義務教育期間中は、あだ名というものは、人気者にはおおっぴらにつき、嫌われ者には陰口としてつき、中間層には特にはつかぬものである。中間層につくあだ名は、あだ名というより姓名をもとにした略称や愛称であるのに対し、人気者や嫌われ者には姓名とは独立した由来を持つあだ名がつくことが多い。僕は義務教育期間中、飛び抜けて人気者だったり嫌われ者だったりした覚えはないが、あだ名がついていた。それも、中間層につく、姓名をもとにした略称よりは少し凝ったものだった。実はそのころのあだ名はどちらかというと暗い思い出と結びついており、あまり公に語ることはなかった。しかし今や還暦も近い。何も恥ずかしいものも、怖いものもない。あるとすれば、7歳の娘が僕をどう思うかくらいである。

 小学3年生から6年生までのあだ名は「おじいさん」であった。同じ清掃班(帰りの掃除を一緒にやる班)に入っていた、当時もっとも発育していた女子SSが突然僕の顔を見て言った。「おじいさんみたい」。僕はSSを憎からず思っていたので(好意を持っていたという意味だ)、たいへん衝撃を受けた。「俺、おじいさんみたいなのかよ?」。それまで鏡をじっくり見たことはなかったが、その日は隠れるようにトイレ(というより便所だな、あれは。だって外に建っていたぼっとん便所だよ)に手鏡を持ち込み、どこが「おじいさん」なのか観察した。母や叔母に、「目が細い」というのはよく言われたことだが、よく見るとやっぱり目は細い。そのほか、おでこにしわがある。うち何本かは、5歳のとき車に轢かれてできた傷なので、本格的に深く刻まれている。うーむ、確かにおじいさんかも知れぬ。

 時あたかも、学校では音楽の時間に「大きな古時計」の歌を練習していた。「おおきなのっぽの古時計、おじいさんの時計」と、数年前平井堅がカバーした歌である。歌としては大好きなのだが、SSが僕をおじいさんと呼び始めてから、この歌になるたびにみんながこっちを見る。中には吹き出してしまう女子もいた。YA、君のことだよ。YAのことも憎からず思っていた気の多い僕は、SSを恨みつつ、おじいさんというあだ名を得て、なんとなく人気者になったような気もしていた。こうして僕の小学校後半はおじいさん時代であったのだ。まあ、高学年になると僕をおじいさんと呼ぶのはSSくらいになったのだが。

 中学に入り、頼むからみんな俺のことおじいさんと呼ぶなよ、とびくびくしながら登校した。英語の授業が始まった。担当のNT先生は、授業の最初に生徒全員に先生自身が覚えやすいあだ名を勝手につけるのが習わしであった。僕の番になった。「うん、おまえは岡ノ谷か。じゃ、市蔵だな」。頼むよ、今度は市蔵かよ。市蔵って言えば、宮沢賢治の「よだかの星」でよだかがつけられるあだ名じゃないか。しかしながら由来はそうではなかった。当時、市議会議員選挙が行われており、僕の親戚であった「岡ノ谷市蔵」氏が立候補していた。巷では「岡ノ谷市蔵」の名前が連呼されており、「よだかの星」を読んだ同級生はいなそうであった。市蔵とはじじくさい名前であるが、まあおじいさんよりはがまんできる。そう思いながら日々を過ごした。自転車通学のMKさんが徒歩通学の僕を抜きざまに「おはよう!市蔵」とかわいい声で呼んでくれた。MKさんは水泳部で真っ黒に日焼けした健康的な女子で、もちろん僕は彼女を憎からず思っていたので、このあだ名も悪くないなと受け入れることにした。

 市蔵で落ち着きそうなあだ名だったが、今度は国語教師のBT先生が口を出してきた。休み時間、MKさんその他女子数名に「市蔵、市蔵」とかわいがられていた僕を見て、BT先生は言った。「こいつは市蔵じゃないだろう、おかぽんだ」。BTは僕の父とも親しく、僕の実家が「有限会社岡ノ谷ポンプ工業」という名前で水道工事業を営んでいるのを知っていた。「岡ノ谷ポンプだから、おかぽんだ」。BTはにやにや笑いながら通り過ぎて行った。この国語教師BTはまたの名を漢字親父という。毎週漢字テストを行い、間違った漢字は50回ずつ書いてこなければならない。漢字テストとはいっても、「濁流にも負けぬ愛と誠の力」(走れメロス)など、文章で出題するので、濁流の濁が書けないだけでその他も50回書かねばならぬ。さらに、翌週までにこの宿題を済まさぬと50回は100回、100回は200回となり、際限なく債務が増える。おかげでこのころから僕は、深夜放送を聞くようになり、サブカル少年になった。もちろんそれだけではなく、漢字もちゃんと書けるようになったことは、BT先生に感謝している。

 おかぽんというあだ名はそれほどいやではなかったが、中学2年になって新展開が起きた。僕の友人でたたみ屋の倅、IIというのがいる。IIは、「逆さ語」と称して、発話を文節単位で区切り、逆転しながら実時間でしゃべるという途方もない芸当を持っていた。「おはよう!市蔵」は、「うよはお、うぞちい」である。僕はこの芸当に感銘を受け、弟子入りし、何人かで逆さ語クラブを作った。掃除をさぼって職員室に呼ばれたときも、僕とIIは逆さ語でしゃべり続け、「ちゃんと日本語しゃべれこのやろー」と教師に平手打ちを食らったものである。

 この逆さ語は、僕たちの友情を強めたが、同時に僕がなぜ「おかぽん」というあだ名を暗い思い出として語るのかにもつながる。「おかぽん」を逆さにすると「んぽかお」になる。日本語は「ん」で始まりにくいので、そのうち「んぽかお」の前に、ある文字をつける奴が現れた。TIである。遅刻してきて、教師に「なぜ遅刻した」と問われ、「ゆっくり歩いてきたからです」と答える猛者で、無頼な態度と甘いマスクで女子に人気があった。このTIが僕のことを「○んぽかお」と呼び始めたものだから、一部の女子は僕の性的能力に問題があるのではと噂を始めた。僕が憎からず、どころか寝ても覚めても想い続けていたHMは、ある友人から、「あの人と結婚しても子供ができないんだよ」と言われて僕と交際するのをあきらめたそうだ(と、後年同窓会で聞いた)。僕は「○んぽかお」は無視し、「おかぽん」にのみ答えるという方略で中学時代を乗り切り、同じ高校に進学する数名には、お願いだからあのあだ名は封印してくれと頼み、このあだ名を葬ることに成功したのであった。

 あれから40年。僕も今は、躊躇なく「おかぽん先生」を名乗ることができる。例の封印したあだ名が間違っていたことは、娘と息子が証明してくれている。

(題字・バナーイラスト 須山奈津希)