2023年5月31日
前篇 AIは「ジェスチャーゲーム」を知らない
「言語はジェスチャーゲーム(言葉当て遊び)のようなものだ」という画期的な見方を提示して話題になっている『言語はこうして生まれる』(モーテン・H・クリスチャンセン、ニック・チェイター著)。
本書にいち早く反応したのが辺境ノンフィクション作家の高野秀行氏だ。世界の辺境を訪れて25以上の言語を実践的に習得してきた経験を『語学の天才まで1億光年』として昨年上梓した高野氏は、自らの言語観が本書と非常に近かったことに驚いたという。
そんな高野氏の言語習得にかねてから注目していたのが慶應義塾大学SFC教授の今井むつみ氏。本書の原著者とはお互いの研究に刺激を受けてきた仲で、共通するテーマに取り組んだ『言語の本質』を最近出版した(秋田喜美との共著、中公新書)。
この度、高野氏と今井氏の対談が実現。3冊の本を題材に、言語について縦横に語り合った。
高野 今井先生は、著者のモーテンさんをよくご存知だそうですね。
今井 友達とまでは言いませんが、すいぶん長い付き合いです。同じ分野の研究者なので、学会に行けば会うし、シンポジウムにいっしょに呼ばれて二人で講演をしたこともあります。
高野 それと、今井先生のプロフィールを見て驚いたのですが、先生は心理学者なんですね。ずっと言語学者だと思ってました。
今井 そうなんですよ。皆さんに、よく間違えられるのですが。
高野 この本の著者も心理学者ですか。
今井 彼らも心理学者で認知科学者です。だから普通の言語学者とは視点が全然違いますよね。統計的な観点から言語を見て、実験もする。すごく有名で、いい仕事をしている人たちです。
高野 僕はこの本を読んで、自分がこれまで「言語とはこういうものじゃないか」と考えてきたことに、すごく近いと思ったんです。僕は「ブリコラージュ※1」と言ってますけど、コミュニケーションは協同作業なのだから、正しさにこだわる必要はなく、その場にあるものを使っていかに相手に意図を伝えるかが重要で、むしろそれこそが言語にとって本質的なものなんじゃないかと感じてきたんです。自分の言語の学習方法がまさにそうで、体系的には全く覚えず、たまたま触れたものから順番に覚えていく。
※1 その場で手に入るものを使って、当面の用を足すための物を作ること。フランスの文化人類学者クロード・レヴィ=ストロースが使ったことで広まった。
今井 彼らの主張は、「言語はその場の必要を満たすために即興で生まれるジェスチャーゲームのようなものだ」ということですから、高野さんと本当に一緒ですよね。一回一回のコミュニケーションの結果として文法などの体系が生まれるのであって、先に文法があるわけではない。だから彼らは本書の中で、チョムスキー批判といいますか、「理想的な言語というのは幻想だ」ということをずっと言っていますよね。
高野 そうですね。
今井 私がこの本で「そうだ!」と膝を打ちながら読んだのは、言語は人間が作ったものだから、人間がうまく使えるように、人間が一番習得しやすいように進化したものなんだ、というところです。人間には情報処理の制約とか、習得の制約とか、推論の制約とか、記憶の制約とか、いろいろな制約がある。そういうものがあってできたものが言語なんです。私もほぼ同じことを新刊『言語の本質』で書いているので、そこは本当に共感というか、読んでて嬉しくなりました。
高野 そういう言語理解と比べると、チョムスキーの「生成文法」というのは、エンジニアリングの考え方に見えます。完成図というか設計図があって、言語はそれに沿って動いていくというものという見方です。
今井 エンジニアリングというより数学ですね。チョムスキーは数学者なので、数学的に美しいものを作りたい。
高野 そういう考え方って、学校で語学の授業を受けてると、すごく理解しやすいと思うんですよ。まず文法から説明されるから。
今井 ああ。
高野 でも、僕みたいに全くそこから外れてやってると、だんだんそれに馴染まなくなってきて、「いや、そんなものじゃないんじゃないかな」っていう気がしてくるんです。
今井 そうですよね。私もこの本のチョムスキー批判には、「その通り」って、すごい喝采を送りました(笑)。でも言語学者にはチョムスキー好きな人がすごく多いんですよね。私は世の中の人は、チョムスキー好きな人とチョムスキー嫌いな人で半分に分かれるんじゃないかと思うくらいです。それでその人の信条とか考えとか分かるんじゃない?って。チョムスキー好きな人は、多分、綺麗な一つの正解を求めたい人。アンチ・チョムスキーは、正解なんか面白くないと思ってる人。
高野 なるほど。でも生成文法に出てくるあの二股に分かれていく図はわかりやすいし、それはそうだなって思うんですけども。
今井 あのツリーは、やってると楽しいんです。私も大学院のときに生成文法の授業で、ツリーを書くのが上手くて、クラスで一番でした。課題とか出されると、チョムスキー理論に則った分析を理路整然と書いて、いつも褒められてたんだけど、全然腑に落ちなかったですね。綺麗なツリーを書きながら、「こんなのは嘘だろう?」ってずっと思ってた(笑)。
高野 この本でも、DNAに言語を使う遺伝子が組み込まれてるんだったら、現在ある7000の言語なんて必要なくて、みんな同じ一つの言語でいいじゃないかという、すごいストレートな批判が書かれてて、けっこうおかしいですよね(笑)。
生きた知識は「記号接地」している
今井 私は高野さんの『語学の天才まで1億光年』も何度も膝を打ちながら読ませていただきました。私にはこんなアドベンチャーはとてもできないけど、すごく面白いと思いました。
高野 僕は言語を研究しに行ってるわけでも、習いに行ってるわけでもなくて、本当にかじってるだけです。
今井 でも、使いに行ってるんですよね。それが本当の言語の学習の目的であるべきです。
高野 それはそうですね。
今井 書いてあることに、いちいち納得できました。私は心理学者として、言語のあるべき姿の記述ではなく、言語が子ども個人の中でどのように習得されるか、歴史的にどのように進化・成長してきたのかに興味があります。言語の習得に限らず、「学び」全般についても研究しています。人はどうやって学んで達人になっていくのかとか、どういう知識がすぐ使える知識になるかとか。それを「生きた知識」と私は言ってるんですけど、高野さんがされているのはまさにそれなんです。
高野 少ないリソースで、いかにやりくりするかというのをやってきただけですけどね。
今井 本の中でも「それに、先生や教科書が教えてくれた文法事項はなかなか覚えないが、自分で発見したことは絶対忘れない」って、これって本当に「黄金の言葉」ですよ。
高野 黄金の(笑)。
今井 私はまさにこれを、全国の先生たちとか教育委員会の人に講演で言ってるんです。
高野 でも、言われても困るんじゃないですか。じゃあどうすればいいんだって。
今井 それは自分で考える。高野さんだって自分で考えてるから、生きた知識になるんです。
高野 そういえば僕もよく「語学習得のコツって何ですか」って聞かれるんです。「自分で考えろ」というのが答えなんですけども、そうするとみんなガッカリするし、そこで終わってしまう。
今井 学校の先生って「答えを教えてほしい」というマインドがすごく強いんです。でも、そういう人に教わると、子どももそういうふうに育つじゃないですか。先に答えだけ教えて、みたいな考え方だと、聞いて5分後には忘れてますよね。
高野 そうですよね。そういえば、この本で僕が最初にオッと思ったのは、人間の記憶力ってあまりにも儚いという話です。
今井 「いまだけボトルネック」ですね。
高野 音や視覚入力に対する感覚記憶は10分の1秒も持続しない。だから次々と入ってくる情報を何とかして処理しなければいけない。そうした人間の制約に合うように言語は進化した、と書かれていましたよね。だとすると、人間の言語とコンピュータというのは、根本的に違うんだってことですよね。コンピュータは、忘れたりしないじゃないですか。
今井 はい。
高野 だから、シンギュラリティなんていうものも起きないだろうし、コンピュータが意識を持ったりというのも、ないと思うんですよね。
今井 ないでしょうね。私は今の時代に一番大事な言葉として「記号接地」というのがあると思っています。もともとはAIの問題として考えられたもので、記号を記号で表現するだけでは、言葉の意味を理解することはできないのではないか。理解するためには身体的な経験が必要なのではないか、ということです。モーテンたちは本書の最後の方でAIについて論じていて、結局AIというのはジェスチャーゲームをしていない、する気もないし、そもそもプレーのし方を知らないということを書いています。記号接地という言葉は使ってないんだけど、これはコンセプトとしては記号接地のことを言っているんですよね。
高野 記号接地というのは、リアルに感じられているということなんですか。
今井 私の定義では、身体の一部として感じられるという感じです。必ずしも全部について身体的な経験がなくてもいいんですけど、身体的な経験から始まって、そこから自分で推論して輪を広げていく。その輪というかチェーンによって作られたものは身体化されるんじゃないかと。高野さんの書かれていることは、すごく記号接地しているなと思った。
高野 そういう意味では、記号接地したことしか書いてないですから(笑)。いわゆる一般論とかそういう話が苦手なんです。考えれば考えるほど、いろんな要素が入ってきて、分からなくなっていく。そういう抽象的な話を「空中戦」と言う人もいますから、やはり接地してないイメージなんですね。
今井 ええ。とはいえ、私たちは全てを経験できるわけではないので、全てを接地できるわけではないんです。でも、どこかは接地していないといけない。ほかの人が発見したものや、書かれたものを読んで覚えただけだと、決して接地しないですね。
「エブエブ」問題
高野 言葉って、決まったフレーズとか文章だけじゃなくて、どういう文脈で話されているのかが、決定的に重要じゃないですか。
今井 そうですよね。
高野 逆に言うと、意味なんか分からなくても、こういう場面だったらこう言えばいいっていうものがたくさんあって、そういうものから成り立っている。
今井 そうですね。子どもも最初そういうふうにして言葉を覚えます。だからけっこうな頻度で間違えるんですが、高野さんが書かれているように、間違ったら修正していけばいい。そのほうがずっといいと思うのですが、やっぱり多くの大人の学習者、特に日本人は正解を求めるところがあります。
高野 そうですね。
今井 ただ一つの一番良い言い方とか文とか、そういうものがあるという幻想を持ってる人が多い。
高野 英語にしても、日本語と一対一の関係にないわけですよね。例えば日本語で「聞く」と言ったら、askの意味もあるし、listenの意味もあるし、hearの意味もある。だけども、askというと「質問する」とか、そういうふうにどうしても覚えたくなっちゃうんですよね。でも、実際はもうね、いろんな意味があって。
今井 そうそう。多義は本当に難しいですね。暮らさないと分からないですよね。
高野 言語学で「ガヴァガイ問題」ってありますよね。
今井 はい。知らない言語を話す土地にいって、現地の人がウサギを指して「ガヴァガイ」と言った場合、それは「ウサギ」を指しているのか、それとも「動物」を指しているのか、「ウサギの色」を指しているのか、「走っている」という動作を示しているのかは判断できないという話です。
高野 僕はそういうことをよくやってるなと思うんです。ソマリランドに行ったときに、家族と一緒にレストランに行ったんです。そのとき子ども連れがいて、その子は小っちゃくて2、3歳なんだけど、すごいやんちゃで暴れるんです。スプーンでお皿をガチャガチャ叩いたり、投げたりとかね。すると、お母さんが、「エブエブ!」って言うんです。まあ、想像はできるわけですよ。「やめなさい」と言ってんのか、「ダメだよ」と言ってんのか……
今井 「うるさい」とか?
高野 「みっともないでしょ」とかね。でも、どれか分かんないわけですよね。で、お母さんがトイレに行ってしまっても、その子は暴れてるわけです。僕は近くにいたから、「エブエブ!」と言って注意するわけですよね。すると、まあOKなわけですよ。
今井 OK?(笑)
高野 言われても子どもは絶対やめないですから、要するに子どもに対して言ってるんじゃなくて、ほかのお客さんに対して言ってるわけですね。日本でもそうじゃないですか。「やめなさい。ほら、うるさいでしょ?」とか言うのは、子どもに言ってるというよりは、周りの人たちに言ってるわけですよね。だから、僕は「ほら、ちゃんと注意してますよ」ってことを皆さんに訴えてるんで、コミュニケーションとしてはちゃんと役立ってたと思うんです。
今井 ああ(笑)。
高野 で、「エブ」って言葉を記憶しますよね。僕は最初「やめろ」って意味なのかなって思ってて、他の場面で使ってみたら、すごい変な顔されたんです。「なんで、なんでそんなこと言うんだ」みたいな感じで、ちょっと怒られたんですけども。じつは「恥(はじ)」って意味だったんです。
今井 ああ、そうなんだ。へぇー。
高野 でも、そうやって使うことによって、「エブ」は「恥」という意味だっていうことがそこで分かるわけですよね。だから、とりあえず「エブ」はそういう子どもを注意する言葉として記憶して、それに近いようなシチュエーションで使ってみるんですね。で、合ってればいいし、違ってれば正されて、ああ、そういうことなのかって分かるという。「ガヴァガイ」という言葉を聞くたびに、それを思い出すんですよね。
今井 そうですね。それこそが正しい学習法です。母語の学習でも外国語の学習でも、ガヴァガイ問題だらけなので。
-
『言語はこうして生まれる: 「即興する脳」とジェスチャーゲーム』
モーテン・H・クリスチャンセン/著、ニック・チェイター/著、塩原通緒/訳
2022/11/24発売
公式HPはこちら
(後篇につづく)
-
今井むつみ
1989年慶應義塾大学大学院博士課程単位取得退学。94 年ノースウェスタン大学心理学部Ph.D.取得。専門は認知科学、言語心理学、発達心理学。著書に『ことばと思考』(岩波新書)、『学びとは何か』(岩波新書)、『ことばの発達の謎を解く』(ちくまプリマー新書)、『英語独習法』(岩波新書)など。共著『言葉をおぼえるしくみ』(ちくま学芸文庫)、『算数文章題が解けない子どもたち』(岩波書店)、『言語の本質』(中公新書)などがある。
-
高野秀行
1966年東京都生まれ。早稲田大学探検部在籍時に執筆した『幻獣ムベンベを追え』でデビュー。辺境探検をテーマにしたノンフィクションを中心に『西南シルクロードは密林に消える』『ミャンマーの柳生一族』『アヘン王国潜入記』『謎のアジア納豆 そして帰ってきた〈日本納豆〉』『幻のアフリカ納豆を追え! そして現れた〈サピエンス納豆〉』など著書多数。『謎の独立国家ソマリランド』で第35回講談社ノンフィクション賞、第3回梅棹忠夫・山と探検文学賞受賞。
この記事をシェアする
ランキング
MAIL MAGAZINE
とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
著者プロフィール
- 今井むつみ
-
1989年慶應義塾大学大学院博士課程単位取得退学。94 年ノースウェスタン大学心理学部Ph.D.取得。専門は認知科学、言語心理学、発達心理学。著書に『ことばと思考』(岩波新書)、『学びとは何か』(岩波新書)、『ことばの発達の謎を解く』(ちくまプリマー新書)、『英語独習法』(岩波新書)など。共著『言葉をおぼえるしくみ』(ちくま学芸文庫)、『算数文章題が解けない子どもたち』(岩波書店)、『言語の本質』(中公新書)などがある。
対談・インタビュー一覧
- 高野秀行
-
1966年東京都生まれ。早稲田大学探検部在籍時に執筆した『幻獣ムベンベを追え』でデビュー。辺境探検をテーマにしたノンフィクションを中心に『西南シルクロードは密林に消える』『ミャンマーの柳生一族』『アヘン王国潜入記』『謎のアジア納豆 そして帰ってきた〈日本納豆〉』『幻のアフリカ納豆を追え! そして現れた〈サピエンス納豆〉』など著書多数。『謎の独立国家ソマリランド』で第35回講談社ノンフィクション賞、第3回梅棹忠夫・山と探検文学賞受賞。
連載一覧
対談・インタビュー一覧
著者の本
ランキング
ABJマークは、この電子書店・電子書籍配信サービスが、著作権者からコンテンツ使用許諾を得た正規版配信サービスであることを示す登録商標(登録番号第6091713号)です。ABJマークを掲示しているサービスの一覧はこちら