょ! という人と、人それぞれ。私は子どもに甘いかなという自覚はありますが、つい可哀想だと思ってしまう。
宮下 そうですよね。行かないでいる方がいたたまれないですよね。
村井 その後、怒りがどうしようもなく抑えきれなくなりそうなときに、「次男が何をしても許す情景」として、そのときの次男がひとりで買い物に向かっている後ろ姿を心の中に留めておいて、日々の生活のなかで繰り返し思い出すようにしています。長男にも夫にもそれぞれ、そういう「情景」を記憶してあります。私は怒りが激しいので、そうやって鎮めるようにしています(笑)。
宮下 それはすごく具体的でいい方法ですね。私はそもそもあまり後悔しないタイプなんですが、それでもひとつ忘れられない情景があります。
3人の子どもたちが小学生だった時に、家族で定食屋さんに入ったんです。私が頼んだ唐揚げ定食を見て、子どもの1人が無邪気に「唐揚げ1つちょうだい」って言ったんですが、唐揚げは4つしかなかった。1人にあげると他の2人にもあげざるを得ないですよね。そうすると私の食べる分が1つしかなくなってしまうので、迷った末「ごめんね、唐揚げはあげない」って言ったんです。子どもはまさか断られると思っていなかったみたいで、本当にビックリした顔をしていました(笑)。いま思えば「なんで唐揚げぐらいあげなかったんだろう」って……それがどうしても忘れられません。その子は今、一人暮らしをしているので「ちゃんと毎日食べてるかなあ」とたまに思い出します。
村井 宮下さんにとっての「情景」はその唐揚げなんですね。そういう「情景」を心に持っておくといいかもしれません。
宮下 そういえば、村井さんはご自身の夫についてはあまり書かれていませんね。Twitterなどでは今は「妖精」って呼んでらっしゃいますが……?
村井 うちの夫はだいぶ行動パターンが変わっているので、彼は「妖精」だと思わないと怒りが募って治まらないんです(笑)。ちなみに職場では「犬人間」って呼ばれています。犬が好きすぎるので。
夫と長男はアウトドア派で、共通の趣味が筋トレ。毎晩琵琶湖畔をランニングしています。インドア派の私と次男はその間、毎晩インターネットを見ています(笑)。同じように育てた双子なのに、性格が正反対なんですよね。
宮下 うちの3人の子どもも性格や好きなことはバラバラで、何もかも違います。持って生まれたものだと思うので、親にできることは限られていると改めて思います。
村井 そのとおりですよね。長男はなんでも食べるけど、次男はものすごい偏食。これは母親の料理がうんぬんとか一切関係ありませんね。
宮下 関係ない、絶対関係ない!
村井 親ができることは寝床を用意することくらいです。
宮下 それをもっと早い時期に知っておけば気楽だったなあ……。
村井 最初の子育ては気合を入れて向き合ってしまいますからね。
(後編につづく)
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村井理子『村井さんちの生活』
2020/8/27発売
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村井理子
むらい・りこ 翻訳家。訳書に『ブッシュ妄言録』『ヘンテコピープル USA』『ローラ・ブッシュ自伝』『ゼロからトースターを作ってみた結果』『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』『子どもが生まれても夫を憎まずにすむ方法』『人間をお休みしてヤギになってみた結果』『サカナ・レッスン』『エデュケーション』『家がぐちゃぐちゃでいつも余裕がないあなたでも片づく方法』など。著書に『犬がいるから』『村井さんちの生活』『兄の終い』『全員悪人』『家族』『更年期障害だと思ってたら重病だった話』『本を読んだら散歩に行こう』『いらねえけどありがとう』『義父母の介護』など。『村井さんちのぎゅうぎゅう焼き』で、「ぎゅうぎゅう焼き」ブームを巻き起こす。ファーストレディ研究家でもある。
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宮下奈都
みやした・なつ 1967年福井県生まれ。上智大学文学部哲学科卒。2004年、「静かな雨」が文學界新人賞佳作に入選。著書に『スコーレNo.4』『遠くの声に耳を澄ませて』『よろこびの歌』『太陽のパスタ、豆のスープ』『田舎の紳士服店のモデルの妻』『誰かが足りない』など。『羊と鋼の森』で2016年本屋大賞を受賞。
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
著者プロフィール
- 村井理子
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むらい・りこ 翻訳家。訳書に『ブッシュ妄言録』『ヘンテコピープル USA』『ローラ・ブッシュ自伝』『ゼロからトースターを作ってみた結果』『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』『子どもが生まれても夫を憎まずにすむ方法』『人間をお休みしてヤギになってみた結果』『サカナ・レッスン』『エデュケーション』『家がぐちゃぐちゃでいつも余裕がないあなたでも片づく方法』など。著書に『犬がいるから』『村井さんちの生活』『兄の終い』『全員悪人』『家族』『更年期障害だと思ってたら重病だった話』『本を読んだら散歩に行こう』『いらねえけどありがとう』『義父母の介護』など。『村井さんちのぎゅうぎゅう焼き』で、「ぎゅうぎゅう焼き」ブームを巻き起こす。ファーストレディ研究家でもある。
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著者の本
- 宮下奈都
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みやした・なつ 1967年福井県生まれ。上智大学文学部哲学科卒。2004年、「静かな雨」が文學界新人賞佳作に入選。著書に『スコーレNo.4』『遠くの声に耳を澄ませて』『よろこびの歌』『太陽のパスタ、豆のスープ』『田舎の紳士服店のモデルの妻』『誰かが足りない』など。『羊と鋼の森』で2016年本屋大賞を受賞。
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