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村井さんちの生活

2016年4月18日 村井さんちの生活

私の人生って?

著者: 村井理子

ある時は『ゼロからトースターを作ってみた結果』などの翻訳者として、ある時は大ブームになった「ぎゅうぎゅう焼き」の考案者、ある時はやんちゃな双子男児の母として、さまざまな顔をもつ村井理子さん。琵琶湖のほとりで暮らしながら考える、日々のこと。

 琵琶湖西部は春を迎えたはずなのに、朝晩はストーブが必要なほど冷え込みが強い。比良山系の頂に残る雪を巻き込むようにして、突風が吹き荒れるからだ。この強い季節風は、この辺りでは比良八荒(ひらはっこう)と呼ばれていて、春の風物詩でもある。この風が吹き始めると、長かった冬がようやく終わりを告げるとされる。今年もこの季節風はきっちりと吹いて、わが家の洗濯物を竿ごと吹き飛ばした。

 この地に越してきて十年、最初はこの台風並みの強風に面食らったものだった。庭木をなぎ倒され、停電した暗い部屋でじっと耐えなければならないほどの風が吹くなんて、京都の街中で気ままな暮らしを楽しんでいた私には想像もつかなかったことだ。それでも、この地の厳しい気候も、相反するように穏やかなこの地の人々の気質も、今となっては大好きになった。

近所にあるカフェのテラス席。空も大地も、とにかく広い。

 私の肩書きは、一応、翻訳家だ。主に書籍の翻訳をしている。ジャンルでいえば、ノンフィクションが多い。そのノンフィクションの中でも一風変わった本との出会いが多いように思う。キャラクターが強く、訳しにくそうな本であればあるほど、原書が手元に届いた時の喜びは大きい。つまり、やっかいな本が好きなのだ。難しい、ワケがわからない!と、訳しながら七転八倒の苦しみを味わうというのに、翻訳の楽しさから離れることはできない。翻訳をしていれば、悲しいことも辛いことも忘れてしまう。すべての作業が終わり、訳書が書店に並ぶ時の喜びは、簡単には表現できない。

 しかし、いわゆるフリーランスという立場では、明日はどうなるかなんて一切わからない。どうやって次の仕事につなげていくか、日々悩ましいことばかりである。書籍の翻訳の仕事は、ひっきりなしにやって来るわけではないし(そういう方もいらっしゃるでしょうが)、「この本は私が訳します!」と立候補して訳せるわけでもない。そのうえ、私は決して売れっ子でもなく、突出した技術があるわけでもない平凡な翻訳家だ。きっと「村井さんって、結局何をしてた人だっけ?」と言われるのが関の山だろうなと、自虐的な気持ちにもなる。私は翻訳家として、何か成し遂げることができるのだろうか。最近考えるのはそんなことばかりだ。

 「肩書きは、一応、翻訳家だ」と書いた理由はその他にもいろいろあって、最近はありがたいことに翻訳以外の仕事が増え、こうやってWeb媒体や月刊誌などに原稿を書くこともあれば、平日の数時間を使って桶屋で働いてもいる。桶屋と書くと驚かれるかもしれないが、実際に、「風が吹けば桶屋が儲かる」の、あの桶屋だ。古くから日本で使われてきた木の桶を作る工房で、様々な作業を手伝っている。ナタや(かんな)を使った作業もあれば、日本の伝統工芸を学ぶ外国人の案内をすることもある。なぜまた桶屋で働くことになったのか、それには長い話がありまして…。

 実は、私にはもうひとつの仕事がある。母業だ。食べ盛り、遊び盛り、生意気盛りの9歳の双子の息子達を育てている。いや、育てているのだろうか。育児というか、これは修行なのではないだろうか。これを乗り越えれば何かを悟ることができるのだろうか。いや、日々、悟りの境地から遠ざかっているように思えるのだけれど、気のせいだろうか。

 なにせ、口を開けばラーメンだのポテチだの、暑いだの寒いだのとうるさいのだ。特に次男は弁が立ち、ああ言えばこう言うから生意気で腹が立つ。その口からスラスラと出る、私に対する辛辣な言葉の数々を聞くにつけ、まるでもう一人の自分に対峙しているような気持ちになる。長男は大人しいタイプだが、根っからのコスプレ好きで髪を金髪に染めたいと言い続け、根負けした私は先日金髪のカツラを購入した。将来が大変心配だ。

 子供というのは本当にややこしい生き物で、成長したからと気を抜けば必ず何かやらかすし、しっかりと見守れば窮屈だと文句を言う。かわいいけれど、かわいくない。離れたいけれど、なかなか離れることはできない。もしいなくなってしまえば、たぶん私自身もどこかへ消えてなくなるだろうと容易に想像できる。それほど自分にとっては大きな存在だけに、苦労と悩みは尽きない。とにかく、なんとか彼らにつきあって、頭の中にあるカレンダーに毎日ひとつずつバツをつけるようにして、一日一日をやり過ごしている。

 気づけば、父が死んだ年齢に近づきつつある。母は二年前に他界した。五つ年上の兄は、肥満と糖尿病と高血圧が原因の心筋梗塞というロイヤルストレートフラッシュを決めて、先日、入院、手術をした。私自身も、もう決して若くはない。人生の折り返し地点を過ぎていることは明らかで、さて、後半戦をどのように戦うか、日々問われているのだと自覚している。じわじわと何かに追い立てられているような気分を味わいながら、改めて私は、私の人生を、仕事を見つめなおそうと思っている。でも、私の人生ってなに? 私の仕事って一体なんだったっけ…?

 こんな調子で、道に迷いつつある私の日々の生活について、これから書かせてもらおうと思っています。どうぞしばらくの間、おつきあい下さい。

放し飼いのヤギ。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥


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