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おかぽん先生青春記

 ようやく大学に入り、念願の動物心理学を学ぼうと思っていた俺だが、人生にはもっといろいろ楽しそうなことがあるのであった。桜の花びらが散る中、俺はクラシカルギタークラブを目指してぐんぐん歩き、ためらわず入部したのである。ギター部には同期の女の子は3人しか入らなかったのだが、上の学年に美しい先輩がずらりとおり、当時は年上好きだった俺にとって、これ以上の環境はないと思われた。

 俺は親父とお袋の長男として生まれたが、親父の3人の妹たちがまだ中高生だったので、彼女たちのいいおもちゃとして育ったのだ。前にも言ったとおり、俺が子どもだった頃の俺の家には最大で11名の人間が住んでおり、もみくちゃになっていた。中でも親父の妹たちというのは要するに俺にとって叔母さんな訳だが、叔母さんたちの寵愛を一身に受けて育った俺は、長じてシスターコンプレックスの大学生となっていたのである。

 慶應義塾大学(以下、慶大)というのは教養部が東横線の日吉にある。神奈川県である。ギター部の練習は毎週土曜で、月に3回は日吉、月に1回だけ港区の三田、慶大の本場であった。俺はギターはそれなりに弾けたのだが、メトロノームに合わせてリズムを取るのが苦手で、先輩たちから「曲は上手いが基礎練の下手な奴」と言われた。基礎練とはもちろん基礎練習のことで、メトロノームに合わせて音階を弾いたりアルペジオを弾いたりするのだ。リズムが取れなければ合奏が出来ないから、そりゃ困るのである。ギター部には1年生ながら速弾きが得意な奴がおり、メトロノーム1回に4つの音を入れ、これで音階を弾く。毎分100回に4音、計算するとつまり1秒に約7回の音を入れるのだが、そのくらいまで俺はついて行けた。しかし、これからが大変で、すごい奴は毎分144回に4音、つまり1秒に10回もの音を入れることができるのであった。こういう点で、ギター部には体育会的な要素もあった。

 ギター部の新入生歓迎合宿はその体育会らしさが最も現れていた。新歓合宿には、ギター部でありながら、ギターは持ち込まない。宴会のための合宿である。新入生はまず、芸を披露せねばならない。ここでそれなりのものを見せておかないと、「つまらない奴」という評価を得てしまう。

 俺は新入生合奏団のパートリーダー及び指揮者に任命された4人で以下の計画を練った。新入生全員を3部に分け、「静かな湖畔」を輪唱させる。これに合わせて、パートリーダー3名(残念ながら全員男子だ)は、全裸になり、バスタオルだけで体を隠す。「静かな湖畔」の輪唱の中、俺たちは指揮者の指揮のもと、体をくねらせながら登場する。バスタオル3人そろったところで、バスタオルを腰まで落とし、危うくキャッチする。今で言うと、「アキラ100%」みたいなもんだな。大切なのはバックコーラスが真面目な顔をし続けること、バスタオルを落としすぎないことである。バスタオルのキャッチに失敗した場合どうするのかという懸念もあったが、まあそれはそれで良いだろうということになった。俺たちは幸いこれに成功し、先輩たちは「今年の1年はなかなかやるな」という評価を得た。

 その後、新入生は先輩から酒の洗礼を受ける。合宿では「つぶれ部屋」というのが用意されており、酔いつぶれた者はその「つぶれ部屋」に担ぎ込まれるのである。もちろん、つぶれずに飲み続ける奴が覇者となるし、その後のギター部での評価を得るわけである。俺は折角「せくすぃ静かな湖畔」の脚本演出をしてこれを成功させたのに、酒の洗礼ではいち早く「つぶれ部屋」の住人となった。下戸であることが判明した俺にとって、酒の試練はその後の大学生活にずっとついて回った。俺の同期の1年生指揮者である太川も酒に弱く、「酒は避けたい」、というコメントのしようのない洒落を言い、つぶれ部屋で目を閉じるのであった。今はもちろん、このような乱暴なことをする部活動はないことを祈る。

 酒の洗礼その2は、慶早戦である。巷では早慶戦とも言うが、慶大ではこれは断固慶早戦であり、間違えると大変なことになる。慶早戦とは、野球を観に行くのではない。野球の前日に神宮球場に陣取り、酒を飲むのである。当時(1980年代)の神宮球場では、慶早戦の前日は救急車がたくさん出動していた。急性アルコール中毒で病院に行くものが後を絶たないのである。今はもちろん、このような乱暴なことをする部活動はないことを祈る。今考えると乱暴であるが、つまり、当時の大学生はこのような形で特権階級を謳歌していたとも言える。結果として横臥することになるのだが。

 当時、自己紹介一気というものがあった。自己紹介をしてビール大ジョッキを一気飲みするのである。このようなことは、もちろん今の大学ではしてはいけない。当時の乱暴さを伝えようとして書いていることをわかってほしい。新歓合宿で下戸であることが判明した俺は、神宮球場での自己紹介をどう切り抜けるのかが課題であった。自己紹介後、「飲めません!」と正直に宣告した。すると、とある先輩が「飲めなければかぶれ!」という。俺は飲むよりはかぶるほうがずっと楽だと思い、大ジョッキ一杯のビールを頭からかぶったのである。すると今度は「ばかやろう!かぶる奴があるか!」と罵倒された。ここで大笑いを取り、俺は酒を飲まずに慶早戦を乗り切ったのであった。

 「飲めなければかぶれ!」と言ってくれた先輩は、実は自身も飲めず苦労してきたのであった。彼には今でも感謝している。今ではアルハラという言葉があるが、当時は酒を飲めぬものは出世できないような雰囲気もあった。俺が研究者になった理由の一部に、研究者の世界はアルハラがない世界と思われたからだということもある。俺の親父は自営業をしていた関係で酒の接待が多く、自身は酒を飲めないのに無理してつきあっていたようであった。それで内臓を悪くしたところもある。俺が水道屋を継ぎたくなかった理由には、酒のつきあいが不可欠に見えたこともある。当時から考えると、酒について言えば、今はずっと民主的な世の中になった。

 さて、このように酒には苦労させられたが、土曜の練習の後は酒ではなく喫茶店に行くのであった。しかも俺は、上手い具合に先輩女子の席に紛れ込み、幸せな時間を過ごすのであった。男子校出身ではあったが、叔母さんたちに可愛がられたおかげで、俺は年上の女性とであれば安心してお話できるのであった。毎週土曜、ギターの練習後2時間も喫茶店で何を喋っていたのだろう俺は。思い出すのは、先輩女子には文学部系が多かったことだ。英文、仏文、独文、国文。それなりに本を読んでいた俺は、先輩女子とお話しするためによりいっそう小説を読むようになった。当時、サリンジャーは人気で、野崎孝訳の『ライ麦畑でつかまえて』は必読書であった。庄司薫の薫君シリーズ(赤頭巾ちゃん気をつけて、白鳥の歌なんか聞えない、さよなら快傑黒頭巾、など)は読んであったので、サリンジャーの世界にはすんなり入っていくことができた。『フラニーとゾーイー』などは今思うとすごい小説なのだが、そのすごさに気が付かなくてもそれなりに楽しむことができた。こうして俺にもだんだんと青春らしき世界がやってきた。しかしそんな俺を、「お前は男として見られてない」と批判する同級生男子もいた。そう言われるとたいへん悩む俺なのであった。そのようなささやかな幸せに浸るだけで大学生活が終わるのはもちろん不本意であったが、そこから踏み出す勇気もなく。はて、この男の青春はどうなるのやら。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

岡ノ谷一夫

帝京大学先端総合研究機構教授。1959年生まれ。東京大学大学院教授を経て、2022年より現職。著書に『「つながり」の進化生物学』『さえずり言語起源論』などがある。

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