南直哉氏。住職をつとめる福井県霊泉寺にて。
 

僧侶としての「3つの顔」

――南さんのプロフィールには「福井県にある霊泉寺の住職、そして青森県にある恐山菩提寺の院代(住職代理)をつとめる」とあります。僧侶として、それぞれの場所でどのような活動をされているのかについてお聞かせください。

 1984年に26歳で出家してから、20年近く曹洞宗の総本山である永平寺で修行生活をおくっていました。多くは数年の修行をもって下山し、それぞれの寺に戻る、というのが一般的なので、20年近く永平寺にいたというと、それだけで珍しいこととされます。
 入門して15年が過ぎた頃、ある老師から「お前もそろそろ寺に入りなさい」と言われて、永平寺に籍を置いたまま同じ福井にある霊泉寺の住職となりました。伝統教団においては、住職をしてはじめて一人前みたいなところがあるので、その意味では霊泉寺の住職であることが、私の曹洞宗内の立場を支えています。そこは檀家が30軒ほどの小さな寺で、棚経たなぎょう(註・お盆に檀家をまわって読経すること)や葬式や法事の導師を務めるなど、いわゆるごく一般の住職としていることは変わりません。
 恐山とは、永平寺をいよいよ下りるという段になって縁ができ、2005年から院代つまり住職代理として入山しました。だからといって住職をしている霊泉寺を捨て置くわけにはいきませんから、現在は月に一度ずつ、恐山と福井を往復しています。ご存じのように、恐山というのは古くから知られている霊場で、毎年多くの参拝客が訪れる。その応対や宿坊(註・寺院が管理する参拝客のための宿泊施設)の管理などをしています。
 加えて、講演や書き物などの仕事が増え、東京にも一定程度滞在する必要があり、その三カ所をぐるぐる回っている状態です。東京では、「相談をしたい」とやって来る人たちと会うようにもしています。

――相談を受けるきっかけは何だったのですか?

 永平寺にいた時から、若い修行僧では対応できない電話を回されることが多くありました。「困った時の南さん」とか言われて(笑)。中には、「夫が浮気して困っている」なんて、「そんな相談を世俗を離れて修行している若僧のところに持ってきてもしょうがないだろう」というものもありましたが、結果的に場数だけは踏むことになった。だから「人の話を聞くぐらいはできるだろう」と、相談を受けるようにしたのです。
 それに昔、私の師匠が自坊で習字を教えていて、それは月謝も取っていない完全なボランティアでした。「奇特なことをしますね」と言ったら、「バカなことを言うな。お前も坊さんなんだから、ひとつぐらい無償でやりなさい」と。あまり言うことを聞かない不肖の弟子だったから、ひとつぐらいは師匠の教えを守ろうと、時間の許す限り続けています。

――どのような相談が多いのですか?

 様々です。親子や夫婦など人間関係のもつれについてのものから、病気や介護、そして「とにかく生きづらい」と訴える人まで。手に余るものも多いですが、話をするだけで楽になる人もいるというのもわかるので、その役には立てるかな、というのがひとつ。ただ、聞くだけではダメな時もある。つまり、嘘をつくわけじゃないけど、抱えている悩みや問題を正直に言わない人もいるわけです。その場合、「なぜこの人はこの話をするのか」を考えないといけない。問題がきつければきついほど、表面に出てくる言葉と距離が生じるので、その距離をはかるためには、会って対面でやらないと意味がない。これも私の僧侶としての活動において大事なことです。

――つまり、僧侶として「3つの顔」がある、ということですね。

 それぞれ求められている役割が違うのは確かですね。おかげさまで、移動にやたら時間が取られますが。檀家さんに「住所不定住職」と揶揄されたこともあるぐらい(笑)。

――仏教の〝修行実践者〟という4つ目の顔もあると思うのですが。

 それは、それぞれの〝顔〟のベースにずっと通底してあるものです。今でも、忙しくて坐禅をする時間がなかなか取れないと、やはり何となく落ち着きません。
 そもそも、なぜ自分がお坊さんをやっているかというと、小さい頃からずっと抱えている問題を解決したいからです。それがすべてのベースになっています。住職をやっていても、院代をやっていても、相談を受けていても、坊さんになったそもそもの理由を、簡単には捨てられない。その問題が消えてなくならない限りは、坊さんであり続けるでしょうね。

「超越と実存」が意味するもの

――加えて、「物を書いて世に問う」という〝顔〟もあると思うのですが。

 割と早い時期から何か書いてみたいとは思っていましたね。永平寺に入門してしばらく経ってから、仏教の考え方や言説が世の中に求められているんじゃないかと感じていましたから。というのは、坐禅の指導をしたり、偉い人の代理で話をしていたりすると、グッと乗ってくる人がいるわけですよ。特に若い人が。その手ごたえみたいなものを感じていたんです。
 一方で、「あれ? こんな話を熱心に聞いてしまって大丈夫か?」という不安というか不穏な感じもありました。自分自身も他のお坊さんの語る言葉にリアリティを感じなくなっていた時期で、どこかにごまかしがあるというか幻想的なものに聞こえて、核心を突いた言葉に出会う機会が極めて少なかった。だから、いざ自分が語る番になった時、今までのように仏教について話をしていてもダメだと思いましたね。仏教を語る言葉自体を変えないといけない。それで、「論座」という月刊誌に機会をいただき連載を始めたのですが、間もなくオウム真理教による地下鉄サリン事件が起きた。はからずも不穏な感じが的中してしまったわけです。

――受賞作である『超越と実存 「無常」をめぐる仏教史』は、僧侶としての南さんの集大成的作品ではないでしょうか。もともと本書は、仏教史についての講義がもとになっています。

 はい。講義は永平寺を下りた2003年から始めたもので、足掛け10年ぐらい続けました。そもそもは、若い修行僧に向けて仏教全体の流れについて話したかった、というのがきっかけです。それも自分なりの考えでもって。「自分なりの」という前提がポイントで、実証的な仏教思想史をやるつもりはありませんでした。仏教に対する私の考え方の根本が詰まっているという意味では、確かに集大成と言えるでしょう。
 「ある人間が仏教というものをどのようにとらえたか」というサンプルになるものを作れば、それなりに面白いのではないかと思ったのです。読んで、「なるほど。この人は仏教をこのように見ているのか」と知ってもらえればいい。構想を聞いた友人は、「君は自分なりの家風を作りたいんだね」と言いましたが、我が意を得たりで、極端に言えば、客観的かつ正しい仏教思想史を記そうなんて気はないわけです。私は私の問題意識でもって、仏教史を通観する。すれば何が見えてくるか――ということを講義したかった。また、その人間が仏教外部にいるのではなく、実際に曹洞宗の僧侶であることの意味も大きいと思っています。

――本書は「超越と実存」という、およそ〝仏教書〟らしからぬ題がついていますが、これは講義の際から使用していたキーワードだったのでしょうか?

 いいえ。講義の際にその言葉は使っていません。ですが、「超越」つまり形而上学けいじじょうがく的な思想が一体どのように仏教と関係していくのか――というアイデアはすでにあって、論理を構成するものとして使っていました。

――「超越と実存」の関係性から仏教史に迫る、といってもわかりづらいと感じる人も多いと思います。そのあたりをご説明いただけないでしょうか?

 アイデア自体は、大学生の頃から考えていたもので、要は、こちらとしては「仏教とは諸行無常を説くものである」と思ってやっているわけです。つまり「すべての実存は無常である」と。ところがブッダ入滅後に出てきた、例えばアビダルマ(註・部派仏教の論説)や法華経(ほけきょう)華厳経けごんきょうなどを読んでみると、「無常ではない何かが〝ある〟」という話になっている――そう私には思えるわけです。それはなぜか。「諸行は無常である」つまり「あらゆる実存は無常である」とブッダが説いて始まったはずの仏教に、なぜ「ダルマ」「仏性」「唯識ゆいしき」「浄土」などの「超越的な存在」あるいは「超越的な観念」が後世になって論じられ、加えられていったのか。仏教史をたどりつつ、こうした疑問に対して自分なりの決着をつけたい、というのが目的で、そのための補助線として「超越と実存」というキーワードを使ったわけです。
 もちろんそうした超越的存在なり観念なりを否定しているわけではありません。しかし、こうした「超越」が仏教に侵入してくると、もともとブッダが説いたことの意味が変質してくるのではないか。その変質はいかにして起こったのか。それは〝神〟のような「超越的存在」を前提とする、キリスト教やイスラム教といった他の宗教と変わらないのではないか――というようなことを考えてみたいというのが、その意図です。

根拠への欲望

――なぜ「超越的な存在」が仏教に侵入してきたのでしょうか?

 いろいろ理由はあると思いますが、ひとつは人間の欲望のあらわれだと思っています。「諸行は無常である」というのは、ある意味非常に切ない話でしょう。「無常である」ならば、〝答え〟も存在しないことになる。「これが答えだ」となった瞬間に、無常ではなくなるわけです。しかし人間は、どうしてもその〝答え〟を知りたくなる生き物です。「悟り」や「涅槃ねはん」というものがあるらしいが、それが果たして何であるか。ブッダも明確に言葉であらわしていない。しかもそれを言い出したブッダはとうに亡くなってしまったので、当人に聞くこともできず、〝問い〟だけがずっと残ったまま。それがわからないままでいるのは非常に切ない。だから答えを求めようとする――欲望というのは、そうした意味です。
 しかし私には、この「答えがあるから大丈夫」というところが気に入らない。問いは問いのまま抱えるべきで、ブッダも安直に「大丈夫だ」と言ったとは思えないのです。

――本書で、「思想には仏教と仏教以外しかない」とまで言っています。

 「実存」を「超越」との関係で考えるのが「仏教以外」で、「超越」抜きで「実存」を考えるのが「仏教」と、ひとまずそのように区別してみたわけです。
「存在するものに根拠がある」と言うのか。それとも、「根拠があるとは少なくても言い切れない」「あるかもしれないし、ないかもしれない」ぐらいのギリギリのところで止めるのか。根拠があるとするか、ないとするか。それが仏教と仏教以外を大きく分けるものだと考えます。
 先ほど、欲望という言葉を使いましたが、己の存在根拠を求めるのは、人間の最大の欲望だと思います。いわゆる食欲、睡眠、性欲というのは動物にも共通するものですが、存在根拠への欲望というのは、言葉と自意識を持つ人間にしかないものです。己が存在するのは何か根拠や理由があるはずで、それを発見したい、という欲望は、食べる、寝る、交わるを凌駕するほどのものでしょう。
 大体、古今東西のおよそ思想と名がつくものは、その「根拠がある」という方向に奉仕していて、それを「明らかにしたい」という営みでもある。ところが、ブッダやその衣鉢を継ぐ仏教者たちは、少なくとも「〝ある〟とは言えない」「〝ある〟と断言してはいけない」とギリギリのところで止めるわけです。そちらの方が私にとってはリアルなのです。

住職をつとめる、福井県・霊泉寺にて
 

なぜ仏教を必要としたのか

――仏教にリアルを感じるという南さんは、そもそもなぜ仏教を必要としたのか。それについて本書でも、はっきりと言及されています。いわく、幼少の頃から「死とは何か」「私が私である根拠は何か」という問いを抱えていたことが大きいと。

 物心ついた時から強度の喘息に悩まされていたのが、大きかったですね。実際、死にかけぐらいまでは経験しているわけですわ。喘息の症状が悪化して絶息した後に、どうなるのか――そのことについて考えざるを得なくなるわけです。そうすると、確かなものは何であるかとか、「大丈夫だ」とか言われても、それを根本的に信じられない。
 一番ショックだったのは、そのことが誰にもわかってもらえなかったことです。絶息した先に、死というものがあるというのはわかるけど、肝心の「死とは何か」については全く見当がつかない。わからないから困って大人に聞いても、「死んだらどうなる」という話を持ち出されるだけで、「死とは何か」という一番肝になる部分は謎のまま。
 気づけば、「なぜ人は死ぬのに生きるのだろうか」と、問いが逆転してしまっていた。どうせ死ぬのならば、何をやっても一緒じゃないかと。結果、子供の頃から、生のリアリティよりも死のリアリティの方がはるかに強くなってしまった。普通は死の方が幻想的で、生の方がリアルだと考えますが、それが逆転してしまったわけです。

――それが「死とは何か」という問題に取り憑かれた理由ですね。

 そうすると必然的に、私は何で生まれてきたんだろう、そもそも生まれたこの私というのは一体誰なのか、ということを考え始める。それが次第に昂進こうしんして、この世の中に確かなものなどあるのだろうかと思うようになるわけです。

――そこで仏教と出会い、20代半ばでいよいよ出家された。

 やはり「諸行無常」という言葉と出会ったのが大きかったですね。答えなんてなくても当然だ、ということを言うわけですから。それまでの経験からして、そちらの方がはるかにリアルに感じられたのです。このブッダという人は、もしかしたら自分と非常に近いことを考えていたのではないかと思った。だったらもうそれに賭けてみるしかない。どこに連れて行かれるかはわからないけど、それに乗っかってみようと。

――「曹洞宗で出家したとき、私は仏教や宗祖道元禅師の遺した言説を正しいと信じていたわけでも、成仏や悟りを目指していたわけでもない」とお書きになっています。

 私はブッダなり道元禅師に共感したから仏教に賭けてみようと思ったわけで、信心からではありません。なぜ共感したかというと、自分と同じ問題を抱えていると思ったからです。私の僧侶としての実践の土台は、すべて二人に対する共感です。
 そうすると次は、その問題をどう解決するかが大事になってくる。ブッダも道元禅師も「こうしてみたらいいのではないか」ということを言っている。言葉であれ、思想であれ、実践であれ、問題を解決するための道具として示されているわけです。ならば、同じような問題を抱えている自分もその方法を試してみるべきだろうと。

「信仰」への懐疑

――「共感によって出家した」と語るお坊さんは珍しいのではないでしょうか?

 だから他のお坊さんと話をすると、大体話が合いません。もちろんそれぞれ出家の理由は様々でしょう。ですが、たいていのお坊さんとは言葉や論理の立て方が根本から違うわけです。あちらも途中で、「あ、この人とは同じ土俵に立っていないな」と気づく。土俵が違うというより、競技が違う。あちらは相撲をしているつもりでも、こちらはボクシングをしているつもりでいるのだから、話が合うわけがない。よく先輩方にもアドバイスをされましたが、相撲の取り方を教わっても、まるで役に立たないわけです。しまいには同業者から「南さんには信仰がないね」と言われてしまう。その通りだったから、腹も立ちませんでした。

――なぜ「信仰」がネックになるのでしょうか?

 「○○は真理であるから、信じなさい」と言われた瞬間に、ある錯覚の中に溺れていくような気がするんです。その〝真理〟は、時の権力や正義と結びついて、最初の意図とは全く違うところに連れていかれることもある。そうした例は歴史上いくらでもあるし、日本でも経験していることでしょう。
 私は〝真理〟という時に生じるデメリットが、メリットよりも大きいと思う。根拠や真理とされるものがなければ、人間の社会と実存を支えられないだろうというのはわかります。しかし私はそこにデメリットを見てしまう。それは副作用と言い換えてもいい。その副作用を牽制するところに、仏教の凄味がある。
仏教という思想の最もユニークでオリジナルな部分は、そのデメリットを見ていることだと思います。もちろん真理や正義とされるものに、メリットもあります。しかし一方で、そこにあるデメリットをきっちり見据えている思想は、仏教以外にないと思う。仏教の中でも、特にゴータマ・ブッダ、そして『中論』(註・勃興ぼっこう期の大乗仏教を理論的に支えた龍樹[ナーガルジュナ]の論書)、それから親鸞と道元。彼らの思想から、私は真理や超越的な理念に対する敏感なる危機意識を感じます。とりわけそれは、「無常・無我・無記」の思想によくあらわれています。

――それは仏教界全体で共有できる問題意識ではないのですか?

 共有できないでしょうね。どこの宗派でもいいのですが、お坊さんが顔を合わせれば「寺院は今後どうなっていくのか?」という話に必ずなります。しかし、その前に話すべきことがあるんじゃないかと、私なんかは思うわけです。
 世の中、「仏教ブーム」と言われますが、だからといって寺に人が来るわけではない。仏教書がいかに売れたとしても、それ以上のことを知りたくて寺に人が来ることなんてありませんよ。開かれたお寺にするのも、僧侶がボランティアをするのも、大変すばらしいことだと思います。けれど、それをやるのであれば、なぜお坊さんである自分がそうしたことをしているのかを考えなくてはいかんと思う。突き詰めれば、なぜ曹洞宗や浄土真宗を選んだのか、そもそもなぜお坊さんをやっているのか、というところまで問いを下ろして考えなければ、根本的な解決にはならないし、これからはそこが勝負になると思う。

――その意味でこの『超越と実存』は、お坊さんとしての南さんの〝所信表明〟として読むこともできます。なぜ道元禅師を宗祖として仰ぐ曹洞宗に属しているのか、その理由も明確にあらわしています。

 そうだといいのですが。でも、それぞれの宗派の祖師たちは、みんな同じことをやってきたわけです。私は、ブッダのいた時代と、法然、親鸞、道元、日蓮がいた鎌倉時代、そして現代は非常に似ているところがあると思います。にもかかわらず、生半可なおためごかしの言葉でごまかしていたら危ない。またオウムみたいなのが出てくる可能性だってあるわけです。そうした時に、自らの足元を見据えて、深い問いを重ねて、しっかりと言葉にしておかなければ、危ないですよ。

――「言葉」よりも「信心」の方をより問われるイメージがありますが。

 その通り。ただ私は、人間というのは何かを信じて行動を起こすよりも、問題があって行動を起こす方が先だと思う。ブッダがそうでしょう。彼は何かを信じたわけではなくて、問題を抱えていたからあのような行動を起こした。繰り返しますが私は、何かを信じて行動を起こす、ということをあまり信用できないのです。
 人が言葉で提示したことを信じて丸呑みするという態度が信じられない理由は、それが言語の問題に帰結するからです。この本で、「仏教思想の核心にある問題は言語、より正確に言うなら、言語において意味するもの(言葉)と意味されるもの(経験)の間にあると考えている」と書いたのは、そうした理由です。最大の問題は言語なんです。もっと言えば、言語に付随する「超越性」の問題です。なぜ言語によって、普遍的で絶対的なことを話すことができるのか――そこのところが、どうしても腑に落ちないのです。
 熱心な読者であるとは決して言えませんが、小林秀雄に共感するのもそこです。それまでは何となく苦手意識があったのですが、大学生の頃にあらためて『モオツァルト』を読んだ。それで、この人は言葉と体験の間について敏感に考え、それを丁寧にすくい取ろうとしているんだなと思って感心しましたね。だから、その名前を冠した賞をいただいて、素直に嬉しく思っています。
 話を戻すと、言葉というものに、我々がいかにとらわれているか。それに気づかず、言語に対して距離を保てないと、結局は言語に飲み込まれて支配されてしまう。それこそ現代のようにメディアが発達し、情報に埋もれている状況においては、それを構成している言語そのもののところまで踏み込んで考えなければ、情報の幻想性に惑わされてしまう。
 そこで仏教が貢献できることは多くあると思います。培われてきた身体技法で、言語が意味するものを宙づりにしたり、解体したり。あるいは情報内の実存のありようを考える時に、それを全体として俯瞰できる視点をどこかに確保する時などに、仏教は使えると思います。

――しかしその仏教を伝える時にしても、言語を使わざるを得ません。

 だから言語で言語を裏切り続けなきゃいけないでしょうね。つまり結論めいたものが出たら、その結論をさらに裏切って次に進まないと。つまり、「真理はこうだ」などと言い切らない。言い切らないで、余りを出し続けるという作業が必要になるでしょう。

――その意味では、南さんの執筆活動においても、この『超越と実存』が集大成ということで終わらず、どんどん次を更新していかないといけない、ということでしょうか。

 その通りです。とはいえ、なかなかキツい作業ですが(笑)。ひとつ書き終えたその瞬間、途端に違和感を覚える性格なので、またどこかで重い腰を上げるとは思いますが……。とまれ、道元禅師の『正法眼蔵しょうぼうげんぞう』については、いずれどこかで落とし前をつけないといけないと思っています。

――期待しています。あらためてご受賞おめでとうございます。

撮影・菅野健児(新潮社写真部)

超越と実存 「無常」をめぐる仏教史

南直哉/著

2018/1/26発売